私は全部分かります
「さてと、それじゃあご飯にしましょうか」
「そうっすね……えっと、翡翠さん」
「なに? あぁお礼は要らないわよ? もっと時間があったらもう少し選んであげたかったところだし?」
「……それ、卑怯ですよ。でも言わせてください、ありがとうございます」
あの後、翡翠と共に俺はまず服を見に行ったのだが……あれよこれよと言う間に翡翠に服を見繕ってもらった。
それなりに値段の張りそうな物も多く、当然俺の財布の中の金では厳しかったのだが、気付いた時には翡翠が既に全て会計を終えてしまっていた。
(この人……勢いが凄すぎるって)
途中から翡翠が全部金を払うんじゃないかと予想はしていたので、俺としてもそこまでしてもらうわけにはいかないと思っていたのに、彼女は一瞬の隙を突くようにして会計を終わらせてしまったので……うん、俺としてはもう受け取るしかなかった。
金持ちの勢いと言われたらそれまでだけど、やっぱり住む世界が違うなと思わされてしまう。
「嵐君」
「っ!?」
そっと、翡翠は俺の頭に手を置いた。
「あなたはどこか、人から何かを与えられることに対して申し訳なさを感じてしまうようになっているのね?」
「……それは」
「ふふっ、まずはそこから色々と変えて行かないとかしら。ううん、変えないといけないわね。私と白雪で教えてあげるからね? 受け入れる心地良さを、与えられる喜びをね」
それは甘い囁きのように俺の鼓膜を震わせた。
だが一つ訂正するなら俺は別に申し訳なさなんて感じてはいない……ただ、翡翠に困惑しているだけだ。
年上の女性としての圧倒的な包容力はもちろん、俺が感じているのはそれだけではなく……母が居たらこうなのかと、そんなことを感じてしまっている。
「荷物は後部座席に乗せておいて? それじゃあご飯に――」
ちなみに、翡翠さんの使う車は高級車だった。
何かの機会にテレビで見たことあるような気がするような車種で、もしかしたら何千万とする車なんじゃないかと逆に緊張してしまう。
ドアを開くだけでも緊張する中で、俺は買い物袋を座席に置いた。
「あの、翡翠さん」
「何かしら?」
俺は改めて翡翠に向き直った。
確かにこうして色々としてもらうことは申し訳なさを感じる反面、良い人に巡り合ったなと自分の幸運に感謝もするが……流石にされるばかりというのはあまりにも情けなくはないだろうか。
「ジムのことも、今回のことも本当にありがとうございます。翡翠さんはお礼なんて要らないって言いますけど、流石にされてばかりというのはちょっと……」
「そう?」
「はい。なのでもし何かあったら頼ってください。本当ならお返しに何かあげられたりしたら良いんですけど……」
「……うふふ♪」
もちろん翡翠だけじゃない、白雪にも同じことが言える。
俺が彼女たちにしてあげられることは何だろうか……こういう時に女性と付き合ったことがない経験が無駄に活きてやがるぜ。
「まあ、お礼なら既に受け取っているような?」
「……え?」
「あの時、とても美味しい物をもらったからね。ただ、白雪の後だったからちょっと薄味ではあったんだけど」
「……何の話っすか?」
「何でもないわ。取り敢えず本当に気にする必要はないのよ」
そう言って彼女は俺の腕を取った。
まるで恋人同士がするようなその行動に俺の心臓はバクバクと脈打ち、それを知ってか知らずか翡翠は行きましょうと俺と先導するように歩き出した。
「こういうことも初めてなの?」
「……………」
「顔が赤いし、反応で分かるわ――可愛いわね本当に。元々知っていたことだけど、あなたを染めるのは私と白雪だわ」
もうね、頭が熱すぎて彼女が何を言いたいのか俺には何も分からないよ。
それから翡翠に連れられたのは風格を感じさせる老舗だったのが、その入口を見て翡翠が苦笑した。
「どうしました?」
「いえ、流石私の娘だと思ってね」
「??」
どういうことなんだろうか。
腕に感じる圧倒的な膨らみに幸せと緊張を感じていたが、何故か一気に周りの温度が低くなったような錯覚を俺は覚えた。
次いで突き刺すような視線を感じたかと思えば、それは店の入口から……え? なんでそこに居るんだ?
