「ウチら、なんで哲学同好会なの?」「それっぽいから」

ぐぅ先

第1話「なんで殺しちゃいけないの?」「死ぬから」

 いつもは誰もいない教室。しかしそこには今、二人の女子生徒がいた。何故ほかに誰もいないのかというと、放課後からちょうど三十分が経過していて、普通の生徒たちがわざわざ残る理由が無いからだ。


 何故か残っている女子生徒の一人、「田中 心紅(タナカ シンク)」は自分の席に座って赤紫色の500ml缶を口に付けていた。その飲み物は「フェニクシール」というそれなりに元気が湧くタイプの炭酸飲料で、シンクが常飲しているものだった。

「はー、うま。」


 この、シンクがフェニクシールを飲んでいる時間。飲み終わるまでの時間。それこそが彼女が所属しているらしい(?)「哲学同好会」の開催時間であった。

 500mlの缶は飲み干すまでに時間がかかるものだが、それを売っている自動販売機は近くでは学校にしか無く、しかもフェニクシールは炭酸飲料のため鞄に入れて持ち運びたくない。もし意図せず鞄の中で振ってしまい、いざ開けた時に泡立つ中身が吹き出てしまったら……。なので、シンクはわざわざ教室で飲んでいるのである。


 そんなシンクは教室にいるもう一人の女子生徒、「矢田 楓子(ヤダ カエデコ)」に話しかけた。

「――それで、今日はなんかあった?」

「うん。ウチが昨日観た動画で気になるのがあってね。」

 物静かそうなシンクに対して、活発そうなカエデコが答えた。


(注釈:ちなみに彼女たちの名前をカタカナにしているのは識別のため。読みづらかったら改善するので、コメント等で意見をいただけると助かります)



 気になる動画があったと言ったカエデコは、持っているスマートフォンから動画投稿サイトを開く。

「これなんだけど。『なんで殺しちゃいけないの?』ってやつ。」

「それ、私も中身見たほうがいい? 言わんとすることは分かるつもりだけど。」

「んー……。ま、別に観なくてもいっか。」

 動画を再生してしまうと通信料がかかってしまうので、再生直前に画面をタップして一時停止。そして動画のコメント欄だけを開く。

 「なんで殺しちゃいけないの?」は、いわゆる解説系の動画だった。親しみやすそうなデフォルメ系キャラクター二人が話しながら、問題提起やそれについての意見を述べる、という形式である。その動画は二十万再生ほど行っており、コメント欄での議論も活発になっていた。そのコメント欄をざっと眺めながら、カエデコが言う。

「いろいろ書かれてるんだけど、中身は意見ばっかりで結局本題の『なんで殺しちゃいけないの?』に答えが出てないんだよね。最終的には『みんなの意見も教えてね』って感じで終わってたし。」

「まあ……、内容的にそうなってもおかしくなさそうだけどね。」

「で。ウチも思うところはあるんだけど、どうもしっくり来ないというか、よく分かんないというか。」

「ふうむ……。確かに、きちんと考えたことなかったな。」

 シンクは顎の下から人差し指を刺すように当てて、軽く思索する。この動きは彼女がものを考える時のクセであった。


「へー。シンクちゃんが考えてないことなんてあるんだ。」

「……私をなんだと思っているのさ。まあ、厳密にはヤダの考えてることとは違うだろうけど。」

 どうでもいいことだが、シンクはカエデコのことを苗字の「ヤダ(矢田)」で呼んでいる。

「ん、どゆこと?」

「私が考えたことがあるのは、『善と悪』と『人を殺すこと』について。で、その二つを合わせたもの自体を考えたことはないの。だから今からそのへんをヤダに説明しながら、考えを整理しようかなって。」

「おおー、流石シンクちゃん。それだけ分かってるならすぐじゃない?」

「うん……、どうだろね。とりあえずまあ、切り口をどこにしようか――」


 シンクはぽつぽつと話し始めるのであった。



 ――まずことわっておくけど、これはあくまで私自身の考え。どっかの哲学書に書いてあっただとか、誰かの言葉を引用してるとかはない。だって読むのが面倒でそーいうの知らないからね。

