私の考えてること、教えて欲しいんです!
@C07
第0話:思考洞察
緊張と静寂に支配された空間。窓から指す光が漂う埃を照らす教室の中央では、2人の少年が机越しに顔とトランプを突き合わせていた。一方の手にはダイヤとスペードのエース、もう片方の手にはハートとスペードのエース、そしてジョーカーが握られている。
そんな2人を挟んだ教室の両端には2人の少女と2人の少年が対面する少年2人の戦いを見守っていた。
勝負は至極簡単なもの。相手が持っている3枚カードの内、絵柄が合うカード、つまりスペードのエースを引いた者が勝ち。先に3回勝った方が勝負に勝利するというものだ。
そして、現在の戦況は互いに2勝2敗。今回の勝負で勝敗が決まるという場面。2枚のトランプを持つ少年が緊張に汗を浮かべる一方で、3枚のトランプを持つもう1人の少年は悠然とした態度で椅子に座っていた。
「人間っていうのは基本的には単純な生き物なんだよ」
相手を蔑むように座る少年『東あずま 信二しんじ』の言葉に、汗を浮かべる少年『中田なかた 優也ゆうや』はギロリと目を向ける。その様子に信二はにやりと笑ってみせると、更に言葉を続けた。
「自分が優位なときは饒舌なくせに、窮地になった途端無口になる」
嘲笑うような口調に優也の眉間にわずかな皺が寄る。自制を孕んだその皺を笑うかのように滴る汗は眉間にできた筋を沿って流れ落ちる。その様子に信二はその口角を更に上げた。
「特にお前はそれが顕著に現れる。2回目の時と今の態度の違いがいい証拠だよ」
挑発的な信二の発言に優也の眉がピクリと反応する。歯を食いしばり、頭に登る血と滴る汗を必死に抑える。見え透いた挑発に乗るほど優也は馬鹿ではなかった。
(落ち着けよ俺……。最初の2回は俺が勝ったんだ。お互い2勝2敗、後1回勝てばそれで俺の勝ちなんだ。冷静になれ、相手だってここで負ければ終わりなんだ)
優也は自分に言い聞かせ、信二にふてぶてしい笑みを見せた。
「安い挑発だな。そんなのに俺が乗るとでも思ってんのか?」
「別に挑発なんてしてないさ。ただ事実そうあるだけの話だろ?」
苦笑いを浮かべる優也の言葉を見下すように信二は言葉を返す。無意識に目を細め睨む優也に対し、信二は更に言葉を続ける。
「弱い自分を守るために虚勢を張って、自己暗示をかけて。そうしないと自分を保てない」
不敵に笑いながら信二は優也の額に流れる汗を見つめる。見下すように、嘲るように。全てを見透かしたようなその態度が優也の焦燥をかき立てていった。汗が眉間の皺を伝い、口元を通って机に落ちる。小さく響く荒い息が周りにいるの少年と少女たちの手を強く握らせた。
「自分が上にいないと安心できない。他者の不幸を知らないと幸福になれない。他人を踏台にすることでしか自己を肯定できない。愚かな生き物だよ、本当に」
静寂とした教室に信二の言葉が次々にこだまする。それはまるで目の前の少年だけでなく、この場にいる人間全員に言い聞かせるような呟きだった。
「……あぁ、そういえば、今のお前にちょうどいい言葉があったな」
皆が一様に険しい顔をする中、言葉を続ける信二は思い出したような素振りで笑みを深める。嘲笑うための笑み、理性を削るための視線を向け、煽るための言葉を優也に告げた。
「弱い犬ほど良く吠えるってやつだ」
不敵な笑みを浮かべながら、信二はそう言って優也を嘲笑ってみせた。しかし、その言葉を正面で聞く優也は何1つとして反応を示そうとしなかった。ただ、眉間に皺を浮かべながら笑う信二を睨みつけている。
「それともう一つ。この勝負でお前が勝つことは、もう万に一つもない。今回の勝負もそして、これからの勝負も、な」
追撃するように話し続けた信二の口がその言葉を最後にようやく止まる。
(言うことは言った。後はコイツが最後の言葉を言って、それで終わりだ)
