第9話 入学式のあと、教室で

「一緒のクラスになれるなんて、夢みたい……」


「俺だって、同じ気持ちさ、マイハニー」


「……なぜに五・七・五調なんだ……?」


 前の席に座ったマコトが振り向くと同時に乙女のようなことを言ってきたので、俺も適当に返事をした。

 ちなみに五・七・五調になったのはたまたまだ。


 長い入学式が終わり俺たちは教室にいる。

 俺が座っているのは、窓際の一番後ろという特等席。

 担任の先生はまだ来ていないので、クラス中がざわめいていた。


「はいはい、じゃれあわないの。そもそもマイハニーってなに?」


 少し呆れたように隣の席からヒヤヤッコが声を掛けてくる。


 肩まで伸びた青みがかった黒髪に、美しく整った顔立ち。

 優羽さんが美人なお姉さんタイプだとすれば、ヒヤヤッコは美少女中学生という感じだろうか。

 ヒヤヤッコからは少しだけ幼さを感じるのだ。


 バスから見かけたときにも思ったがヒヤヤッコの見た目の印象は昔とあまり変わらない。

 ただ話し方は昔とかなり違う。

 小学生の頃はもう少し恥ずかしがっていたというか、人見知りでオドオドとした感じだった。

 それが今では堂々としたものだ。

 中学の間にヒヤヤッコも成長したのだろう。

 もっともマコトの情報によると内面はそこまで変わっていないようだが……。


 俺はそんなヒヤヤッコに向けて、とびっきりの笑顔を披露した。


「マイハニーっていうのは俺にとって大事な人のことさ、マイハニー」


「私までっ、巻き込むなっ!」


「グエッ!」


 ヒヤヤッコがチョップをしてきた。

 俺の頭に軽く当てるつもりだったのだろうが、力加減を間違えたようだ。


 意外と痛い。


 奇声を上げてしまった俺はそのまま頭を抑え、顔を伏せる。

 なんとなく涙目になる予感がして、表情を見られたくなかった。


「ご、ごめんね? 強かった?」


「い、いや、痛い振りをしただけだから」


 ヒヤヤッコがわざわざ床に膝をつき俺の顔をのぞき込んできたので、こちらが慌ててしまう。

 彼女はこういうのを気にするタイプだ。

 何事もなかったことにしておこう。


 顔を上げるとマコトがニヤニヤとこちらを見ていた。


「おいナオよ、顔が赤いぞ」


「うるさいな、美少女の顔が急に近くにあって驚いたんだよ」


「はいはい、言ってなさい」


 そう軽く言いながらもヒヤヤッコの顔が赤くなっている。

 彼女は褒め言葉に弱く、ちょっとしたことでもすぐ赤面するわけだが……。

 なるほど、こういう所は変わっていない。


 それにしてもこの3人で集まるのは小学生の頃以来なのに、あっという間に馴染んでしまった。

 すごく居心地が良い。


「ふふ、皆さん楽しそうですね」


 そんなとき、聞き慣れた声がした。

 優羽さんだ。

 ヒヤヤッコの前の席に座る彼女は背筋をピンと伸ばし、こちらを見て上品に微笑んでいた。


「いやあ、優羽ちゃんと一緒のクラスでホントうれしいなあ」


「私だってそうですよ、玲香れいかさん」


 玲香というのはヒヤヤッコの本名だ。

 ヒヤヤッコと優羽さんは可愛らしくハイタッチをしたかと思うと、そのまま指を絡ませて手を繋ぎ、えへへと笑いあっている。


 マコトが言っていたことを、ふと思い出した。


「なんか2人仲良くなってる? 昔はそうでも無かったよね?」


「まあそうかな。中学校に上がってから仲良くさせてもらってるんだ。ほんっとーに助かったよ」


 ヒヤヤッコは優羽さんをニコニコと見ている。

 だがマコトはそんなヒヤヤッコに対して不満そうな表情を浮かべていた。


