筋肉なんていらねえ

 失恋の痛みなんてものは思いの外すぐに消えていく。

 それは洋介も例外ではなく、目の前で好きだった子と見下していた奴の濃厚な絡みを見て精神的にやられてしまったものの、日が経てばいつも通りとは行かなくても段々と気分も落ち着いてきた。


「……………」


 久しぶりに学校に行った時、友人たちが洋介のことを心配してくれた。

 それは心から嬉しかったし何より心配を掛けて申し訳ないと思ったが、視界の端でチラつく彼らの姿が洋介の心に再び影を落とす。


(……え、誰だよあれ)


 まあそんな彼でも、変わった郡道嵐を見て驚きに目を見張ったが。

 一応クラスメイトが居るからということでスキンシップは適度に抑え目だが、それでもまるで長年連れ添ったような仲の良さは何なのだろうと洋介は思う。

 それこそが彼らの事情を知らない外野が思うことであり、教えてもらわない限りは絶対に到達出来ない答えでもあった。


「……くそっ」


 彼らを見ているとふつふつと嫉妬が沸き上がる。

 女々しいと言われようが諦めが悪いと言われようがこればかりは仕方ないと、洋介は気持ちが届かなかったことを悔しがっている。

 そして何より――最近になってある夢を見ることがあるのだ。


『洋介君。私はあなたが大好きですよ? このまま一緒に、ずっと一緒にここに居ましょうね?』


 夢の中で白雪がそう問いかけてくるのだ。

 自分の知らない顔で、決して彼女に似合わない妖艶な雰囲気を纏いながらそう言ってくるのである。

 だが……気のせいかその時の彼女は自分ではなく他の誰かを見ていたようにも思えたものの、それを気にすることなく洋介は彼女との夢を見続けた。


「……はぁ」


 完全に白雪のことを諦めきれたわけではない。

 それでもポッと出なんてものではなく、全く警戒していなかった人間に最愛の幼馴染を奪われたことがとにかく悔しかった。


(あいつのせいだ……全部全部あいつのせいだ)


 嵐のことを思い浮かべると、自然と机に置かれているカッターに目が向く。

 こいつを使って奴の喉を殺せば全てが元通り……なんてアホなことを考えても、それを実行に移す勇気はなかった。

 白雪のことで狂ってしまった洋介であっても、流石にその辺りの自制は出来た。

 もちろんそんな大それたことが出来ない臆病な性格からかもしれないが、それでもやってはいけないことを我慢出来るという当たり前の感覚は確かにあった。


「認めるかよ……クソ……絶対に認めない」


 嵐に対して絶対の信頼を置く彼女を見ていると絶対に戻って来てくれないことは理解している……でも、それでも認めることが出来ないのはせめてもの抵抗だろう。

 ただまあ、こうやって何も行動を起こさないのも白雪は予期していた。

 そんな洋介のことをそれはそれで面白くないと思っているのも彼女の境遇を考えれば仕方ないが、ある意味でこれ以上のちょっかいを出そうと考えていない洋介の臆病が彼を結果的に救っていた。


▽▼


「……旅行かぁ」

「どうしました?」


 夕飯を済ませた後、俺はある雑誌を眺めていた。

 それは旅行におススメの場所が多数書かれているものであり、俺は何となく机の上に置かれていたそれを手に取ったわけだ。


「いや、旅行とか良いと思ってさ」


 思えば彼女たちと一緒に過ごすようになってから幸せなのはもちろんだが、どこか遠くに出掛けるようなこともなかった。

 それで思い出作りの一環としてこの雑誌を見ていて思ったのだ。


「旅行ですか。確かに遠出するようなことはありませんでしたね」

「そうね。こうして一緒に過ごすのが幸せ過ぎてこれ以上を望むことがなかったわ」


 それは俺も一緒だと頷いた。

 別にそう考えただけだったが、白雪と翡翠がこれはどうかと色々意見を出してくれたこともあり、その内旅行は必ずしようという話になった。


「少しお手洗いに行ってきますね」

「あいよ」

「いってらっしゃい」


 腕に感じていた柔らかさと温もりが離れた時、俺はとてつもないほどに……それこそ自分の半身が消えてしまったような感覚だった。

 最近は本当にこの感覚が顕著になってしまい、白雪と翡翠の思い通りになっているなと苦笑するが……これが後数年経ったらどんな風に二人に染められているのか、怖くもあるし少しばかりドキドキしている。


