第19話 愚者の約束

 睡眠不足に閉塞感を患った俺は固形物が喉を通らず食欲不振に陥っていた。

 お嬢が早起きして作ってくれた愛妻弁当に手を付けられず、俺の様子を見たお嬢が身を案じてくれるのが申し訳なく感じてしまう。


 「……大丈夫? 一緒に添い寝したいから保健室に行く?」


 「大丈夫です。ただの寝不足なので」


 「……睡眠不足? 一体何が原因なのかしら……」


 深夜俺の布団に忍び込んだ化け物お嬢がいた気がしたが、わざわざ和泉家を抜け出して俺の布団に入り込む面倒な手間をお嬢がかけるとは思えないので、きっとあれは悪夢か幻覚であろう。

 毎朝顔面至近距離で俺の顔を見つめながら起床するのは心臓に悪いが、それも耐性が付いて何れ治るだろう。


 有名人の二人と学力試験一位に囲まれて食事を共にするのも尚更居心地が悪い。

 周囲の視線をものともせず大盛り定食を平らげる楪さんの豪胆振りを羨ましく思う。


 「鬼灯さん、無理はしないでくださいね。も、もし倒れたら、私が背負います!」


 「結構よ。茜の前後、身体の全て隅々私の物。貴方のような茜の身体の感触を楽しみたいという下心満載の変態には茜を背負わせられないわね」


 袖を捲り腕を見せ付ける自信満々な楪さんの様子に、案の定お嬢が悪い小姑のような嫌味を呟く。

 本当に大丈夫なのでと再度二人へ申し出を断り、箸を動かす。

 駄目だ、やはり喉を通りそうにない。俺の精神的負担はそこまで重症なのかと自覚する。

 常日頃お嬢からの罵倒を耐え抜いていた俺の精神は、こんなにも虚弱だったのか、それとも疲れが無自覚のうちに溜まっていたのだろうか。


 それと睡眠不足からか眠気も催す。

 午前中の授業は何とか堪えたが、この有様では午後の授業は爆睡してしまう。

 今はそう、先に教室へ戻り軽い睡眠をするべきである。

 そう強く決心した俺は颯爽と椅子から立ち上がり──、


 「おい和泉、顔を貸せ」


 折悪くお嬢に声を掛ける人物が登場し、俺は抜け出す時期を見失ってしまう。

 強制的に滞在させられることになった俺は、声を掛けた主に視線を送る。すると彼の背後には仏頂面のお頭と、その取り巻き二人も引き連れていた。

 雪姫菜は私の指示以外で動くなよと俺に視線を送り、優雅に紅茶を啜る。

 何やら彼等の不穏な様子に流石の楪さんも食事を中断し、慌ただしく雪姫菜や俺の顔を見つめてくる。


 「顔を貸せ……? 貴方は私が今食事中であるということが理解出来ないのかしら。第一初対面の相手には自分の名前を名乗るべきだとは思わないの?」


 タイムリープ前の名残を感じさせる和泉節を見た俺は、その懐かしさに感動を覚え──ている暇ではない。

 記憶力の無いお嬢は初対面の人物と勘違いしているが、彼にとってはきっと初対面ではないご学友のはず。何よりもお嬢の口の悪さが周囲からの評価を下げてしまうはず。

 従者である俺は早めに道徳の教科書と人の心を養う絵本を用意しておくべきだったと後悔しながら、彼女を制止させるため脇腹を抓る。


 「──ひゃい! あああ茜……!? これは敢えて傷物にさせておくことで、自分が責任を取って結婚するという茜なりのプロポーズ!? ──分かったわ。今直ぐ結婚式を挙げに行きましょう」