 だから、間違っている部分もあると思う。だけど私自身が納得したものを言っているから、正誤については私が保証するよ。中身に文句があったら、いつでも私に言ってほしい。


 さて、まずは「善と悪」について話していこうかな。ひとまず「悪」のほうから。

 よく物語とかで取り扱われるテーマで、昔からいろいろ言われていることではあるよね。ヒーローが悪の組織をやっつける、勧善懲悪ってやつ。それなんかモロに「善と悪」を取り扱ってるし、分かりやすいからまずこれを取り上げよう。

 昔のヒーローは大まかに、物語中盤に敵の前にやってきて名乗りをあげる。「私は『正義の味方』だ! 覚悟しろー」なんて調子。

 ところで「善と悪」と似た関係に「正義と悪」ってあるよね。でも一つ考えてほしいんだけど、ヒーローがよく言う名乗りは「正義の味方」。単なる「味方」であって、正義そのものではないんだ。


 じゃあ、正義の味方が「味方している存在」ってなんだろうね。



「ヒーローが守ってるのは、やっぱり町の人たち?」

 カエデコが一言、回答する。


「大まかにはそう。でもマルはあげられないかな。サンカク。」

「あれ、そうなの?」

「だって正義の味方って、人だけじゃなくて場所も守るでしょ? 街とか家とか。」

「あ、そっか。」



 そう、正義の味方が味方するもの、それは「人と場所」。正確には「悪以外の人と場所」かな。

 つまり、「正義=悪以外の人と場所」だと言えるね。


 そしてこの「人と場所」というのは一言で表すことができる。考えればいろいろありそうだけど……、ここでは「社会」としておこう。すると「正義=社会」ということになる。

 じゃあそれと敵対している悪っていうのは、「悪=社会の敵」ということになるかな。


 これで「善と悪」の片割れである「悪」とは、「社会の敵」であると決められた……けど、実はまだ定義が足りない。でもいったん置いておくね。



 次は「善」についてだけど、これはわりとイメージしやすいかな? 「善行」、意味的に「善い行い」だけど、例えばゴミ拾いをするだとか、誰かに親切にするとかがあるね。


 たぶんだけど、そういった善行をしている人を「善人」と呼んでも違和感がないと思う。善人がゴミ拾いをする、善人が誰かに親切にする、みたいに。

 でもそれは「善人」であって「善」ではない。じゃあ大元の「善」とはなんだろう。いくつか具体例は挙げられるけど、そこに共通するものはなにかと言われると、難しいと思うんだよ。

 もし二つ並べて分からないなら、逆に一つに絞って紐解いてみる。そしてその中に使えそうなものがないかを探す。

 今回は「ゴミ拾い」を対象にするね。紐解くにあたってまず、人は何故落ちているゴミを拾うのか。その理由については以下あたりが挙げられるだろうか。


・お礼が欲しいから

・ゴミが気になったから

・そのままにしておくと汚いから

・そうしろと教わったから

・変な菌が湧いたら良くないから

などなど


 それで、ヤダ。この中に「善」っぽい理由はあると思う?



「えぇー……?  じゃあ……、二つ目の『ゴミが気になったから』と三つ目の『そのままにしておくと汚いから』、五つ目の『変な菌が湧いたら良くないから』かなぁ?」


「残りの二つは『善ではない』ってことでいい?」

「うん……? まあ、そうかな。」

「オッケイ、じゃあいったんそういうことで。普段ならここでそれを選んだ理由を聞くところだけど、今回はこのまま続けるね。」



 なら一度、ヤダが選んでいないものは「善ではない」と仮定する。とりあえず、ゴミ拾いをする理由が「お礼が欲しい」は善ではない、ということね。そしてそれが正しいかどうか検証していく。


