12 白い光


 アキが目を覚ますのが、もう少し遅ければ、俺は無理やりにでも、その腕を掴んで起こしただろう。


 病室の時計は、夜の十一時を指していた。これ以上はもう待てない。


「あぁー、よく寝た……」


 のん気なアキの声がした。




 俺たちは最終電車に揺られ、目的地を目指していた。


 布地の長い椅子の上で、二人、肩を並べて座っていた。


 窓の外は闇。天井から照らす、白い明かりの眩しさが、俺には少し目に染みた。


 車両と車両を繋ぐドアが、ガタガタの線路を走る衝撃で、わずかな隙間、開いたり閉まったりを繰り返していた。


 ドアの窓越しに、向こうの車両と、数人の客が乗っているのが見える。


 そっちの空間は、ひどく大きく揺れているように見えた。あっち側からも、こちらはそう見えているのだろう。


 電車の入口ドアが開き、外の冷気が、風と一緒に乗ってきた。


 ここで降りるぜ、アキに目くばせして、俺は立った。


 アキも立ち上がり、俺の後ろをついてくる。


 夜中にもかかわらず、人の多い街中を、俺は速い足取りで進んだ。


 アキは小走りで駆けてくる。目的地まで、振り返るまでもなく、俺はその気配を、ずっと背中で感じていた。




 雨はすっかり止んでいたが、空には星が見えなかった。


 この雲が分厚くなくても、放たれる街明かりのせいで、星なんてものは、肉眼では目にできない。


 けれど、塔の階段を上るうち、少しだけだが、見えてきた。


 小さな白い点々たち。そう、これが星というものだったな……。


 電波塔は、建設中を知らせるためか、それとも防犯のためか、備え付けてあった照明が、夜もつけっぱなしにされていた。


 だから、わりと足元は明るかった。けれどアキは、なかなか前へは進めなかった。


「怖いわ、リュウ、どこまで上るの?」


 高さに怯えて立ち止まり、アキが何度も尋ねてくる。が、俺はひるまず、逆に怒鳴った。


「うるせえ、連れてこいって言ったのは、自分だろ!」


「でも……」


「甘えるんじゃねえ!」


 俺の一喝が効いたのか、反発するような頑固な顔で、アキは黙って、また足を前へと動かした。


 俺たちがヘルメットも、命綱もせずここに来たことは、誰にもバレてはいけなかった。


 俺は、夜の工場見学をするか、または、きもだめしをするか、そんな雰囲気で塔にいた。


 これから何が起こるのか、俺にはさっぱり分からない。


 アキだって、そうだ。転落の恐怖と戦いながら、先へ進んでいる。


 でも確実に言えるのは、彼女は今日、絶対に死なないということ。


 未来のアキを、俺は見た。俺の話をアキは信じた。俺も彼女を信じてるんだ。


 アキは、不安定な足場の、ベニヤ板の先端まで、ゆっくりと歩いて行った。


 ここだ。俺はアキに頷いた。アキは空を見た。星の、粒と粒の間から、青白い筋が一瞬、光って見えた。


 俺たちは、電気を帯びた中にいる。きっと、彼女はそれを、敏感に感じ取っているに違いない。


 アキは鉄骨の手すりから手を離し、両手を開いて、目を閉じた。


 彼女の腕時計のアラームが鳴り出したのと、大きな雷の音が頭上で響いたのは、ほほ同時だった。




 一分ほどの時が流れた。


 俺にはまるで、世界が停止しているかのように見えた。


 雷は、さっきの一回だけで終わった。稲光も雨も、空は連れてこなかった。


 腕時計のアラームが、自然に止まった。


 アキがそっと目を開けた。そばにいた俺のことを、たった今、見つけたばかりのように、ハッとした顔をした。


 おかえり、と、俺は呟くような小声で、アキに言った。


 彼女はトリップしたのだろう。淡い照明の下で、少し目が潤んでいるように見えた。


「私、行かなくちゃ」


 彼女が放った言葉に、俺は「ん?」と思った。


「アキ、今、行ってきたんじゃないのか?」


「違うの、リュウ。あなたに伝えるために、過去のこの場所へ、行かなきゃならないの!」


「今日は始まったばかりだ、アキ。とにかく、ここは下りよう。話はそれから……」


「急がなきゃ!」


 アキは、叫んだ。


「この場所に、私はいたんでしょ。今の状態のこの塔に。朝になって、また工事が再開されれば、状況は変わってしまうかもしれない。その前に……」


「そうか……」


 俺は理解した。足場のベニヤは、仮の橋だ。いつ撤去されるか分からない。今、同じ場所から、試してみたいということだろう。


 アキを過去に飛ばさなくては。でも……どうやって?


 空を見る。雷の気配はない。照明の光だけが、ただ風に揺れて、静かに左右に動いていた。


「よし」


 俺は頭の中でピンときた案に、かけてやるしかないと思った。


 照明に手を伸ばし、小さな電球を回して外した。中に黒いケーブルが見えた。それを握って、俺は力いっぱい下に引っ張った。


 ケーブルの回りを包んでいたゴムが、ゆっくりと伸びて、ちぎれる。中に入っていた銅線があらわになった。


 手を放すと、力を抜いた指の先に、熱い、ピリリとした痛みを感じた。ゴムの摩擦で、指の腹を切ってしまっていた。でも今は、そんなことはどうだっていい。


 わずかだが、電気はここに、確かに流れている。


 アキをその下に立たせる。感電してしまうかもしれない。できるなら、危ないことなんてさせたくなかった。


 だがいつも、俺は彼女を支えてきた。彼女のやることを信じ、尊重し、サポートする。


 無茶だと分かっていたとしても、彼女のしたいと言ったことを、可能な限りさせてやる。まるで保護者のように。俺はそうすることが、自分の役目だと思っていたんだ。


「行ってこい!」


 俺はアキに頷いた。アキも頷く。そして銅線に手を向けた。


 その先に触れた瞬間、高い破裂音とともに、辺りの闇が、白い光で吹っ飛んだ。


 闇はすぐに戻ってきた。白い残像のちらつく視界に、アキが倒れ込んでいるのを、俺はとらえた。


 助け起こした腕の中で、しばらく目を閉じていたが、アキはふと、まぶたを開き、俺に小さく「ただいま」と言った。


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