待つ間

頭野 融

待つ間

 コーヒーを淹れる間、色々なことを考える。目の前にあるコーヒー以外すべてのこと、と言ってもいい。あるお客さんから注文を受けて淹れ始めてから淹れ終わるまで、その間は短いようで長い。


 父は寡黙な人だった。あまり何も言わなかった。朝、決まった時間に会社に行くという風でもなかったし、同じように決まった時間に帰ってくるという感じでもなかった。休日も家にはいなかった。だけれど母はそんなことには、すっかり慣れていて何も感じていないようだった。ただ、父が出ると言ったら行ってらっしゃいと見送って、インターホンが鳴ったら喜んで出ていくような人だった。別に亭主関白という感じではなかった。母は母で好きなことをやり、父は父で好きなことをやり、お互いにそれがいいね、きみも楽しそうだねなんていう両親だった。


 そんな家の一人っ子だったからか、僕は結構マイペースな方だった。そもそもマイペースなんて言葉を知ったのも、小三のときの面談で先生が「お子さんは、マイペースなのがいいところですよ」と言ったときだった。僕はほんとうにマイペースで、そのとき母にマイペースって何? と訊いたものだった。目の前に先生がいるのに本人に訊かないのはどうなんだという感じだったが母は笑って、自分に合ったリズムで物事を進めることだよ、と言ってくれた。やさしい物言いだった。あのときの先生のうっすらと険のある表情は、もっとちゃんと団体行動してほしい、という裏の意味が母に伝わらなかったゆえだろう。だけど、いつか母がポロっと、あれは分かっててああやって悠長なことを言ったのよ、と言っていた気もする。


 学校が終わればクラスメイトと遊ぶなんてこともなく、そそくさと家に帰っていた。何よりも家が心地よかったし、グラウンドで駆けまわったりボールを蹴ったりするタイプではなかった。家に帰ると母は決まって手は洗ったの、と訊く。僕はそれに今洗ってる、と洗面所から大きな声で返事をする。夕方になりかけくらいの適当な時間になったら母は何か簡単なおやつを出してくれた。大体が洋菓子だった。どこか有名なお店のフィナンシェだったりバウムクーヘンだったりすることもあったけれど、母が焼いたパウンドケーキが一番の好物だった。僕はオレンジジュースが好きで、犬の柄のマグカップに半分くらい注いでもらっていた。本当はなみなみに入れてほしかったけど。いま考えれば母が飲んでいたのはいつもコーヒーで、だからそれに合わせて洋菓子ばかりだったのだろう。


 家に帰ってきて宿題を終わらせてからおやつまでと、おやつからお風呂までの時間、何をしていたのかと言えば本を読んでいた。学校の図書館で借りてきた児童向け文学だったり図鑑だったり。それに、中学生、高校生と大きくなるにつれて父の書斎から拝借することが増えていった。結局、中学も高校も部活に入らなかった僕の夕方の過ごし方はあまり変わらなかった。父の蔵書はなんだかまとまりがなくて、アライグマの生態を扱った本の横に、疲弊した経済に効くカンフル剤はあるか、という新書が並んでいたりした。かと思えば詩集が平積みしてあったり。父は自己啓発本の類いはあまり読まなかったようだけれど、その代わり哲学書の翻訳みたいなのは案外多かった。勝手に僕が分類していたのだけれど、他のジャンルの倍はあった。



 『待つことは辛い現実を生き延びる慰みになり得る』



 様々な本を読んだけれど、この一文は覚えている。あまり著名な哲学者じゃなかったのか名前までは覚えていないけれど、待つことに肯定的で、待つこと自体の効果を述べているというのが印象的だった。現実を辛いと言い切ってしまっていることも。ぼーっとすることと待つことは全然違う。似て非なるものというものだ。実際にやっていることは同じかもしれない。駅の前の小さな公園のベンチにずっと座っていたり、ベッドの上で眠いような眠くないような瞼をこすってみたり、たいして見たくもないゴシップ記事をスマートフォンで見て見たり。だけど、この時間のあとに目当てのものが、ことが、人が現れるはずだと思うと退屈な時間が、美しいらせん階段に思える。踊り場だけで最上階に辿り着かない可能性もあるのだけれど。父はこれほどの本を一体いつ読んでいるのだろう、家を出る前と帰ってきてから読んでいるのだとはあまり思えなかった。リビングで読書をしている姿は見たことが無かったし、基本的に夜は早く寝る人だった。


 そんな父の仕事が飲食店経営だと知ったのは大学生になったときだった。都内ではない大学に行くことにした僕は、同じ関東圏とはいえ家から通うのは無理だろうということになって、大学にほど近いアパートを借りることになった。そのときの引っ越し準備のとき、うっかり父がじゃあその日は店休日だな、と言ったのだった。母も何も考えていなかったのか、何年ぶりかしらね、なんて言っていた。父が適当な時間の出勤は自分が喫茶店のマスターだからというオチだった。だから休日も家を空けていたのだなと合点がいったし、母がコーヒーをよく飲んでいたのもそのせいか、と気づいた。今思えば、寝る前のカフェインはよくないわ、と言いながら晩ご飯のあとに二人はきまってコーヒーを飲んでいた。たしかにあれは毎回父が淹れており、母はその味をおやつどきに飲んだ自分のと比べていたのだった。