 思考回路が狂っているお嬢に変な解釈をされた俺は、事を荒立てないために彼女に助言を告げる。

 端的に内容を伝えるために耳元で「口調、態度、改善」と告げると、お嬢は身震いしながら首を縦に振る。


 「──失礼。そ、そ、そそそれで、わ、私に、何か用でも?」


 額に青筋を立てながら愛想笑いを浮かべ、途切れ途切れのの口調で返事するお嬢。


 「……どうして俺の名前を憶えていない……!? ……いいか? 俺は白薔薇所属で、十人委員会七席、御三家の金枝かなえ家の御曹司、金枝朱雀かなえすざくだ……!」


 丁寧な自己紹介を自信満々に披露した彼は、学力試験で二位でありお嬢に好意を抱いていると思わしき、警戒相手である金枝さんであった。


 ──憂慮すべき事態に見事陥ってしまった。

 お嬢の痴態により俺の存在が公になると、俺は絶大な権力を持つ彼に目を付けられてしまう。

 きっとお嬢が好きな彼にとって俺は不愉快な存在であろう。そうなれば俺は恋敵として学園追放されてしまう。

 これを打開する解決策は、お嬢が痴態を晒さないように俺の存在感を薄めることが優先だ。


 「アッ、ハイ。アッ……その、何と言いますか。アッ、ええと……御用件は?」


 慣れない丁寧口調なせいか歯切れの悪い返事をするお嬢。その様子を見て雪姫菜は笑いを堪えていた。


 「約束、憶えているか?」


 「……はぇ? 約束?」


 ──まずい。記憶力の乏しいお嬢は、金枝さんが一位を取った暁に彼女になれという約束を交わした出来事を知らないのであった。

 というか一位は楪さんに奪われてしまっているが、その辺りの辻褄合わせはどうなるのかと疑問を抱く。


 「金枝さんが試験で一位を取った場合、お嬢に付き合ってくれと言ったらしいです」


 「ななな、何よそれ──っ!? 私の心と身体は全て茜の物! 茜の物は私の物! というか奴は二位じゃない、どの面下げて交際求めてきてるのよ……」


 「お嬢は五位だったので約束の履行が可能だと思っているんじゃないすか」


 「その極限な解釈をする頭お花畑な脳内が羨ましいわね……」


 「お嬢が言える事じゃないと思いますが」


 そんなやり取りをお嬢と小声で続けていると、それを不愉快に覚えたのか金枝さんは俺に睨み付ける。


 「いいか? 俺は学力試験でお前に勝った。春月において勝者は正義。お前は俺の恋人になってもらう」


 「エッ……アッ、それは、その……」


 「分かったか? 敗北者のお前は俺の言うことを聞いておけばいい。今日からお前は俺の物。金枝家の伴侶に相応しい振る舞いをすることだな」


 この金枝という男に他人の意思を無視して自身の願望を押し付ける部分が、以前のお嬢と重なる部分があるなと感じた。

 お嬢に自制を促した結果、彼女は普段の強気な態度を顕に出来ず、金枝の圧力に気圧されてしまっている。

 弱気のお嬢の姿は御免だ。ここは仕方ないが……彼に目を付けられるのは当然、お嬢に面倒臭い解釈をされるのもやむを得ず、俺が表立って出ることにしよう。


 「彼女を虐めるのを止してくれませんか」


 「あぁ? 誰だお前?」


 三下風情の俺が口を挟んでもそうなるのは当然。

 彼にお嬢との交際を断念してもらう自己紹介を──。


 「俺は、彼女の恋人の、鬼灯茜です」


 「!」


 「──ぶふっ……! 失礼……!」


 笑うな雪姫菜、傍観者気取ってないで場を乗り切る穏便な解決をしてくれよ。

 もう取り返しの付かない宣言をしてしまった気がするが、後で弁明すれば良い。


 「そうか……お前が鬼灯茜か……!」


 もう既に金枝に認知されていたらしい。大方お嬢がご乱心した事実をお頭から耳にしていたのだろう。

 当のお頭は金枝の背後に寄り添っているだけで、俺達の問答に介入しようとはせず、相変わらずの仏頂面を保っていた。


 「──というわけで、私と茜は相思相愛の結婚を約束した恋人同士なの」


 復活したお嬢は体を寄せながら、俺の頬に手を添えて見つめる。

 その瞳からは言質取ったぞ、撤回するなよ、と言った恐ろしい眼力が拝まされていた。


 「その約束とやらは知らないし、これ以上アンタと話す時間はないの。私はね、茜と愛を育むのに忙しいの。余計な時間を取らせないでくれる? 大体アンタ二位でしょ? せめて一位取ってから顔出しなさいよ」


 金枝とお嬢には目を付けられ、俺の人生は破滅への一歩を近づけて行ったが、何故だか気分が和らいだような気がした。

 これが諦めなのか自暴自棄なのかよく分からないが、もう何とでもなればいいと錯覚している自分がいる。


 「お前らッ……! そうか、俺は大分甘すぎたらしいな……! 口で分からない愚か者には躾が必要ならしい……!」


 決闘宣言か表へ出ろと俺に促す金枝。

 周囲が響めく中、致し方ないと俺は彼に連れられて外へ出ようとすると、それを遮る者が現れた。


 「い、いい加減にしてください! そ、そういうのは、よくないと……思い、ます……!」


 この場を諫めるべく制止したのは雪姫菜ではなく楪さんであった。

 雪姫菜自身も楪さんが注目を浴びるのを良しとしないためか、彼女を押さえ付けようとするが楪さんは我慢の限界を迎えていた。


 「人を物扱いするのは、良くないと……! それは、駄目ですっ!」


 「あぁ? 誰だお前?」


 「ひゃいいいぃぃぃ……!」


 金枝の恫喝に一瞬で竦み上がった楪さんは俺の背後に身を隠した。

 だが、楪さんは怯まず俺の背中から顔を出し言葉を続けた。


 「私、一位です……! 貴方より順位高いので、その権利は私にあると思い、ます……!」


 それはつまり、お嬢と交際する権限は自分にあるということ──?