「ふふっ、段々と私たちの考えていた通りになってきたわね?」

「……そりゃなるだろうよ」

「良いことだわ。もっともっと引きずり込んであげるわね?」


 体育祭の借り物競争のことがあってから妙に翡翠が機嫌が良い。

 俺は随分と前から翡翠のことは白雪の母として見ている面はもちろんあっても、それ以上に大学生くらいのお姉さんに見えると伝えているので、特に新鮮味はなかったと思うんだがな。


「……あ、そうだわ」

「どうした?」


 ふと思い出したように翡翠がポンと手を叩いた。

 そこから伝えられた内容は俺にとって驚くには十分の内容であり、ある意味で俺がもう何者にも縛られることがないのだと知った瞬間でもあった。


「元家族さんたち……あなたの元お父さんとお母さん離婚するみたいよ」

「……え?」

「仕事の関係であちらの上司さんと話をする機会があってね。それで色々と聞かせてもらったのよ」

「……へぇ」

「もちろん私も色々と調べたわ。相変わらず彼の妻が鳳凰院に対して何もしないのかとしつこく言ったことと、息子が彼女と別れて荒れていること……そのようなことが多く祟って限界が来たみたいね」

「……………」


 俺が言うのもなんだけど、あの家族は歯車が嚙み合わなくなったらすぐにダメになるだろうことは予測していた。

 俺の知らないところで元家族がバラバラになるというのは……まあ、不思議と悲しいとか嬉しいとかそう言った気持ちはなく、驚く程度で済んだのは本当にもう彼らのことを気にしていないからだろう。


「ま、かなり荒れるでしょうね。どうなるか見物ではあるけれど、少なくとももうあなたにどうこう出来るような余裕はなくなったわ。もっとも、逆恨みなんかは警戒する必要があるけれど」

「……………」


 この場合、俺は何もしてないだろって言うのはダメなんだろうなぁ。

 結局彼らからすれば俺が何も変わらずに生きていれば、白雪と翡翠に出会うこともなく変化は起きなかったから。

 家族がバラバラになったのも、兄が彼女さんと別れたのも、母があそこまで癇癪を起したのも……妹は特にないけど、それを齎したのは間違いなく俺の行動だ。


「めんどいなぁ。でもその程度だよ――俺は何も思ってない」

「そうね……ってあら」


 取り敢えず難しいことを考えるのは止めだと俺は翡翠に飛びついた。

 ソファの上に押し倒した彼女の上から思いっきり覆い被さる……こんなことが出来るのも痩せたおかげではあるが、絶対に拒絶しない彼女にとにかく甘えるというこの行為が最近ちょっと俺の中でブームだ。

 もちろん白雪にも同じことをするんだけど、この圧倒的な母性に優劣を付けるなら惜しくも翡翠が勝ってしまう。


「軽くなったわね斗真君」

「だろ? 逆に筋肉が程よく付いてきたぜ?」

「そうねぇ。私と白雪もあなたに付き添って運動をしたからか、お腹の部分が少し硬くなったのよね。おっぱいは相変わらずふわふわだけどね♪」

「頼むからここは筋肉で硬くならないでくれ……ずっと柔らかく居てほしい」

「もちろんだわ。そもそもその領域まで行くつもりはないし、私たち程度の運動量では無理だから安心して?」

「分かった」


 この柔らかさが失われるのであれば筋肉なんていらない!

 ……って、女性の胸って筋肉で硬くなることあるのか? ……ちょっと寝る前に調べてみようと、俺は翡翠に胸にサンドイッチされながら考えるのだった。





【あとがき】


そろそろ完結!

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