「なーにが助かった、だ。聞いてくれよ、ナオ。ヒヤヤッコは酷いんだぜ。ナオがいなくなった途端、俺のことはポイ捨てで女同士で遊びだしたんだ。俺の寂しさ、分かるだろ」


「ああー、地味にキツイね。心にクるやつだ」


 マコトの愚痴に同意すると、ヒヤヤッコが慌てたように左手をブンブン振っていた。


「いやいやだってさ、男女2人だけで遊ぶって、それもうそういう感じで見られちゃうじゃん? その……変な感じにさ!」


 ヒヤヤッコは相変わらず恥ずかしがり屋なようだ。

 恋人とかそういうワードを避けるので、微笑ましくなる。


「な、なに? なんでニヤニヤしてるの?」 


「いや、いつまで手を繋いでるのかなって思って」


 実際に考えていたこととは違うが、適当に話を逸らした。

 ヒヤヤッコは無意識だったようで、繋いだ右手を慌てて離している。


「ごめんね、優羽ちゃん! その、手触りが良かったのでつい!」


「ふふ、別に構いませんよ。むしろもっと繋いでいたかったですね」


「ああぁ、ホントに天使ぃ」


 うっとりとした顔で机に突っ伏したヒヤヤッコ。

 優羽さんはそんな彼女を優しい目で見ている。


 これも微笑ましい光景ではあるが、優羽さんの喋り方や振る舞いに違和感があった。

 優羽さんは昔からお淑やかではあったが、さすがにここまで丁寧ではなかった。

 家での様子を考えても、学校ではかなり猫を被っているようだ。


「ところでナオ君、中学時代にできた私の親友を紹介しても良いですか?」


「え? うん、もちろんいいよ」


 優羽さんは今思いついたという感じで言ってきたが、おそらく初めからその話をするつもりだったのだろう。

 優羽さんの前の席に座る大人しそうな女生徒がこちらを見ていた。


 優羽さんはそんな女生徒を手で示し、「九条くじょうヒメルさんです」と極めて短い紹介をしてくる。


 ……とはいえそんな紹介でも必要なことはほとんど伝わった。


 見た目でいえば九条さんは長いふわふわとした金髪が目を引く、小柄でほんわか可愛いお嬢様という感じだ。

 そして名前からいくとあの『九条財閥』の関係者。


 ……そうなのだ。

 お嬢様という感じもなにも、九条さんは生粋のお嬢様。

 そしてそのことを知らない人間はこの学校にいないだろう。

 俺が知っていたのだから、これは間違いの無いところだ。


「あ、あの……よろしくお願いします」


 九条さんは緊張感たっぷりに頭を下げてきた。


 …………。


「ちょい、ナオ君見過ぎ。ていうか視線、露骨すぎ」


 なんとなく心配になる感じの子で見守っていただけなのだが、ヒヤヤッコに胸を見ていると勘違いされたようだ。

 確かに小柄な割には大きいが、さすがにそんなところを見つめたりはしない。


「変な事言わないで欲しいな。上品な仕草に見惚れてたんだよ」


「はいはい、そういうことにしておきますよ」


 ヒヤヤッコはそう言いながら、俺の頭に軽くチョップをしてきた。

 やはり疑われているようだ。

 ……というかもしかして自覚がなかっただけで、俺は九条さんの胸をがっつり眺めていたのだろうか。

 可能性は否定できない……。


「おら、2人ともいちゃつくな。九条さんが困ってんじゃん」


 悩んでいるとマコトがツッコミを入れてきた。

 いちゃついてるかはともかく、九条さんを放置するのは確かに良くなかった。


「あっと、ごめん。俺は桐生ナオ。優羽さんともヒヤヤッコとも友達なんだ。だから九条さんとも友達になれるといいなって思ってる。とりあえず俺のことは、みんなと同じようにナオナオって呼んでよ」


