第19話 閑話 宝物を見つけた日 ーー アレハンドロ視点



六歳のアレハンドロがそれ・・を見つけたのは、ほんの偶然。



家庭教師との勉強が面倒で逃げ出した先の、公園の隅っこにいた。



箱に入れられ、さほど大きくない木の下に捨てられていた赤茶のブチの小さな子猫。



・・・の前で、しゃがみ込んでいた女の子。



その日の空と同じ色の髪をした、可愛らしい子だった。




「・・・なにしてんの」



そうアレハンドロが声をかければ、少女の小さな肩がびくりと跳ねた。



そのオドオドした様子を不思議に思いながらも、アレハンドロは再度問いかける。



「くち、きけないのか?」


「・・・」



それでもまだ黙ったまま、その子は首をふるふると左右に振った。



「・・・」


「・・・」



別に話をしたかった訳でもない。


だからアレハンドロも、そのまま黙って箱の前に座り込んだ。


互いに何も喋らず、そのまま沈黙が暫く続く。



その場に聞こえるのは、箱の中の生き物がみゅーみゅー鳴く声だけ。



ずっと子猫を眺めているだけだったその少女は、やがて小さな手をそろそろと伸ばす。


だが、怯えていたのだろう、その子猫は爪を出して攻撃した。



少女の白い手に赤い筋が一本、入る。



「うぇ・・・っ、いたい・・・」



うっすら血が滲むくらいの、小さな傷。


舐めておけば大丈夫、なんなら何もしなくても構わないくらいのかすり傷。



なのに、その子はショックだったのか、ぽろぼろと泣き出した。


その泣き顔が、記憶にあるそれと一瞬、重なる。



「・・・っ」



アレハンドロの胸が一際大きくどくん、と鳴った。



脳裏に浮かんだのは、可愛がって・・・・・いた彼の妹。


二つ下で、泣き顔が可愛くて、ずっとアレハンドロのお気に入りだった子の。


その泣き顔と、目の前の少女のそれとが重なった。



どうしてだろう、とアレハンドロは思った。



髪の色も目の色も違うし、顔立ちだって似ていない。


なのにどうしてか、その子の泣き顔は懐かしい、大好きな妹の涙を思い出させるのだ。



押したらもっと泣くだろうか。


突いたらどうかな。


強く突き飛ばすか、それとも転ばせる?


手を捻り上げるとか。


ああ、噴水に投げ込むのもいいかも。



きっといい顔で泣いてくれる。



最後の噴水のアイデアが気に入ったアレハンドロは、少女の手を取りその場所まで連れて行こうとして。



手の甲に細く長い血の線が浮き上がっている事に改めて気づく。



このまま触ったら、これ・・の血で自分の手が汚れてしまう。



「・・・」


「え・・・?」



突然に無言で目の前に差し出された白色に、少女が不思議そうな声を上げた。



潔癖症のアレハンドロが、血を拭うためのハンカチを差し出したのだ。


無論、汚いものがついたハンカチは後で燃やすつもりで。



「え、と」



少しの間、少女の視線が自分の手の傷と白いハンカチとを行ったり来たりする。



「いいからつかえよ」


「・・・あ」



少女は、遠慮がちに怪我していない方の手を伸ばしてそのハンカチを受け取り、そっと傷に押し当てた。



「あの、ありがとう」



そう言って、それまでべそべそ泣いていた少女が、アレハンドロににっこりと笑いかける、すると。



「・・・っ・・・!」



アレハンドロの胸がギュッと締め付けられた。



「・・・?」



今のは何だ?とアレハンドロは不思議になり、自分の胸の辺りをぺたぺた触る。


別に怪我も出血もしていないことを確かめていると、いつの間にか目の前の少女の視線が自分から子猫へ戻っている。



それがどうにも気に入らないアレハンドロは、ぐい、とその子の髪を引っ張った。



「いた・・・っ」



案の定、それだけで涙目になった少女の顔を見れば、アレハンドロの気分は直ぐに上昇する。



妹の泣き顔より、ずっとイイかも。



しかもこの子は笑顔も可愛い。


いや、妹の笑った顔を見たことがないから比べようがないか。



自分の方に視線が戻ったことで満足したアレハンドロは、髪を掴んでいた手をパッと離す。


そして、自分で引っ張っておきながら、にこっと笑って大丈夫?と聞いたのだ。


それに戸惑いながらも頷く少女に、アレハンドロはポケットに入っていた飴玉をひとつ差し出す。



「ごめんね。これあげるからさ」



あげるから何だと言うのだろう。だがアレハンドロと同じ年のこの少女に、そんな知恵が付いている筈もなく。



そして、どうやらこの少女はとても素直な性格らしい。


可愛らしい包み紙の飴玉を見て、直ぐに機嫌を直して嬉しそうに笑った。



アレハンドロもつられて笑う。



泣き顔は、妹の時と同じくアレハンドロをいい気分にさせてくれる。


そして、この子の笑顔は、見ているだけで何だかウキウキした気分になれた。



いいものを見つけた。



そうアレハンドロは思った。



良かった。代わりが見つかって。


いなくなってから、ずっと退屈していたのだ。


ぽっかり穴が空いたようで寂しかった。つまらなかった。あれ・・のいない毎日は灰色に染まっていた。



ああでも、これで。


これでまた楽しめる。



しかもこの子は妹とは違う。泣き顔だけが可愛い訳じゃない。



アレハンドロはじっと顔を覗き込んだ。



「おまえ、なまえは?」


「ナタリア」


「ナタリア。ナタリア、か。おれは、アレハンドロだ」


「あれ、は・・・?」


「アレハンドロ。アレハンドロ、だ」


「あれ・・・あれはんどろ・・・」


「そう」



その後、ナタリアが貴族の娘であることを知ったアレハンドロは、ちょっと面倒なことになったとガッカリした。



アレハンドロは平民、ナタリアは下級とはいえ貴族だ。


平民と貴族では、あちらに非がある場合でも罰を受けるのは平民の方だと商人である父親から聞いていた。



だけど、それでは簡単にナタリアを泣かせられないではないか。



「はあ・・・ざんねん」



やっと、代わりの宝物を見つけたと喜んでいたのに。



「まあいいか。見つからないようにやればいいんだから」



七歳になったアレハンドロは、今日もウキウキと家を出る。



ナタリアと遊ぶ約束をしているのだ。



あの日から、アレハンドロは真面目に授業を受けるようになった。

ナタリアさえいれば、アレハンドロも苛々する事なく、楽しく普通に生活を送ることができる。


しかも、貧乏とはいえ、ナタリアは子爵令嬢だ。彼女との付き合いは、アレハンドロの両親も望むところだった。



今は、大手を振ってナタリアの所に遊びに行ける。



「ネコがいなくなっちゃったって泣いてたかお、さいこうだったな」



アレハンドロは足取りも軽く、ナタリアに会いに行く。



愛しくて、大切で堪らない。俺の可愛い宝物。


泣いた顔も、笑った顔も、どちらも優劣をつけ難いほどそそられる。



それに今となれば、貴族という枷があって却って良かったかもしれない、そうアレハンドロは思う。



「だって人ってかんたんにこわれちゃうからね」




妹のように。


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