 単純に考えるために、とある少年がゴミ拾いをしたとしよう。そしてその姿に心打たれたとある老婦人が、ゴミ拾いのお礼として少年にお菓子をあげた。

 ……あ、ここで「知らない人から貰っちゃダメ」とか「どこからお菓子を持ってきたんだ」とかはやめてね。前提が破綻しちゃうから。とりあえずこの二人は知ってる人同士ってことで。

 で、すると少年は、「ゴミ拾いをするとお礼が貰える」と学習することになる。そしてさらに、他のところのゴミ拾いもすればもっとお礼が貰えるんじゃないか? と考えてもおかしくない。


 そうなると次なるお礼を求めて、次の日には違う場所のゴミ拾いをする少年。それで毎回お礼を貰えるってわけではないけど、まあ、ゴミ拾いしたらお礼くらいは言われるもの。もしお礼を言われただけでも、「自分は必要とされている」と感じられるなら幸せな気分になれるだろう。

 お礼の物や言葉を貰って幸せな気分になると、どうなるか。うれしくなるから、また次の日もゴミ拾いをする。その次の日も、次の日も。すると結果として、「ゴミ拾いをすればするほどゴミ拾いをする」ようになる。


 ではさらに、ひたすらゴミ拾いをしたらその後どうなるだろう。これはさっきヤダが挙げたうちの二つ、「そのままにしておくと汚いから」「変な菌が湧いたら良くないから」の状態の逆。ゴミが片付いて無くなるから、汚くないし変な菌も湧かないことになるだろうね。



 と……いうわけでこの、ゴミ拾いをしたら幸せになったという結果をもたらす「お礼が欲しいから」という理由は「善ではない」ということになるけど、ヤダ、どう思う?



 カエデコは難しい顔をしていた。

「うーん。なんだか結果がすごく『善』っぽいなぁ。拾う人も拾ってもらう人も良い思いをして、それが他の場所でもどんどん増えて……。」

「もし選んだやつを変えたいなら、いつでもいいよ。」

「や、とりあえずまだいいかなー。」

「そう? じゃあ続けるね。」



 お礼を求めると幸せが増える。果たして本当にそうだろうかという検証のために、今度は違うパターンも考えるね。さっきのは「お礼を貰えた」場合だけど、お礼を求めても「貰えなかった」場合について。

 ありそうな状態としては、ゴミ拾い最初の二回、三回はお礼を貰える。でも慣れてくるとゴミが無いことが当たり前になって、わざわざお礼を渡すことがなくなる、とか。という訳でそのパターンについて考えていこう。


 とりあえず、また少年と老婦人ね。二回目、三回目はお礼を貰えたけど、四回目にして少年は老婦人からお礼を貰うことができなかった。少年は不満を抱きながらも五回目、六回目とゴミ拾いを行うけど、しかし、お礼を貰うことはできない。流石に七回目となるともうなにも貰えないと気づいて、以降八回目のゴミ拾いが行われることはなかった……。

 ではこの場合の結果はどうなるか。


 結局それからはその場所は、誰もゴミ拾いをしようとはしない。そして少年が七回もゴミ拾いをしていたということは、そこがそれなりにゴミが溜まりやすい場所だったとも言える。なのに誰もゴミ拾いをしなくなったということは、「ゴミが溜まったまま放置される」、そして少年は「ゴミ拾いでは大したお礼を貰えないと学習する」ことになる。

 ということはゴミが片付かないから増えていき……、「そのままにしておくと汚い」「変な菌が湧いたら良くない」という状況が悪化することに。さらに少年はもう、善行たるゴミ拾いをしなくなってしまった。



「ちょっと待って、シンクちゃん。」

「はいよ。」

「それって、えーっと……、お礼を貰えれば『善』、貰えなければ『善じゃない』ように感じるんだけど。」

「そうだね。」


 あっさりと言い放つシンクに、カエデコは一瞬固まる。

「え……。で、でも、これって『お礼が欲しいから』の例だよね?」

「じゃあ、他の例でも考えてみる?」



 さっきの動機の中で「お礼が欲しい」以外は以下のとおり。


・ゴミが気になったから

・そのままにしておくと汚いから

・そうしろと教わったから

・変な菌が湧いたら良くないから


 まずは「ゴミが気になったから」。ゴミというマイナスな存在を気にすることで、少なくともその場のゴミは処分される。そしてそれができる人は今後も気になったゴミを拾い続けると思う。