 「お前が楪有栖か……!」


 「そうです、楪有栖です……! 貴方より、頭良いです……!」


 無自覚に金枝を煽る楪さんに俺は頭を抱えた。

 彼女が巻き添えで金枝に目を付けられるのはよくない。俺は自身に矛先を向けるべく金枝に告げる。


 「決闘、しましょうか」


 「最終的には暴力で解決するのよね。茜、半殺しでぶちのめしてやりなさい。私の婚約者が一番強いってことを思い知らしめてあげる」


 「和泉さんも鬼灯さんも、駄目ですっ! 争い事は、よくないです……!」


 「いいだろう、だが面倒だ……! この場で分からせてやる……!」


 場が混沌とする中、痺れを切らした金枝は先に行動に移す。

 そう言いながら俺に殴り掛かろうと拳を振り上げ──、


 「静粛に。全員席に座りなさい」


 今まで傍観を続けていた雪姫菜が場を諫めるべく、ようやく鶴の一声を発した。

 当たる寸前、拳を収めた金枝は納得がいかない様子で椅子に腰を下ろした。

 釣られて俺達も元の席へ戻り、事が若干落ち着いたことで周囲の喧騒も鳴りを潜める。


 「私の面前で暴力沙汰は断じて許しません。私は人間らしく論議する場を設けます」


 雪姫菜の発言に不満気であったが金枝とお嬢は納得し、俺と楪さんは安堵の表情を浮かべた。


 「まず金枝様。貴方は一位を取ったらと申しましたね」


 「……あぁ、そうだ」


 「貴方は残念ながら一位ではありませんので、その約束は反故となります。何か反論や言い分はございますか?」


 「ッ……! いい、何もない!」


 自身の我儘を押し通せる状況ではないと判断したのか、金枝は矛を収める。

 瞬間、金枝の背後に仕えていたお頭の表情が和らいだのを見逃さなかった。

 曲がりなりにも十席であるお嬢に対し、臆せず喧嘩を売るお頭の態度には気掛かりを感じていた。

 それは何故なのか? お嬢に原因があるのは当然だが、全てがお嬢であるとは一概には言えない。しかし、実は金枝とお嬢の関係性に重大な原因があったのである。


 ──お頭は金枝に好意を抱いているのである。

 お頭のお嬢に対する『他人に興味ありません』という部分を敵視する理由は、金枝の好意を拒絶する態度に起因しているのでは。

 恋の力って凄ェと、お頭のお嬢への反発心、人間性には若干の好意を抱く。


 「後ろの方々も何かございますか?」


 突然振られたことが想定外だったのか、お頭は取り巻き二人と顔を合わせると、


 「いいえ……特にありません……」


 反発することもなく雪姫菜の提案を受け入れる。

 やや強引ではあるが穏便に事が済んで一安心。

 やはり雪姫菜様様だなと一人で頷く。


 「有栖さん」


 「は、はひっ!」


 「栄光の一位である有栖さんは、和泉さんとお付き合いする権利がございますが如何いたしますか?」


 ──それまだ継続するのか?

 その約束はお嬢と金枝同士の問題ではと疑問を呈しようとしたところ、お前は何も言うなと鋭い視線が送られる。


 「はぁ!? この話はこれで完結のハッピーエンドでしょ!? なに本人の意思を無視して第二クール始めようとしてるのよ!? 第一、貴方にそんな権限ないでしょ!?」


 「私の権限です。私に反論すると痛い目に遭いますよ」


 「この独裁者がァ……!」


 お嬢には金枝とお頭一派とは異なり反論の機会すら与えられず、お嬢の恋人権利は楪さんに移った。


 「それで、有栖さん。貴女は和泉さんの恋人になりますか?」


 「普通に嫌ですけど……」


 「だそうです。あらら、残念でしたね」


 「人を勝手に振られた風にしないでくれる!?」


 こうして変な蛇足も終了し、金枝とお嬢の約束は無事幕を閉じた。

 終盤は雪姫菜がただ楽しんでいただけであり、彼女は満足したように嫌な微笑を浮かべていた。


 「和泉、俺はお前を諦める気はない。また俺は勝負を挑む。精々対策でも練っておけ」


 「負け犬の遠吠えほど虚しいものはないわね。生憎、私の心は全て茜の物なの」


 金枝は去り際にお嬢に再度宣戦布告を申し込む。

 余程お嬢のことが好きなのかと、お嬢のどの部分に惚れたのかと興味を抱く。

 問題が解決したとは思えないが、一段落着いて俺の精神状態も安定を取り戻す。


 「鬼灯茜、それと楪有栖だな? お前達のことはよく憶えておく。覚悟しておけ」


 「あわわ……」


 厄介な人物に敵意を向けられた楪さんは、先程の威勢は見る影もなく縮み上がる。

 そう言い残して金枝はお頭共々を引き連れて去って行った。

 

 場を諫めた雪姫菜に対して一つの疑問を抱く。

 席次は金枝の方が上位であるはずなのに、どうして下位の雪姫菜の言う事に従うのか。

 そんな疑問を残しながら午後の授業の支度をしようと立ち上がる俺を制止する者が。


 「茜」


 「は、はい」


 「遂に認めてくれたわね?」


 お嬢の毒牙からは逃れることが出来なそうであった。

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