確定した勝利を前に信二は作った笑みをそのままに優也を見つめる。
信二の言葉がなくなった教室は異様なまでの静けさに包まれた。周りにいた少年少女はただ信二の放つ圧倒的な自信に困惑を浮かべ、対面する優也はじっとりと信二の方に視線を向ける。嘲笑を被った平静と平静を被った狂気が漂う空間では時間を刻む時計の音だけが鳴り響いていた。
「フッ…」
秒針の音が響く教室に優也の嘲るような鼻音が響きわたった。だんまりを決め込んでいた口を歪め、信二がしていたような歪んだ笑顔を浮かべる。
「で? お前は結局何が言いたかったんだ?」
笑いの混じったその言葉に周りの雰囲気が一瞬で凍りついた。確かに含まれていた笑いの音。しかし、それは笑っていない目を隠すように作られた歪な笑みだった。
「安い挑発もくどくど言うとなかなか鬱陶しいもんだなぁおい。まぁあ? 鬱陶しいだけで話なんてほとんどなにも聞いてねぇけど!」
今までの鬱憤を晴らすかのように、少年は目を見開いたまま言葉を続ける。しかし、目の前にある狂気を見ても信二はただ薄い笑みを浮かべるだけだった。そんな余裕にも見える態度に優也に声が更に加速する。
「虚勢張るだとか、幸福だとか、何? お前はどっかの怪しい宗教団体かなんかか? それともあれか? かっこいいこと言って自分は賢いですアピールでもしたいのか? あーはいはい、賢い賢い、凄いですね〜」
烈火の如く言葉を続ける優也を信二はただ笑顔のまま眺める。まるで対岸の火事と言わんばかりの表情。憐れむような態度に優也の理性がかき消されていく。
「どうした! 何か言ってみたらどうなんだ! さっきまであんなけベラベラ喋ってたのに急に黙りか? なんだっけ? 優位なときによく喋るようになるだっか? だったら早く喋ってみろよ! なあッ!」
怒りに任せたその叫び声は静寂とした教室を響き渡り、信二の後ろに立つ2人の少女の手を震わせ、優也の後ろにいる2人の少年の目を丸くさせる。そのあまりにも大きな怒声は窓の外で部活動をしていた生徒の足までも止めさせるほどだった。
教室からの怒号を聞く皆が怯えた反応を見せる中、怒りの矛先である信二の口元には薄っすらとした笑みが浮かんでいた。
「ふふ……」
自然と漏れた笑い声。それは本人にとっても予定していなかった笑みだった。ヤバイ、と思ったがその声は確かに対面する少年の耳に届いてしまっていた。
「なんだよ! 何笑ってんだよ!?」
唐突な笑い声に優也は怒りのまま眉間に皺を寄せる。優也の怒気に包まれた教室の中、そんなとこはお構いなしといわんばかりに笑いを溢してしまった信二は仕方ないといった様子で口を開いた。
「いや別に。ただ、お前は自分が負けると言われたことには触れないんだなって思ってな」
「……ッ!!」
信二の言葉に落ち着きつつあった優也の目が再びハッと見開かれる。その表情を見た信二はいたずらに笑みを深めた。
(なぜ言わなかった。なぜ出てこなかった。なぜ反論しなかった。なぜ否定しなかった)
自分に対しての疑問が湧き出る一方で、それに対する答えは一向に出てこない。俯き考え込んでしまった優也に信二は笑い混じりで言葉を告げた。
「そんなの、簡単だよ」
動揺する優也の脳内に目の前で座る信二の言葉が反響する。自分の意志とは関係なく、優也の目線が信二の方に向けられる。
「それはつまり、お前が潜在的に負けを認めてるってことだよ」
三日月形の口が優也の頭を侵食する。頭に浮かんでいた疑問が吹き飛び、信二の言葉が脳内を支配する。
(違う! そんなんじゃない!)
奥歯を噛み締め、優也は脳内に入り込んだ言葉を必死に消そうとする。しかし、否定しようとすればするほど、反論しようとすればするほど、頭に入ったその言葉は強調されていった。
(落ち着け、流されるな! こんなやつ、言わせておけばいいだけだろ!)
