第11話 女性陣の着替え待ち
ユキさんは食べ終わった食器を下げに来たようだ。
器用にお皿を持ちながら、優羽さんに声を掛けている。
「優羽、そろそろ着替えてきたら」
「そうですね、では控え室に行きましょうか」
優羽さんは立ち上がりながら、九条さんとヒヤヤッコに笑顔を向けていた。
「はい! 楽しみですね、玲香さん」
「う、うん、楽しみ……だね」
同じく笑顔の九条さんと、どこか恥ずかしそうなヒヤヤッコ。
3人はカウンターの奥にある扉へと消えていった。
先ほどユキさんに聞いたのだが、3人ともここでバイトするという話があるらしく、制服の新調を考えているそうだ。
先日試着用の制服が届いたとかで、これから優羽さんたちが実際に着てこの店のイメージに合うか確認するのだとか。
つまり彼女たちはもともと入学式のあとこの店に来ることになっていて、俺とマコトはクラスが同じだったので誘ってもらえたというわけである。
しかし女性陣がいなくなり、6人席でマコトと2人きりになった。
さすがに寂しい。
「ふふっ、2人とも退屈でしょ。これでも飲んで、大人しく待ってなさいね」
そんな空気を察したのかユキさんが食後のコーヒーを持ってきてくれた。
サービスのようだが、もし支払いを求められても喜んで払うだろう。
なんといってもユキさんが淹れてくれたコーヒーは、その存在自体が素晴らしい。
まずは香りを楽しもう。
カップに鼻を近づけ、くんくん香りを確認する。
うむ、やはり香りは好きだ。
そして味は……味は……。
そうだねえ。
まあ……。
ユキさんの淹れてくれたコーヒーだから俺は当然好きだけど、俺の舌は嫌ってるみたいだ。
舌だけ切り離すつもりは無いから、これから時間を掛けて教育しないといけない。
「しかし、席があのままだったのはラッキーだったな」
「……そうだね。担任の先生、意外と話が分かる人だった」
コーヒーカップを手に話しかけてくるマコト。
彼が言っているのは入学式のあと教室で適当に座った、あのときのことだ。
男女の列だけは黒板に書いてあったからそれに従ったが、席の指定は無かったので窓際後ろ側の席を確保したのだ。
どうせ最初のオリエンテーションで席決めがあってすぐ変わるだろうと思っていたが、担任の先生は教室に入って一言『面倒だからそのままの席でいく』と宣言していた。
「話が分かるというか、雑というか。しかし、やっぱこの学校は真面目なのが多いよ。好きに座れって言われたら、普通後ろの席なんて最初に埋まるだろ。俺たちが教室に入ったとき前から埋まってたから、そういう並び方かと思ったぞ」
「ヒヤヤッコも最初は前の席に向かってたからね。お嬢様の習性なのかな」
「…………」
マコトは返事をせず、ユキさんを見ていた。
俺もつられてユキさんに目を向ける。
常連のお婆さん3人組となにか話しているようだ。
「……ところでナオよ。お前、担任の女性教師のことをどう思った」
マコトはこちらに顔を寄せると、声を潜めそんなことを言ってきた。
ユキさんが聞いていないか確認したのは俺への配慮なのだろう。
マコトはどうも、俺が恋愛的な意味でユキさんに好意を持っていると勘違いしている節がある。
つまりこれはそういう意味も含んだ質問なわけだ。
「月島先生のこと? どうって言われても……。メガネかけてるなあってくらいだよ。あとポニーテールだなあ、とか?」
実際その程度の印象だ。
あえて付け加えるなら見た目が美人な分、性格がキツそうな感じはあったが、席決めを見た限りでは大雑把でゆるそうでもあってよく分からない。
なんにせよ今の段階で好き嫌いを言える状況ではなかった。
「俺が独自に入手した情報だと、あれは伊達メガネのようだぞ。しかし、この分だとお前がライバルになることは無さそうだな」
マコトは満足そうに腕組みし、頷いている。
ライバルと言うのは恋敵という意味だろうか。
だとすれば正直意外だった。
「ああいう年上の人、苦手じゃなかったっけ」
マコトの好みは「優しい人」とか「裏表の無い人」とかだったはずだ。
彼には姉がいるのだが、性格がキツくそれでいて表面上は可愛く振舞うタイプだった。
その影響で似たタイプの人も嫌っているわけだが、担任の先生も見た目の印象だと「性格がキツイ」系列に入る気がする。
「そりゃ、昔はそうだった。しかし俺も人生経験を重ね、ようやく理解した。優しい人が優しくいられるのは、心に余裕があるからだ。心の余裕がなくなれば、人はみな性格が悪くなる。そのとき元々のイメージが良いほうが落差が大きくて辛いのだよ」
しみじみと語るその姿に、違和感があった。
以前のマコトはこんな大人びたことを言う人間ではなかったのだ。
「なんか、妙に実感がこもってない?」