「おい、ナオよ。そういう初対面じゃ伝わらないボケはやめておけ」


「はい分かりました、ナオさん」


「そしてマイペースだな、九条さんは」


 マコトが1人ツッコミを入れている。

 これはツッコミ担当である彼ならではのコミュニケーションの取り方だ。


 俺はウンウン頷きながら、九条さんと握手するため右手を伸ばした。


「よし、マコトのツッコミを無事に受けたね。これで俺たちは仲間だ」


「俺はこのグループでどんな立ち位置なんだ……?」


「凄いですね、マコトさんのツッコミが止まらないです」


 九条さんは目を閉じ感心したように首を横に振っていた。

 マコトの言う通りマイペースというか、意外と馴染むのが早いタイプのようだ。

 この感じなら、人見知りの俺でも仲良くなれるだろう。


「マコトは貪欲だからね。ツッコミを入れながら俺の手を握るというボケも入れてくるんだよ」


 俺が伸ばした右手は、九条さんに届く前にマコトの右手で回収されてしまった。

 もっとも本気で九条さんと握手する気はなかったので、これはマコトの優しさともいえる。


「ご覧の通り、ヒメルさんはちょっと人見知りなところもあるんですけど、一緒にいると凄く楽しい子なんです。2人も仲良くしてもらえたらと」


 優羽さんも俺たちと九条さんのやり取りを見てホッとしたようで、保護者のようなことを言っていた。

 そしてそんな優羽さんを笑顔で見つめるヒヤヤッコ。


「ヒヤヤッコは九条さんと仲良いの?」


 なんとなく気になったので聞いてみた。

 小学生の頃から交流のあった優羽さんと違って、九条さんとは中学校で初めて会ったはず。

 人見知り同士、上手くやれているのだろうかと俺も保護者のような目線になっていた。


「んー、私? 仲が良いつもりだよ。もともとは中学のとき優羽ちゃんとヒメルちゃんの仲良し二人組に混ぜてもらったんだよね。邪魔になっちゃうかなってちょっと気が引けたんだけど、勇気を出して声を掛けて良かったよ」


 なるほど、基本的に3人で遊んでいたわけか。

 それならきっと優羽さんが上手くフォローしていたのだろう。

 俺たちに九条さんを紹介してきたところを見ても、意外と優羽さんはお節介焼きな所があるようだ。


 そしてそんな状況ではマコトが入り込めないのも仕方がない。

 俺だってこんな美少女3人が遊ぶところに、男1人で紛れ込む勇気は無かった。


 そうやって中学時代のマコトに同情していると。


「ところで提案なんですけど……」


「提案?」


 声を上げたのは優羽さんだ。

 提案と言いつつ、彼女が見ているのは俺とマコトだけ。

 九条さんにもヒヤヤッコにも視線を向ける様子がないことには違和感があったが、とりあえず話の続きを聞く。


「今日は学校が午前中で終わりですよね? 親睦を深めるためにも皆さんで昼食をご一緒できたらな、と」


「あー、そうだねえ……」


 優羽さんの提案はかなり魅力的だったが、即答はできず言葉を濁してしまう。

 この美少女3人と一緒に行動すると、クラスの男子から一気に嫌われそうな予感があった。


 ……いや、だがそんなこと気にする必要はないか……?

 だって今の俺にはマコトがいるのだ。


 クラスの男子全員と仲良くなれるわけでもないし、マコトがいれば今後クラスで行動するときもボッチになることはあるまい。

 確認のためにマコトを見たが、彼は気軽に「おー、いいねー」などと言っていた。

 マコトも行く気があるのだから、なんの問題もないか。


「じゃあそうしようか。それでどこに行くの? 私服に着替えてからだよね」


 たしか、放課後に制服のままで遊ぶのは校則で禁止されていたはずだ。

 入学初日から破るわけにはいかないだろう。


「そうですね、教科書も持ち帰らないとですし、お家で着替えて来て下さい。そして、場所ですがもちろん……」


 優羽さんは途中で言葉を切ると、こちらをにっこりと見てきた。

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