考えることを止め、そう言い聞かせるも感情がついてこない。むしろ、そう思えば思うほど胸の中にある不快さは増すばかりだった。何か言い返さないと……、そう思った優也は苦し紛れに口を開いた。
「……あーハイハイそうですね、お前は賢いで──」
「さて、無駄話はこれくらいにしよう。お前だろ? カードを引くのは」
優也の振り絞った言葉を遮り、信二は強引に話を戻す。まるで無駄な時間だ、とでも言いたげなその態度に優也はまた強く奥歯を噛み締めた。
(言わせておけ。俺が勝ってから思いっきり仕返ししてやる)
優也は心中で呪うように吐き捨て、信二の持つカードに手をかけた。そこに思考と呼べる思考はなかった。考える余裕も余地も今の優也にはなかったのだ。ただ反射的に手をかけ、そして引き抜く。つまり、
゛その瞬間、中田優也の敗北が決定した。゛
圧倒的に優位な立ち位置からの転落、見下していた相手からの侮辱、頼られている友人が見ているという事実。そんな状況下で人が冷静さを失うことなど容易いことだった。そして、それこそが東信二の目的だった。冷静さを欠けば単調さが生まれる。単調になれば、その人の癖が行動や判断を左右する。複雑な思考は感情というノイズによって邪魔され、まともに機能しない。つまり……
『思考洞察』の才能を持つ信二とって、都合のいい傀儡の出来上がりということだ。
そのことは、優也の手に加わったジョーカーによって証明された。カードに描かれた三日月の目が優也を見つめる。まるでその表情は敗者を嘲笑うようなもののように優也には思えた。
「どうした。次は俺の番だろ」
引いたカードを見つめ固まる優也に信二が催促する。優也もその言葉にハッと我に返ると、机の下でカードを切り始めた。
(まだだ、まだ、負けてない。あいつが外れを引けば、まだチャンスはある……)
信二の手に握られた2枚のカードを見つめながら優也は自身に言い聞かせる。優也の手札は3枚であり、そのうちの2枚は外れ。絵柄が揃うのはスペードのエースのみ。
(確率は3分の1……まだ終わって───)
「ないよ」
心の中で呟く優也の声に外から別の声が割り込む。それは、机を挟んで正面に座る少年の声だった。
「確率は3分の1だったとしても、それは表面上の確率なだけ。心理状態までは考慮されていない」
「…………」
苛立ちに目を細めながら無言で睨む優也は、切り終えたカードを卓上に上げる。威嚇する態度に呼応するように自然とカードを握る力が強くなる。
「言っただろ? お前が勝つことは万に一つもないって。今回も、そしてこれからも」
それだけ言うと信二は優也が握るカードの1枚に手をかけ、引き抜く。そのカードにはスペードのエースが描かれていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
優也との勝負を終えた帰り、夕暮れ空の下では1組の男女が帰り道を共にしていた。1人は先ほどまでトランプ勝負をしていた東信二、そしてもう1人は信二の後ろで勝負を見守っていた少女の内の1人だった。
「とりあえず、これで依頼は達成だ」
オレンジ色の空で信二はそう呟いた。少女からの依頼で始まった今回の勝負。しかし、その達成を聞く少女は不満げに頬を膨らませた。
「それはそうかも知れないけど、あれはやり過ぎでしょ」
隣を歩く信二を上目で睨みながら少女、『嘉山かやまミライ』は苦情をこぼす。
「確実に勝つための方法だ。それに今回が終わってもまた次があれば意味がない。可能性は先に潰しておくに限る」
「だからって……」
信二の言葉に対し、ミライは何か言いたげな表情のまま口を噤む。確かに依頼は達成された。その後のことも考え、入念過ぎるほどに釘も刺された。ならば本来、文句を言う筋合いはないだろうと。
「でも、釘は打ちすぎるとその木どころか、自分の手まで痛めちゃうんだよ?」
それでも信二のやり方にミライは物申せずにはいられなかった。夕焼けに染められた信二の横顔には僅かの感情すら残っていないようにミライは感じたから。
「人に嫌われる勇気も時には必要なんだよ。まあ、嫌われたところでどうとも思わないけどな」
その言葉にミライは呆れたような様子でそっと信二から視線を外す。そして、目の前に落ちる夕日を眺めながらポツリと愚痴のように言葉を溢した。
「あんたって、ほんと性格悪いね」
静かに呟いたミライの言葉に信二が返答することはなかった。ミライがチラリと横を見ると、信二の視線は遠くに浮かぶ夕日色の空に向けられていた。その横顔には薄っすらとした笑みが浮かんでいるように、ミライには思えた。
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