 引っ越しの作業をしながらした話は喫茶店の話ばかりで、なんだか僕の知らない父が一気に現れたようだった。東京のどこどこの通りにあるから見つけてごらん、というよく分からない宿題が出された。思いのほか家からは遠くて、ちょうど僕のアパートと家の中間地点くらいのところにあった。案の定、大学生になった僕はサークルにも部活にも入らず、勉強とバイト以外の時間は散歩に行き、休日には電車に乗って知らない街を一つずつ巡っていくような学生だった。都内にはお洒落なカフェや洋食屋、定食屋、雑貨屋、古着屋、美術館、博物館、ギャラリーなんかがいっぱいあって、平日にバイトをして貯めたお金で楽しんだものだった。父親がやっている喫茶店がある地域を訪れたのは大学生になって二回目の夏くらいのことだった。その街はとても活気があって休日は朝から人であふれていた。本当に色んなお店があって統一感が無いのが特徴という感じだった。この中に父の店があるのかあなんて思いながら、歩き回ってお昼ご飯にしようかと思って吸い寄せられたのが父の店だった。


 そこにはマスターと呼ばれている父がノリのきいたシャツを着て立っていてなんだか面白かった。父は僕に気づいたようだったけど、他のウェイターさんなんかは気づいていないようだったから、特に何も言わなかった。軽食が食べたかったからクラブハウスサンドを頼んだ。ウェイターさんがコーヒーはブラックがマスターのオススメです、というからその通りにした。これが定型文なのか、父が僕に言うように言ったのかは分からなかったけど、ブラックのコーヒーがおいしいと思ったのはこのときが初めてだった。ちなみに母がおやつどきに飲んでいるのはフレッシュをたっぷり入れたものだったから、そう考えると夜に飲む父が淹れたコーヒーと味を比べていたのは不思議なことだ。その日から何度か父の店には行った。季節に一回くらいだろうか。季節限定メニューなんてものもちゃんとあって、春は桜色のケーキ、夏は各種かき氷、秋はモンブラン、冬はホットチョコレートという感じだった。それを担当してるのは私なんですよ、とウェイターさんが自慢げに言っていたのを思い出す。


 就活をする頃には大学に行く必要もあんまりなくなっていて、実家で過ごす時間がわりに増えていった。もともと、大学で勉強したことを仕事に生かそうなんていう気はなくて、食品業界か何かに入れたらいいかなとぼんやり思っていた。そんなノリで書いたエントリーシートはたまに上手くいったとしても、面接で落ちるのが関の山で僕はなんとなく晴れない日々を過ごしていた。すっかり、夜に母と一緒に父が淹れたブラックコーヒーを飲むのが習慣になっていた。僕が就活が上手くいかないというようなことをこぼしていると父も母も大抵はげましてくれて、僕はそれを励みになんとか頑張っていた。


 その苦しい終活も最後の最後でインスタント食品が主力のメーカーから内定が出て無事終わり、三年目か四年目のころ、内線で急に電話が回って来た。特に取り次ぎの文句も無しに。周りの同僚を見渡したけれど、誰も何も知らないようで遠くに座った部長が早く出なさいという目で僕を睨んでいた。部長は要件を知っているのか知らないのか、名指しのクレームなのか、何なのか、色んなことを考えたけれど電話口にいたのは母だった。最近電話をしてなかったな、と思いながらなんで携帯に掛けなかったのかと聞くとあんたが出ないからだと言われた。こういう日に限ってスマホはマナーモードになっていた。


 父が危篤だから有給を取らせてもらえませんか、と言い終わる前に部長からは早く行けと言われた。どうやら僕に内線を掛ける前に部の受け付けに掛かっていたらしい。そのときに、母が僕に直接伝えたいから、と僕の番号を聞き出したらしい。こんな後から聞いた話はどうでもよくて、そもそも僕はあまりこのときのことを覚えていない。ベッドの上で横たわっている父の死に目に会えたのが幸いという感じで最後には少しだけど会話もできた。どうやらカウンターで急に脳震とうを起こしたらしい。店はなるべく続けてほしいというのが数少ない遺言だったと母は言ったけれど、もう私は病気で家からあまり出られないとも残念そうに言っていた。ただお店は父一人が回していたわけではなく優秀なウェイターたちが居たから、すぐに閉店という形にはならなかった。僕は土日だけ店に通ってコーヒーの淹れ方を一から教わった。こんなことなら父から家で教えてもらっておけば、と思ったけれど、店の道具はどれも本格的で「マスター」をいつも近くで見ていた彼らに手取り足取り教えてもらうのが一番たしかな道のりだった。


 そんなわけで最近は一日署長ならぬ週末マスターという感じでカウンターに立っている。平日は会社員だけれども、土日は気分を切り替えるために少しオシャレをして店に立つ。ウェイターさんがネイルのやり方も教えてくれて、白い指にマニキュアが映えますねなんて言われてから、最近の僕のお気に入りだ。毎シーズンの限定メニューを考えているだけあって美的センスはピカ一だなと思った。お客さんがあまり来ない日、というのも当然あって、そういうときはカップやソーサーを洗って、つぎにイスと机を磨いて、床を掃いて拭く。こんなことをしながら待っていると、どっとお客さんが増えて慌ただしくなったりするのも醍醐味だと思う。なんだか、こうやって昔を思い出していると、ふらっと父がやって来て、僕が淹れたコーヒーを一口飲んで「まだまだだな」って笑いながら言ってくれやしないだろうか、なんて思う。父が遊びに来てくれるなら社員寮でも実家でもなく、この店だと思うから、いつもちょっと期待しながら待っている。


 カランカラン。扉に付けたベルが鳴った。テレビで見たことのある気のする真面目そうな男の人だ。はたらき盛りと言われる年齢だろう。ウェイターさんも知らない人のようだ。初めてこの街に来て、この店を選んだのだとしたら相当センスがいい。メニューを渡したけれど迷っているようだし、マスターのオススメを教えて差し上げようかな。

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