魔城

久徒をん

第1話

 江戸時代中期のある夏の日。山奥の小さな農村ではいつも通り百姓達が農作業をしていた。

 掘っ立て小屋が並ぶ集落、小川沿いの水車小屋、緑の稲が風になびく田園……それはどこにでもある農村の景色だった。

 その城は突然現れた──

 尖った三つの塔がそびえる黒い城と黒い城壁。まさに魔城と呼ぶに相応しい禍々しく異様な形の城が蜃気楼の様に揺れて山の中腹に現れた。村の住民達は驚いた。やがて城から黒い魔鳥や魔犬が解き放たれたかのように飛び出し村で暴れ逃げ惑う人々を襲った。

 その惨状の中、必死に逃げる母子がいた。小川の橋に差し掛かった時、母親は追って来た魔犬に背後から襲われた。

 「逃げなさい!」

 魔犬に襲われて倒れる間際に母親が叫んだ。その光景に愕然とした少年は全力で橋を駆けて森の中へ逃げた。魔犬や魔鳥は川を越えて追って来なかった。少年は荒く息を立てて森の大木の側でうずくまって泣いた……

 翌年の一月──魔物に襲撃された村から森を一つ越えた村に兵が集まった。

 余所者で賑わう村の片隅にある道場の広間で本野紀章と一人の少年が向き合って座っていた。

 「やはり母の仇を討ちに行くのか」

 「はい。お世話になりました」

 母と別れ隣村に逃げ込んだ少年、勇介は道場で住み込み本野から剣術を学んだ。

 「しかしお前の剣は未熟。決して無理するではないぞ」

 本野が言うと勇介は「はい」と一礼して立ち上がり道場を出た。

 「勇介、行くのか」

 同じ道場で学ぶ加悟助が勇介に声を掛けた。勇介は甲冑姿の加悟助を見て「その姿、お前も行くのか」と驚いた。

 「化け物退治だ。戦なんて滅多に味わえないからな」

 奇怪な城の噂は江戸にも届き幕府から秘かに周辺の藩へ兵を派遣する命令が下りこの村に侍達が集まっていた。

 「お前も兜と鎧をもらって来いよ。向こうで配っているぞ」

 「いや、師匠から動きが鈍いと言われていたから身軽な方がいい」

 「そうか。気を付けろよな。俺も師匠へ挨拶に行くから」」

 加悟助はそう言うと道場へ入った。

 村の中央の広場には馬が並び鎧を着た男達が集まってざわついていた。広場の片隅で座っている男に勇介は志願する旨を言うと刀を受け取る様に言われ広場から離れた場所に設けられた武器保管所で刀と短剣を受け取った。

 「鎧や兜はいらんのか」

 若い男が名前を書きながら言うと勇介は「いりません」と答え刀を腰に下げた。

 「どうだ。順調か」

 「はい、遠藤様」

 今回の攻城戦の指揮に当たる遠藤勘之助は厳しい表情で男を見て横で頭を下げる勇介に気付いた。

 「お前はこの村の者か」

 遠藤が訊くと勇介は「いえ」と答えてこれまでの経緯を話した。

 「母の仇を討つか……辛かったな。見たところ剣を覚えてまだ日が経っていないようだ。くれぐれも無理するではないぞ」

 「はい。お気遣いありがとうございます」

 勇介は遠藤に一礼してその場を去った。

 (必ず母ちゃんの仇を取るから)

 勇介は唇を固く結んだ。

 日が傾き始めた頃に兵達は村を出発した。枯れた森の中を暫く歩くと平野に出て小川の向こう側の山の中腹に黒い城がそびえ立ち、ふもとの村の家屋はボロボロに崩れていた。

 「誰もいないな」「皆死んだのか」

 侍達の呟きが勇介の心に棘の様に刺さった。母親が魔犬に襲われた光景を思い出し涙を流した。隣にいた加悟助が黙って勇介の肩を叩いた。

 「よし、かかれ!」

 遠藤の掛け声で兵達が隊列を組み村へ走った。長槍を構えた槍組の後を騎馬隊が走りその後を歩兵隊が走った。橋を越えると兵達は横に展開して進んだ。勇介と加悟助は歩兵隊にいた。