「……白雪?」
そう、私服姿の白雪がそこに立っていたのだ。
俺と翡翠に向かってゆっくりと歩いてくる姿は魔王の凱旋に見えなくもなく、彼女はニッコリと微笑んだまま俺の目の前にやってきた。
「お母さん、何をしているんですか?」
「あら、白雪こそ何をやっているの? 私はこれから嵐君と二人で夕飯だったのよ」
「……………」
ギロリと、白雪は俺の腕を抱く翡翠を見つめた。
その瞳は昏い闇を携えており、どう考えても自分の母親に向けるような視線ではなかったが、それも一瞬で彼女はすぐにため息を吐いた。
「全くもう……本当に油断も隙も無い。まあでも、これでおあいこです」
「ジムの時のね」
「はい」
「……白雪? 翡翠さん?」
問いかけてみたものの、それ以上聞いてはいけない気がした。
翡翠だけでなく、白雪も伴って店の中に入り予め話は通されていたようですぐに奥に俺たちは向かう。
「……こういう店も中々来ないからなぁ」
いや、中々というか来ることは絶対にないだろう。
ヘルシー且つリーズナブルが売りの老舗、そうはいっても高級なものもあるようで俺からすれば無縁のような店である。
「いらっしゃいませ鳳凰院様、お嬢様も久しぶりです」
「こんばんは」
「お久しぶりです」
白雪と翡翠に挨拶をした店員さんだが、次に俺を見た。
その瞬間どうしてここに居るんだ場違いだろうと、そんな声が聞こえてきそうな視線を向けられてしまい、俺は他人事のようにだろうなと苦笑した。
「……あの子は要らないわね」
ボソッと、翡翠が何かを呟いた気がした。
それから部屋に通された俺たちは各々で食べたいものを頼むわけだが、俺としてはやはり色々と気遣って野菜多めのメニューを頼むのだった。
それから約一時間後――。
「ご馳走様でした」
俺は綺麗に完食していた。
リーズナブル且つヘルシー、しかしながら味は絶品と翡翠がここを紹介してくれただけのことはあって本当に美味しかった。
特に小さい鍋で運ばれてきた水炊きが最高だった。
「良い食べっぷりだったわね。見てて気持ちが良かったわ♪」
「その……マジで美味しかったです」
対面に座る翡翠もそうだけど、隣に座る白雪も食べ方の所作が美しい。
まるで一種の芸術品のように俺の目には映っているので、なんというかずっと眺めていても飽きない気分にさせられる。
「どうしましたか?」
「いや……その、翡翠さんもそうだけど所作が綺麗だなって」
「あ~そういうことですか。昔から何度も母に仕込まれましたからね」
「へぇ」
確かにすぐには身に付かないものだろうし、長年の賜物というやつなんだろうな。
それから俺は二人が食べ終わるまで、ゆっくりと熱いお茶を飲みながらのんびりと過ごしていた時だった。
翡翠がこんなことを聞いてきた。
「ねえ嵐君、答えづらかったら構わないのだけど……」
「何ですか? 何でも聞いてください」
「ありがとう。あなたはご家族のことをどう思っているの?」
「……………」
まさかここでそんな質問が来るとは思わなかったが、俺は素直に答えた。
「特に何とも思ってないですよ。仲が悪いのは今に始まったことじゃないし、それに離れて暮らしているのは気が楽で良いです。もしもあの家族の中にずっと居たとしたら気が滅入るでしょうから」
「……そう」
「それに、今の俺は本当に大丈夫です。先日妹に会ったんですけど、その時に色々言われても気になりませんでしたから」
「色々って何ですか?」
気になったのか白雪が聞いてきた。
俺はあまり気持ちの良い言葉ではないけど、本当に気にしていないからと伝えた。
「今のあなたは……ね、分かった。それだけ聞ければ良いわ」
「……えっと?」
「気にしないで」
気になりますけどね……。
それから翡翠さんは店長と少し話をしてくると言って席を外し、俺は白雪と二人きりになった。
「それにしても良く分かったな?」
「今日のことですか? 当たり前です――お母さんの話し方、雰囲気、巧みに隠そうとしても娘の私には全部筒抜けですから」
「……わお」
「それに、声の上擦り具合で嵐君が傍に居ることも分かりました」
「……どういうことなの?」
「さあ、どういうことでしょうか」
ちなみに、店に関しては電話を通して外から聞こえた呼びかけの声であったりを聞き取った結果らしい。
「それにしても……ふふ♪」
「どうした?」
「いえ、こうして友人である嵐君と夕飯を共にするのが楽しいと思ったんです」
そう言った白雪の笑顔はとても綺麗だった。
欲しいと焦がれ、けれども無理だと諦め……それでも手を伸ばしたくなる美しい彼女の微笑みに心臓がまた大きく脈動する。
「そういえば嵐君」
「なんだ?」
「今週の土曜日もジムに行きますよね? その後はどうします?」
「えっと……特に決めてないな」
「あ、でしたら私――あなたの家に遊びに行きたいですね」
「……うん?」
今、彼女はなんと言った?
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