「ふふふ、悪いなナオ。一歩先に行かせてもらった。お前より先に、俺は大人になったぞ」
どこか自慢げに、遠くを見るマコト。
彼の言葉が意味することは、まさか……。
「……恋人ができたの⁉」
「ああ、その通りだ! 中1の春にクラスメイトの女子に告白して見事成功! そして2週間でフラれた……」
展開が早いな……。
これでは手を繋いだかも怪しい。
とはいえ俺にも伝えなかったところをみると、結構本気で好きだったのかもしれない。
「それ、俺も知ってる子?」
「いや知らないと思うぞ。小学校も違ったし、高校も他所に行ったからな」
マコトは遠くを見つめたままだが、先程とは違い少しだけ寂しそうだった。
「その子は一見、優しくて大人しくて守ってあげたくなる、そんな感じに見えたんだ。ただ、実際は違った。俺がもっとも避けたかったヒステリックなタイプで、しかも勝手な想像で俺を責めてくるんだ。そのときの怒りようといったらすごいぞ」
「聞いてるだけで、面倒そうだね」
「ああ、まさかああも豹変するとは思わなかった。しかし、同時に大事なことを学べたわけだ」
「それが、さっき言ってたやつ? 落差があるとキツいっていう」
「ああ、そうだ。優しいと思っていた子が怒鳴り散らす姿をみるのは、しんどかった。その点あの担任の先生はどうだ。正直、彼女の性格が悪くてもショックは受けん。姉ちゃんと似たあの雰囲気からすると、裏の顔だってろくでもないだろう。だがな、ナオよ。もしあの先生が少しでも甘えてきてみろ。……スゴいと思わないか?」
「なるほど、スゴい」
ちょっと想像してみたが、マコトが言いたいことはよく分かる。
担任の月島先生はキリッとしていてクールビューティという感じだが、声が意外とかわいかったりする。
2人きりのときに優しく微笑んで甘い言葉をささやかれたら、俺の心は簡単に蕩けてしまうだろう。
「あんまり誘惑しないでよ。俺、結構惚れっぽいんだから。ワルミちゃんへの気持が揺らいだらどうするのさ」
もちろん、これは冗談だ。
いくら惚れっぽい俺でも、この程度ではワルミちゃんへの気持ちが揺らぎはしない。
軽口の範囲でしかない……のだが、マコトは急につまらなそうに口を歪めた。
「ワルミちゃん……ね」
否定的な感情が見えた。
マコトにしては珍しい。
俺がワルミちゃんの話をしたことがあるのは彼くらいだった。
ワルミちゃん本人があまり人に話すなと言っていたのだが、ついポロっと口が滑ったのだ。
当時は単なる双子と思っていたので、内緒にする意味が分からなかったせいもある。
なんにせよ、昔はマコトも特にどうこう言っていなかった気がするが……。
「ところでナオよ、話は変わるんだが」
俺が考えている間に、マコトはいつもの気楽そうな笑顔を浮かべていた。
「ヒヤヤッコだけどさ、美人になったと思わないか?」
「え? 前から美人だったよ」
そう言うと、マコトはニヤニヤし始めた。
「だってそうだったじゃん」
なんとなくムキになってしまう。
だが実際、彼女の透明感のある綺麗さに思わず見惚れてしまうことは小学生の頃からあった。
当時の男子からの人気も、優羽さんと
「いや、すまんすまん。バカにしてるわけじゃないんだ。単なる前振りのつもりだったのに、思ったより良い返答だったからついニヤついてしまった。あーそれで、本題はな……」
マコトは妙に言葉を溜めながら、彼らしくない真面目な表情を浮かべている。
「ヒヤヤッコのやつ、中学のときに告白されたらしいんだ。それもかなりのイケメンに」
「へえ、良かったねえ、ヒヤヤッコ」
「……で、どうなったと思う?」
「付き合って別れたとか?」
少なくとも今付き合ってる感じではない。
となれば、別れたのだろう。
「……いや、付き合ってない。『好きな人がいる』とか言って断ったらしい。ヒヤヤッコは中学でも男子人気があったから、好きな奴ってだれだって話題になったよ」
「あー、ヒヤヤッコは人気あるだろうね。俺だって、誰が好きなのか気になるし」
「……うん、そうだな。気になるな、うん」
俺が返事をするたびにマコトのテンションが下がっていくのが分かったが、なぜそうなるのかが分からないのでどうしようもない。
掘り下げたほうがいいのだろうかとマコトの様子を眺めていると――。
「お、着替えが終わったみたいだね」
ユキさんの声で、女性陣が戻ってきたことに気付いた。
優羽さんを先頭に、九条さん、ヒヤヤッコと順番にカウンターを出て、俺たちの近くまで来る。
当然、俺はそんな彼女たちを眺めたわけだが……。
……いやしかしこれは、なんというか、こう……。
――スゴイ!
男として見逃せない素晴らしい光景だ!
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