 「来たぞ!」

 騎馬兵が叫んで法螺貝を吹いた。

 城から無数の魔鳥が飛び、山から黒い魔犬の群れが駆け下りて来た。

 小川の手前に設けられた十門の大砲が砲撃を始めた。

 地面に着弾すると走っていた魔犬が吹き飛んで倒れた。

 「これが戦か」

 走る勇介の視界にかつて住んでいた掘っ立て小屋が入った。父を早く亡くし母と暮らした思い出は懐かしさよりも辛い事が多かった。その小屋に砲弾が直撃して粉々に爆散した。

 「俺の家が!」

 木片が飛び散った跡地を見て勇介は泣きそうな声で叫ぶとすぐに目を背けて全力で走り抜けた。

 勇介に黒い魔犬が飛びかかった。

 「くそっ!」

 勇介は刀を抜いて魔犬の腹を貫いた。魔犬は力なく倒れた。すぐに魔鳥が上から襲って来た。勇介は刀を振り上げた。魔鳥がすっぱりと切り裂かれて地面に落ちた。

 「大丈夫か」加悟助が隣に立った。勇介は「ああ」とだけ答え、辺りを見渡して走った。

 前方で槍組と騎馬隊が激しく戦闘を繰り広げていたからか勇介達がいる歩兵隊に襲ってくる魔犬や魔鳥の数は少なかった。

 魔犬や魔鳥を撃退しながら兵達は山を登り枯れた林を抜け城門の前まで来た。門扉は固く閉ざされていた。

 城壁から砲撃が始まった。兵達が悲鳴を上げて吹き飛んだ。

 「大砲を撃て!」

 前列の侍が叫ぶと後方の大砲が砲撃した。しかし城壁に着弾したがびくともしなかった。大砲に向けて城からの攻撃が激しくなった。

 大砲が壊れ後衛の兵達は後退した。前衛の槍組の隊列は崩れ、騎馬兵の馬は砲撃に驚き暴れ回った挙句に騎手を振り落として逃げてしまった。

 「こんな所でのんびりしていられるか!」

 勇介は砲撃の間を駆け抜けて門前に着いた。

 「お前、何て無茶するんだ。死ぬところだったぞ」

 追って来た加悟助が息を荒立てながら言った。

 加悟助と勇介は本野の道場で剣術を学んでいた。年老いた本野は左手が不自由ながら剣を教えていたが、それでも加悟助と勇介が二人でかかっても十分に太刀打ちできる程の腕の持ち主である。

 出陣の際、加悟助が挨拶に道場を訪れた時、

 「加悟助、勇介を頼んだぞ。あいつの剣は未熟。母の仇を討つ為には己の命を惜しまず無茶をするだろう。あいつは守る者も守ってくれる者もいない哀れな子供だ。あいつにやっかまれても兄弟子として守るんだぞ」

 本野は重い口調で言った。

 加悟助は「あいつの事はわかっています。絶対に死なせません」と笑って答えた。

 「開けろ!化け物」

 勇介は怒鳴って門扉を叩いた。砲撃が止み兵達も続々と門前に着いた。

 「気持ちはわかるが落ち着けよ」

 「ここで落ち着いていられるか!おい開けろ」

 加悟助の手を振り払って勇介は何度も扉を叩いて喚き散らした。

 (お前は正気を失っているのか)

 加悟助は困惑しながら勇介に声を掛けようとした時、加悟助の肩を若い侍が叩いた。

 「何も言っても無駄だ。何があったか知らないが、あいつはこの城の者を憎んでいるのだろう。気が済むまで好きにさせておけばいい」

と首を振って言った。

 「そうだな」加悟助は歯がゆい思いで勇介を見た。

 どこからか金属音が鳴って扉が開いた。

 「開いたぞ!」勇介は驚いた。

 「今だ!入れ!」

 加悟助が叫ぶと兵達が中になだれ込んだ。扉はすぐに閉まり中に入れたのは勇介や加悟助を含めて十数人だった。

 「何で開いたんだ」

 勇介はまだ驚いていたが、

 「そんな事はいいから剣を抜け。敵陣だぞ」

と加悟助が怒鳴った。勇介は我に返って刀を抜いて辺りを見渡した。

 黒い城の前には緑色の芝生と鮮やかな草花が咲く整った庭が広がっていた。

 「どこの国の城だ。こんな庭は見た事ないぞ」「寒くないな」「おい、上を見ろ。透けているが何かが城を覆っているぞ」

 一行は目の当たりにする景色に驚き警戒しながら進んだ。

 城の右側の塔から魔犬が走って来た。

 「綺麗な庭に化け物は似合わねえな」

 加悟助が刀を持って構えた。他の侍達も魔犬に切りかかった。勇介も辺りを見渡しながら襲い掛かる魔犬を倒しながら進んだ。

 「外より化け物の数が少ないのはなぜだ。ここでは戦わないつもりか」「出払ったと願いたいがな」「俺達を誘っているのかも知れん」

 侍達が話すのを横目に勇介と加悟助は中心の塔の扉をゆっくり開いて中へ入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る