第五話『夏期講習と文化祭準備』



 自宅へ戻った悠人は今まで隠していた事を全て打ち明けた事に心の底から安堵していた。しかし晴れやかな気持ちになったかといえば、そうでもなかった。重い話をしたのだ。菜乃葉は最後まで聞いてくれたが、もしかしたら庭へ来るのを躊躇うのではないか。そんな不安も心の隅に潜んでいた。

 しかし話した事に後悔はなかった。どの道悠人の話は庭に来る菜乃葉に話すべき事だった。もし話した事が原因で菜乃葉が来なくなったとしても話した事を悔いたりはしない。

(……来るよね)

 そう言い聞かせてはいても落ち着く事は出来ず、やはり不安は拭えなかった。悠人は支度をして布団に入ると朝の五時にアラームをセットして眠りについた。


 翌朝、居ても立ってもいられなかった悠人は目を覚ますとすぐに支度を済ませ庭へ向かった。いつも以上に足取りは速く、庭についてから我に返る。

 庭には誰もいなかった。それもそのはずである。今は朝の五時半だ。いくら菜乃葉でもこんな早朝に来る事はない。悠人は一旦冷静になるために庭の中には入らず、近くの公園で暇を潰す事にした。







 コンビニで買った朝食を公園で済ませた悠人は七時になると庭の方へ足を向けた。まだ来ていない可能性もあったが、公園で平静さを取り戻した悠人はとりあえず庭で待つ事にしたのだ。

 悠人の不安は的中する事なく、見慣れた姿が庭にはあった。菜乃葉は一人で気持ち良さそうに大きく伸びをしながら今日もいい天気だと呟いている。悠人の存在にはまだ気付いてない様子だ。

「朝から早いね」

 そのまま門を開け、庭へ入ると悠人の声に反応した菜乃葉は得意げな顔をして言葉を返してきた。

「あたしを誰だと思ってるの」

 当然よと言いながらまるで褒められたかのような顔を見せてくる菜乃葉は紛れもなくいつもの菜乃葉だ。ここまでくると逞しささえ感じてくる。悠人は先程までの不安が杞憂で終わった事を内心喜んでいた。

「昨日あんな話したから来ないと思った」

 正直に言ってみる。だが表情に変化は見せない。焦っていた事は菜乃葉に知られたくないからだ。すると菜乃葉は呆れたようにため息を吐くと悠人に声を発した。

「なによ、来ないでほしいの?」

 そして悠人の方へ身体を向けると再び口を開く。

「別にあたし、悠人くんに会いに来てんじゃないのよ?」

 この言葉を聞いて悠人は思わず口元が緩んだ。それはよく分かっているし望んでいるわけでもないからだ。菜乃葉の遠慮のない言葉に「オレそんな自意識過剰じゃないよ」と答えると菜乃葉は不思議そうな顔をして悠人の顔を見てくる。悠人は菜乃葉の下腹部当たりに焦点を当て、指を差して声を出した。

「おねーさん虫が止まってるよ」

「え!? ちょっとそれ早く言ってよ!!」

 勿論嘘なので、悠人はすぐに種明かしをする。

「うそだよ」

 どこ!? と言いながら慌てふためく菜乃葉の姿はその悠人の一言ですぐに切り替わる。菜乃葉は眉根を吊り上げ悠人を睨みつけてきた。

「なんなのよー! 人の事からかって!!」

 怒ってはいるが、憤慨している様子はない。怒る素振りはあっても嫌がっている風にはみえなかった。たまにはこんな戯れがあってもいいだろう。そんな事を考えていると菜乃葉はまたもや声を張り上げて言葉を発してきた。

「学校でも女の子にそんな事したら嫌われちゃうわよ!」

 それは全く悠人に支障のない事だった。それ以前に悠人が異性をからかうのは菜乃葉しかいない。からかおうと思うのは菜乃葉だけだからだ。

「しないよそんな事。アンタだけ」

 悠人は微笑しながら正直に告げる。すると呆れた菜乃葉は「ったく」と言いながらガキねと小言を口にした。菜乃葉の様子は初めて出逢った時と何ら変わりがない。悠人はそれが嬉しかった。同情したとしても、特別扱いなどせずただいつも通りに接してくれる菜乃葉の態度が悠人は何よりも嬉しいのだ。あの話をしたからといって優しく接するわけでも余所余所しいわけでもない。悠人はそれが心の底から喜ばしかった。