 一見、善行に見えるし一応はその通りなんだけど、その動機は受動的な「気になったから」であって自主的に動いているわけではないし、なにより次も同じようになるとは限らない。気になったけど別にいいや、とかね。

 だからこれはお礼を貰った時と比べると、ゴミ拾いは行われにくいことになる。すなわちゴミ拾いの効果は薄いと言える。


 次に「そのままにしておくと汚い」だけど、観点がほぼ同じである「変な菌が湧いたら良くない」も含めるね。

 これらは衛生的観点からゴミ拾いを実行するってことだけど、それは言ってしまえば「デメリット回避」のための行い。だからデメリットが発生しない状況だとか、避けようとしてもデメリットが減らない場合は動くのが面倒になっちゃうんだ。

 ゴミ拾いの例で言うと、すでに周囲が片付けられているならそれ以上ゴミ拾いをする必要はない。だからお礼の時とは違って繁栄しにくい。

 また、いくら拾っても拾ってもゴミが減らないくらい多い場所、大量に不法投棄されているようなところは一人でゴミ拾いなんてしきれない。この場合は時間か人員のどちらか、リソースを大量に消費することを覚悟しないといけないけど……、それらを用意することを考えるなら、それよりはラクで手軽に片付けられるところをやるだろうね。そこまで行ったら個人ではなく団体の出番になるから、どこかの団体が動くまで待つことになる。

 つまり、どちらにせよ行動が広がることが無いから、お礼を求める時より繁栄しにくくなるってわけだ。


 最後に「そうしろと教わった」。これは言い換えると「そう学習した」ことになる。

 さて、「学習した」はお礼を貰う時にもあった考えだね。ゴミ拾いでお礼を貰うと、「ゴミ拾いでお礼が貰えるからやったほうがいい」と学習する。もしその学習したものが「ゴミ拾いをやったほうがいい」だけだとしても、続けていれば感謝の言葉ひとつくらいは貰えて、最終的に「お礼が貰える」と学習するのもおかしくない。

 逆にもし「ゴミ拾いをやったほうがいい」と教わったのに、お礼が少なかったり貰えなかった場合。「教わったけど役に立たない」「教わったけど手間が大きい」、などの場合は続けていくうちに習慣化しなくなる。もしここで労力に見合う以上のお礼があるなら、習慣化の動機になるんだけどね。


 ということは、これも「お礼」次第。どう学習していても、結局のところなにが貰えるかによってその先が変わっちゃうことになる。



 まとめると、なんとどれも直接的に「お礼が欲しい」と思うよりゴミ拾いの頻度、場所が少なくなりやすい、または「お礼が欲しい」同じような結果になることとなった。この例においてゴミ拾いが続くかどうかは、「お礼を貰えるかどうか」ってことと結論づけられそうだ。

 きちんとお礼を貰えれば、ゴミ拾いはいろんな場所で、高頻度で行われる。すると続々と町からゴミが減っていって綺麗になるっていう想定。


 だから「報酬を得て、複数回は続けられるもの」は繁栄して広がっていくから「善」に含まれるかな、と思う。



 カエデコは腕を組んで考えている様子だった。

「うーん……? 綺麗好きな人とか、自分の部屋を掃除する場合とかは? そういうのってお礼目的じゃないし。」

「さっきの例では分かりやすく『お礼』としたけど、『報酬』と言い換えてもいい。」

「……どゆこと?」

「例えば綺麗好きなら、汚い状態から綺麗な状態になると嬉しくなる。数字でいうとマイナスからゼロになるけど、それってプラスが発生したってわけでね。そのプラスこそが嬉しいって気持ちの本質で、それが報酬になるの。」

