グリームアダー

@IppeiTanaka

プロローグ

ニューヨーク市地下鉄、34 丁目駅。深夜2時。

誰もいなくなった駅のホームでジェレミーは寝支度を始めた。

毎日この時間になると、電車は動いているが利用者はほとんどいなくなる。

何かと物騒な地上に比べて、ここは寝床としては上等だった。

10月に入ってから急に冷え込み始めたが、幸いこの間ゴミ漁りをしていた際に暖かそうな毛布を見つけていたのでこの冬は乗り越えられそうだ。

今日はいい日だった。

ゴミ拾いの稼ぎがよく、さらにカンパに20ドル札を入れていったサラリーマンが居た。

加えて言うと炊き出しが大好物のシュクメルリというおまけ付きだ。

ささやかな幸せに浸りながら目を閉じようとした時、何かが視界の端で動いた。

ネズミか何かだろうと思い目を凝らすとまた動いた。

違う、ネズミではない。明らかに大きい。

明滅する電灯の向こう、線路の奥の暗闇がうねるように蠢く。

「ひっ……!」

恐怖に慄くジェレミーの悲鳴に呼応するかのように、その暗闇は姿をあらわにした。

3メートルほどであろうか。痩せこけた短い二本の足で立ち、それとは対照的に長い腕をゴリラのように地面につけてこちらへとゆっくり向かってくる。

胴体も同じように痩せこけており、その上に飢えた肉食獣のような顔が載っている。 

毛のない漆黒のその獣は、ジェレミーを見つめながらひたり、ひたりと不気味な足音を立てながら近づいてくる。

「あ……あ……。」

恐怖のあまりに声を出せずにいるジェレミーとは対照的に、ただ無感動な双眸をジェレミーに向けたまま腰を落とす漆黒の獣。

(殺される。)

直感的にジェレミーがそう感じた瞬間、目の前の獣が飛びかかってきた。

と、同時に何かに激突したように弾き飛ばされる獣。

「え……?」

何か起こったかわからず呆然とへたり込むジェレミー。

その時、地下鉄の構内に響く声。

「お爺さん、下がってて。ここは危ないから。」

声のする方に振り返ると、そこには黄金の杖を持った若い女がいた。

黒人。17、8歳ほどであろうか。白い髪を頭の高い位置で二つに結えている。そのせいか幾許か幼い印象を受けた。

「下がっていろって、お嬢ちゃん。どうするつもり……。」

ジェレミーが言葉を継ぐ間も無く、その女は姿を消した。

同時に響く獣の絶叫。

獣を見やると、その脇腹に少女が杖を突き立てている。

(いつの間に……!)

ジェレミーは女から目を離していなかったにもかかわらず、彼女が移動したのを捉えられなかった。

女は獣に突き立てた杖を振り上げると、その頭に向かって思い切り振り下ろす。

杖は緑色の炎を噴き上げながら獣の頭に激突し、短い断末魔ののち獣は沈黙した。

その獣は、まるで初めから何もいなかったように黒い塵となって消えていく。

女は杖を構え直すと振り返る。

その視線の先、線路の奥からは先ほどの獣たちが群れを成してーーーパッと見ただけで10匹以上ーーーこちらへ向かってきていた。

「これだけの数の『ドリームイーター』……近くに『門』があるのは間違いなさそうね。」

「え?」

独りごちる女に思わず聞き返すジェレミー。

なんでもないとばかりにかぶりを振ると、線路に向かって女は飛び出した。

「よくもまあ、これだけ増えたもんね……。踊る相手には困らなさそう!」

そう言うと先頭の1匹を緑色の炎を纏う杖を勢いよく振りかぶって弾き飛ばす。その1匹は巻き込まれて吹き飛んだ他の2匹と共に炎に飲まれ塵となった。

それと入れ替わりに飛び出してきた1匹の脇腹に杖を叩きつける。緑の炎を上げて爆発する杖の反動を殺さずに次の獣へと接近すると、杖の石突を頭に突き立てた。

「わあ、痛そ。」

軽口を叩きながら獣の頭を貫通した杖を引き抜くと、2匹同時に襲い掛かってくる獣の片割れの頭を素手で掴みもう一方に叩きつける。

頭蓋が割れる鈍い音が響く中、身構える獣の体を足場に飛び越えその勢いのまま地面に杖を突き立てた。

すると緑色の光が地を這う蛇ように獣たちに襲いかかりその身を燃やす。

「すごい……。」

思わずジェレミーは呟いていた。

緑の炎と黒い塵が舞う中で、踊るように次々と獣を屠っていく女。

その姿は猛々しくありつつも美しかった。

そうしている中、ホームに警笛が響き渡った。

電車が通過する合図だ。

女は線路で獣と戦っている。

驚きと恐怖で固まる体を奮い起こし、ジェレミーは女に向かって叫んだ。

「お嬢ちゃん!電車が来る!!早くホームに上がってくるんだ!!」

その声を聞くまでもなく、女は警笛に反応していた。

取り囲む獣を横薙ぎに弾き飛ばすと、ホームに向かって駆け出す。

それを追って迫り来る獣。

女はおおよそ人間とは思えないほどの跳躍力を見せると、寸でのところで獣たちを線路に置き去りにしてホームへと転がり込んだ。

電車の下敷きになり黒い塵と化す獣たち。

今しがた起こったことへの驚きで通り過ぎる電車を呆然と眺めているジェレミーをよそに、女は立ち上がりスマートフォンで誰かと通話を始めた。

「ええ、私。多分ここが当たりよ。このあたりに『門』がある。パーティーに遅れたくなければ急いで来てとみんなに伝えて。」

訳がわからず、何か尋ねようとするも頭が混乱して何も言葉が出て来ないジェレミーに向き直るとどこか柔和な表情で言葉を紡いだ。

「さっきの化け物や私については説明が難しいけど……運が良ければもうどちらにも出会うことがないから安心して。それに今晩中にはカタをつけるから明日からはまた普段通りの生活が送れるわ。」

安心する根拠も理由もない。そもそも初めて会った女だ。それでもーーーその力強く光る紫色の瞳からはなぜか安心感を感じた。

「もうすぐ私の知り合いが来るから、その人たちに保護してもらって。ここで眠るのは無理だから、シェルターに移動してもらうことになると思う。大丈夫、ちゃんとしたところよ。」

どうやら今晩の寝床は確保できたらしいことに幾分か心が軽くなったジェレミーは、礼を言うつもりで女に尋ねる。

「あんた名前は?」

にこりと笑うと、彼女はその質問に答えた。

「アディーサ。ファミリーネームは無し。この国の生まれじゃないの。」

その答えを聞き満足したジェレミーは、十字を切ると彼女に言葉を贈った。

「アディーサ、あんたに神のご加護がありますように。」

それを聞くと、少し困った顔になるアディーサ。

「うーん。それはどうかな……一度お仲間をぶん殴っちゃったから、もうご加護はもらえないかも。」

その答えを聞いてキョトンとするジェレミーをよそに、再び線路へと降りるアディーサ。

ジェレミーに向き直ると、彼に向かって声を上げた。

「私の知り合いが来たら、線路の奥にいるって言っておいて!」

ジェレミーはそれに向かって手を振りつつも、頭の中では別のことを考えていた。

今夜はとんでもない目にあったが、それと釣り合いの取れる出会いもあったと。

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