「じゃ、オレ帰るから」

 満足した悠人はしかし顔には出さずそのまま菜乃葉に背を向け帰ろうとする。だが菜乃葉は「あ、ちょっと」と悠人を珍しく呼び止めてきた。

「何?」

 振り返り菜乃葉にそう問い掛けると菜乃葉は突拍子もなくある事を告げてくる。

「あたし当分文化祭の準備で行けないから」

 まさかここで文化祭の単語が出るとは思わなかった。なぜなら今は七月で夏休みだからだ。夏休みに文化祭の準備があるのは聞いた事がなかった。しかし菜乃葉が嘘をついているようにも見えない。そして悠人には他にも疑問な事があった。

「なんでオレに言うの?」

 前のキャンプ合宿の時も菜乃葉は悠人に三日間来なくなると宣言をしていた。最終日に庭に来たので正確にいえば二日間だったが。わざわざ悠人に伝える義理があるのだろうか。

「なっ」

「いっ一応よ、いきなり来なくなると変でしょ」

 菜乃葉はカワイクない! と文句を言いながら悠人に渋い顔を見せてくる。聞いてはみたものの悠人は正直、菜乃葉がこうして来ない事を教えてくれるのは有り難かった。菜乃葉が来ない日が分かっていれば期待する事もないからだ。だが素直になりたくない悠人はわざと菜乃葉を煽り立てる。

「別におねーさんは元々変だから何があっても気にしないけど」

 これは正直強がりだと思う。菜乃葉が来なくなるだけで悠人は内心穏やかではいられない。自分で言っておいて悠人は自分に呆れていた。しかし案の定、煽られた菜乃葉はあからさまに表情を変えて「何よそれ!」と怒りを露わにした。そして急に足を動かすと門の方へズンズン歩いていく。

「言ったあたしが馬鹿だった」

 そう言いながら菜乃葉は悠人の前を通り過ぎていく。この勢いだと門を出るつもりなのかもしれない。

「あれ帰るの?」

「帰る!!」

 どうやら煽りすぎたようだ。菜乃葉は本当に門を開けるとそのまま勢いを止める事なく庭を後にした。しかし荷物などは庭へ置かれたままだ。恐らく悠人が居なくなった後にまた来るつもりなのだろう。それともあまりの怒りで荷物の存在を忘れている可能性もあるのではないか。そこまで考えて後者の方が的を得ている予感がした。

 悠人は放置された荷物を手に持ち菜乃葉を追いかけた。まだ数分しか経っていないので菜乃葉の姿はすぐに見つける事ができた。菜乃葉は不服そうに受け取っていたがありがとうと小さく言うとそのまま振り返る事なく去っていった。悠人が生意気な態度を取ったので当然だろう。

 しかし本来なら満喫できるはずの庭の時間を壊してしまったのは悠人も本意ではなかった。悠人は心の中で反省をする。明日会えるなら謝罪したいところだが、明日から菜乃葉は来ないというのは致命的であった。

 こんな時に連絡先を知っていればと思ったが、菜乃葉に連絡先を聞くつもりはなかった。知ってしまえば、欲が増すからだ。叶うかどうかも分からない恋なら、変に期待はしたくない。菜乃葉に想い人がいる以上は、高望みはできない。それに菜乃葉に会えるなら知人としてだけでも満足しているのだ。連絡先は知りたいが、知りたくない。悠人はそんな矛盾を胸に抱きながら自宅へ戻った。







 夏休みでも制服を着て学校へ行く必要があった。夏期講習のためである。受験生ではないため、強制力のある夏期講習ではないがこれに関しても祖母に勝手に申込みをされていた。無断で申込みをされた事に多少の不満は感じていたが、悠人も特に予定がないため大人しく従う事にしたのである。洋一も母親に無理やり申し込みをされたようで、「夏期講習とかめんどくせー」と言いながら椅子に腰掛けていた。

「なんかおもしれー事ないかなー」

 洋一は一人で何やら小言をぼやいている。悠人は特に反応せずそのまま洋一の席を通り過ぎようとすると洋一は突然席を立ち大声を上げる。

「そーだ!! 大田おおた高の文化祭行かね!?」

 洋一は明るい口調でそんな事を言い出してくる。そして悠人の方を見て洋一は楽しげに話を続ける。

「なあ悠人! 行こーぜ!!」

「夏休みに文化祭?」

 悠人は誘いの答えは出さず、念の為問い掛けてみる。最近文化祭という単語を耳にしたばかりなので何となく気になるところがあった。

「そうだよ! 夏休みにやる有名な文化祭だよ! 毎年楽しいって評判の!」

 洋一は意気揚々と説明をしてきた。どうやら洋一はその文化祭には行った事があるようだ。悠人は夏休みに文化祭というキーワードに嫌な予感が湧き上がる。

(まさかな)