「やれば嬉しくなれるから、また後で掃除する……、っていう感じ?」

「そうそう。言うなれば、自分一人の力だけでお礼が貰えるみたいなイメージかな。」

「おお、なるほど。」



 でもここで大事なのは、単に「お礼」ではなく老婦人が「お礼をくれた」というところ。

 これなんだけど、少年が「ゴミ拾いしてやるからお礼を寄越せ、さもなくば逆にゴミを撒いていく」という態度で、お礼目当てに脅していたらどうなるだろう。例えば老婦人の家の敷地内での話ね。


 この場合、少年側はうまく行ってたら二回目、三回目のゴミ拾いを嬉々として行うだろうね。でも老婦人側は、渡したくもないお礼を渡すことになってしまう。

 そのまま続くとエスカレートしていって要求が過激になることもあるだろうし、そうでなくても脅されているわけで、安心して過ごすのは難しいだろうね。だってタイミングによって、お礼を用意できなかったらゴミを撒かれるという不利益を被ることになっちゃう。こうなると「お礼」は嫌々用意しなきゃいけないものになって、意味合いが変わってきちゃうんだ。

 そして、もしそのまま無理をしてお礼を渡すとなると、老婦人の気力はどんどん削られていき余裕を失っていく。余裕が無い状態では、いつしか満足にお礼を用意できなくなるだろうね。精神的に消耗していたら正常な判断もできなくなるわけだし、疲労がたまって身体が動かない、なんてこともありえる。

 つまり最後には破滅。それでは繁栄どころじゃないよね。


 しかし。ゴミ拾いが広がっていく場合のお礼パターンでは、老婦人側は「喜んで」お礼を渡していた。喜んでたから無理のないものだし、二回目、三回目以降も続いていた。

 そしてその時、少年も喜んでいた。喜んでいたから二回目、三回目以降も続いていた。お互いに喜んでいたからこそ何回も続いたということだね。




「なんか『Win-Winの関係』ってやつだねぇ。」

「そうそれ!」


「……え?」

「ヤダが言ったその、『Win-Winの関係』。私はそれこそが『善』だと考えてるんだよ。」

「そ……、そうなんだ。」

「うん。ナイス、ヤダ。その言葉が聞けて良かった。」



 じゃあこれまでのことを簡単になるように整理しよう。


 ヒーローは正義の味方で、正義ではなくその「味方」だから正義ではない。

 正義とは社会そのもの。

 それに敵対する悪は社会の敵。

 善とはWin-Winの関係を指す。


 こんなところかな。で、今のままだと直接の関係性が薄い「正義」と「善」を出した状態になっちゃってるから、そこを補足。

 「正義」という言葉は「正しい義」と書く。「義」っていうのは義理人情とか、義両親、義兄弟みたいな関係性で使われることがあるね。だから言うなれば「正しい関係」と言い換えられそうだ。


 おや、「関係」? 今言ったばかりだね、Win-Winの関係。このWin-Winの関係って、「正しい関係」と言えなくないかな?

 少なくともお礼を出し渋ったり、無理にお礼を強要したりするような、片方に負担を強いるWin-Loseの関係と比べれば、正しい関係だと思う。Win-Winなら繁栄しやすいけど、Loseが入ったらどっちかが潰れたり無くなったりしちゃうリスクが高いからね。

 ということは、だ。「善」と「正義」って同じ、またはよく似たものだと思わない?


 そして今言った「Win-Loseの関係」。これが「Win-Winの関係」と相反するものなら、それこそが善・正義と対する「悪」ということにもなると思わない? もっと言うと「Lose-Loseの関係」でも繁栄しなさそうだからそれも含むとして。



 つまり、こういうこと。


 「悪」とはLoseが含まれる関係、一般化するなら「負担がかかる仕組み」になると私は考えた。何故「負担」が良くないものかというと、それを含んだものは「繁栄しない」から。

 そうそう、昔からこういう言葉があるよね。「悪が栄えた試しなし」。それはたぶん、そういうことなんだと思う。


 だから大まかに言うと、「善と悪」は繁栄するかどうかによる基準。「善」とは「負担の無い関係」。「悪」とは「負担のある関係」。んー……、「無関係」は繁栄するわけではないから「悪」になるのかな? ま、そこはそういうことで。


