第5話 思いがけない再訪


人生が巻き戻り、混乱気味だった記憶もだいぶ整理がついてきた頃。


そう、エドガーが自身の留学の話をしにベアトリーチェの屋敷を訪問してから三日後。



体調がかなり回復し、外の空気を吸いたい気分になったベアトリーチェは、マーサに頼んで庭の四阿にお茶の用意を頼んでいた。


そこへ使用人がやって来て、父から書斎に来るようにと言伝を受けた。



父とは巻き戻った日の朝に対面し、それからも何度となく顔を見に来てくれていた。


それは勿論、ベアトリーチェの母や兄もだけれど。



わざわざ呼ぶなんて何の用だろうと考えながら、父の部屋の扉を叩く。



そこでベアトリーチェを迎えたのは、少し神妙な顔をして待っていた父と、あと数日で隣国へ留学する予定のエドガー。



あら?とベアトリーチェは違和感を抱く。



巻き戻り前では、エドガーに留学の話を聞かされたきり、彼とは会っていない筈。



それなのに、どうしてここに彼がいるのだろう。



「来たか。トリーチェ、座りなさい」



父に隣の席を手で示され、ベアトリーチェはおずおずと座る。



「エドガー君がお前にもう一度会いに来てくれた。二人で庭を散歩して来るといい」



父にそう言われてエドガーに視線を移すと、彼は少し眉を下げてにこりと微笑む。



「いいかな、アーティ」



兄のように慕うエドガーから優しく手を差し出されれば、ベアトリーチェには喜んで受ける以外の選択肢など浮かばない。


もとより、もうあと七年は絶対に会えないと覚悟していたのだ。


差し出された手に指を乗せながら、ベアトリーチェの頬は嬉しさで淡く染まった。



「ちょうど良かったわ、エドガーさま。私、外の空気が吸いたいと思って、四阿にお茶の用意をするように頼んだところだったの。ご一緒してくださいませ」


「それは良いね」



エドガーのエスコートを受けて二人で並んで歩く庭園は、早春とはいえ鮮やかな色の花がちらほらと咲き始め、目を楽しませてくれる。



「突然に訪問して済まなかった」


「そんな、嬉しいわ。留学する日も近づいているから、もう会えないと思っていたもの」


「うん。そのつもりでいたんだけどね」



椅子に腰を下ろし、侍女たちがお茶の用意をして少し離れた場所にまで下がると、エドガーは少し緊張した面持ちで言葉を継いだ。



「・・・本当に、この間の挨拶で終わりにするつもりでいたんだ。でも、アーティ。君が寂しくなると言ってくれたから」



エドガーは、いつもと変わらぬ穏やかな眼差しをベアトリーチェに向ける。


その真摯でひたむきな視線に、何故だろう、ベアトリーチェの胸がとくりと跳ねた。



「すごく嬉しくて」


「え」


「寂しくなると言ってもらえて、僕はとても嬉しかったんだ」


「エドガーさま? あの」


「ああ、大丈夫。安心して。君がレオを好きな事くらいちゃんと分かってるから」


「レオ・・・レオポルド、さまですか?」


「ああ」



当然だと頷くエドガーに、ベアトリーチェは思い出す。



そうだ、自分は時を遡っているのだ。


この頃の自分は、レオポルドが大好きで、大好きで、とにかく大好きで。


彼のことしか見えてなかった。



エドガーには妹のように我儘も言うし遠慮なく甘えられるのに、レオポルドの前では必死になって背伸びして、良いところを見せようと無駄に力を入れていて。



・・・今思い返すと我がことながらみっともなさすぎて恥ずかしい。



レオポルドは、私に幼馴染み以上の感情を持っていなかったのに、一人だけその気になって、無責任な夢を見て。



でもいいわ。

それも、もうお終い。



「・・・レオポルドさまのことは、その、好きでした。この間までは。でも、今はもう」


「アーティ?」


「いいんです。レオポルドさまのことは、もう」


「・・・本気で言っているの?」



ベアトリーチェはこくりと頷く。



だって、自分は知っている。


レオポルドにはナタリアがいる。

これから入学する学園で出会うナタリアが。


レオポルドがこの先ナタリアに向ける、ナタリアだけに向ける、あの熱っぽい視線の意味を自分は知っているのだ。


ずっと間近で見てきたのだから。



「レオポルドさまにとって私は妹のようなものなの。エドガーさまと同じなのよ」


「・・・」


「エドガーさま?」


「アーティ。もう一度聞くね。それ、本気で言ってる?」


「え? ええ」


「・・・そう」



どうしたのだろう。


エドガーがなんとも複雑な表情を浮かべている。


レオポルドにとって自分は妹扱いだと自覚している、正しく自分の立場を理解したつもりだったが、何か間違っていただろうか。


そう考えて、はた、と思い当たる。


エドガーはベアトリーチェに過保護なまでに気を遣う。

いつも、もっとベアトリーチェに優しくしろとレオポルドを窘めていたくらいだ。


だけど実際には妹ではない。

それを妹気取りな発言をしては駄目だったのかもしれない。では何なら良かったのだろう。


恋人の枠には入れない、それだけは、はっきりしているけれど。



「・・・分かった」


「え?」


「まあ今はそれも仕方ない」



悶々と考えているうちに、エドガーがひとり納得してくれた様だ。



まだ微かに眉根が寄っているが、その眼に怒りや困惑は消えていた。


その事にホッとしていると、おもむろにエドガーが口を開いた。



「ちょくちょく帰って来るよ」


「・・・え?」



今度こそ、ベアトリーチェはぽかんと口を開いていた。



「手紙もマメに送る様にする。返事は・・・出来たら欲しいけれど、無理はしなくていいから」


「え、あの」



話が見えない。


一体いつ、会いに来るとか手紙を送るだとかの話になったのか。



ぱちぱちと瞬きすれば、エドガーがにこりと微笑んだ。



「だって、寂しいんでしょ?」


「え、と」


「アーティがそう言った。僕がいなくなると寂しいって。だからなるべく君に会いに帰って来るようにする。それと手紙も。そうしたら、もうアーティも寂しくないよね?」



そう言ってどこか妖艶に笑うエドガーは、それまで常に一線を引いていた彼とはまったく違って見えて。


まるで別人の様だとベアトリーチェは思った。

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