 菜乃葉は文化祭の準備で暫く来れないと言っていた。七月なのにだ。夏休みに文化祭をするとは言っていなかったが、二学期に文化祭をするなら新学期に入ってからか早くても八月から準備を始めるだろう。なので七月から準備を始めるという事は夏休みの間に文化祭が行われる可能性が高い。

「ちなみにここらへんの高校で夏休みに文化祭すんのはそこだけだぞ!」

 洋一は得意気に笑うとレアなんだよと言ってからニッと歯を見せてくる。洋一のよくする笑い方だ。

「ふーん」

(やっぱそうだった)

 菜乃葉の通う学校はどうやら夏休みに文化祭を行う大田高等学校のようだ。菜乃葉が所属する学校に興味はなかったが、行ってみるのも悪くないかもしれない。菜乃葉が学校でどんな様子なのかには興味があった。

「まあ、行ってもいいけど」

 そう答えると洋一は分かりやすくガッツポーズをして「よっしゃー!!」と大きな声ではしゃぎ出す。もう少し声のボリュームを下げてもいいのではと思うが、そもそもクラス中が騒がしいので洋一が下げたところで効果はないかもしれない。

 すると突然洋一の背後から山咲が「あの……」と声を掛けてくる。山咲とは肝試し以来、会話をしていない。

「私も行っていい?」

(なんで?)

 悠人は心底不思議だったが、特に断る理由もなかったので「別にいいけど」と端的に答えた。不思議には思うもののその意味を考えるまでは山咲への関心はなかった。その場にいた洋一も予想外だったのか珍しく狼狽えた様子で暫く山咲を一見していた。山咲は「あ、ありがと」と口ごもりながら軽く笑うと予鈴の音と共に席へと戻っていった。







 大田高の文化祭は八月上旬に行われるらしい。それまでは菜乃葉も庭に来ないという事だ。菜乃葉ほどの庭オタクなら数分でも癒されに来そうなものだが、何か理由があるのだろうか。

 悠人も菜乃葉が庭へ来ないなら行く理由がないのだが、菜乃葉が庭を好いている姿を幾度も目にした事で、最低限の管理くらいはしておこうという気持ちが強くなっていた。

 菜乃葉と接していると、植物への興味も増している気がする。元々悠人も植物への関心を持ち合わせているが、菜乃葉には到底及ばない。最低限の管理を終えれば少し植物の様子を見てその場を離脱する。長居したいと思った事はなかったのだ。それくらいの関心だ。

 だが一人ではなく、他の誰でもない菜乃葉と二人で過ごしていると悠人はもっとこの空間にいたいと思うのだ。それは彼女に好意を示しているからなのだが、それだけではない。彼女が心の底から庭を楽しんでいるその空気感が悠人にとって心地よいからである。

 それらの理由から悠人は今まで通り三日に一度の頻度で庭へ来ては水やりを行なっている。正直に言うと菜乃葉に会いたい気持ちはあったが、この先来なくなるわけではないため悠人は希望を持つ事ができた。

 文化祭には行く事になったが、菜乃葉に顔を合わすつもりは毛頭ない。悠人が文化祭へ行った事が知られればいつもの様に質問攻めをしてくるだろうし、文化祭に興味本位で遊びに来たと思われたくないからだ。つまり菜乃葉に出会すと面倒なのである。ただ、菜乃葉が普段学校でどのように過ごすのか興味があるのも確かだった。彼女にバレずに見つけられればいいのだが、それに関しては完全に運任せだ。躍起になってまで探すつもりはない。当日は洋一に合わせて行動する予定である。

「席つけ〜」

 予鈴が鳴り、夏期講習の授業が始まる。悠人は授業の内容に耳を傾けながら菜乃葉のことを思い浮かべる。そして次に菜乃葉のいない庭を思い浮かべる。それだけで、悠人の気持ちは分かり易い程に気分が下がっていた。確かに文化祭後の希望は持っているがそれまでまだ数週間もある。悠人は自分がどれだけ菜乃葉に魅了されているかに気付く。ここまで自分が恋愛馬鹿になるとは思いもよらなかった。悠人は小さくため息を吐くと強制的に頭の思考を外に追いやり授業に集中する姿勢をみせた。





第五話『夏期講習と文化祭準備』終



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