 以上。これが私なりの「善と悪」についてでした。



「へぇー……。」

「これ、ヤダはどう思う?」


「ちょっと待ってね。……えーっと、お話の中で人々を襲う『悪の組織』は、その『悪』に当てはまる?」

「襲撃によって建物が壊れたり、死傷者が出たりする。被害という形で負担が生まれるから、『悪』だろうね。」


「じゃあ例えば、『泥棒』とかも『悪』?」

「物を盗む、奪うという行為は、盗まれる、奪われる対象が存在する。その対象に対して負担が発生するから『悪』だね。」


「『いじめ』とかも……、『悪』なのかな。いじめられてる人に負担がかかるから。」

「そうだね。仲良くWin-Winが不可能なら、関係を無くしたほうがマシだろうし。」


「……あ、そうだ。なら、『事故』って『悪』?」

「お、なるほどね。」

「事故には被害者がいて、被害者に負担がかかる。でもわざとじゃないだろうから、『悪』って言い切れないような。善人でも事故を起こす時はあると思うし。」

「確かに、負担の有無で言えば『悪』になるし、故意ではないから一般的に悪と言い切るには重そう。考える余地がありそうだね。」


 シンクは少しだけ考えると、すぐに口を開いた。

「だったらひとまず、繁栄するかどうかで考えよう。まず、『事故』は仮に『車を壁にぶつける』と置くね。少なくともこれに当てはまらなければ、他の事故でも成立しないと思うから。では一度事故を起こした後、もう一度事故を起こしたくなると思う?」

「思わない。だって車って高いんでしょ? ぶつけるのは危ないし。」

「うん。さて、ゴミ拾いの例では善行が善行を呼ぶ形となっていた。ゴミ拾いをしたくてゴミ拾いをしていたことが、さらなるWin-Winに繋がった。でも事故ではWin-Winにはなりそうにないね。」

「じゃあやっぱり、『事故』は『悪』?」

「だと思う。でも……。」

「でも……?」


「事故が悪だとして、次に事故を起こしたいとは思わないはず。ということは、その『悪』を回避したいと考えるわけだ。それは善に近しいものだと思う。」

「……どゆこと?」

「悪がある、言い換えるとマイナスがある場合は繁栄しないけど、マイナスが無ければそれはゼロかプラス。その二択でプラスになれれば『善』になるから、事故は善を生むきっかけになると思う。」

「えーっと、最終的に『善』になるから『悪じゃない』ってこと?」

「まあ、大まかにそう。悪を回避すれば善になる。まあ、わざわざマイナスを求めに行く人がいなければ、ね。」



 さて、「善と悪」についてはこのくらいでいいかな。もし途中でなにかあったら言ってね。


 これで次の「人を殺す」ことについて移れるね。でもこれはとても簡単な話で、人を殺したら「人が死ぬ」。それだけ。

 人口マイナス1、っていうだけの話。


 以上。



「………………。」

 カエデコは黙ったままシンクの顔を見る。


「……ゴメン、もう一回いい?」

 そして聞き違いかと思い、再度聞くことにした。


「うん。人を殺したら、人口マイナス1。」

「それだけ……?」

「それだけ。だって、殺したら死ぬでしょ?」

「いや、それは……、」

「じゃあ、人って殺しても死なない?」

「そうじゃないけど……。でも、人殺しって良くないことなんじゃ。」


「……ああ、そっか。前の話題については置いといて。これは『人殺しの善と悪』じゃなくて、本当に単純に『人を殺す』とはなにかって話だから。」



 そう、善と悪について考えなければ、倫理的に考えようとしなければ、って話。その判断基準のもとでは、単純に人が死ぬというだけなんだよ。

 何故ならそれは、相手が死ぬことで初めて「殺した」ことになるから。「人を殺す」が達成されたということは、もう相手は死んでいる。

 そして死んでいるということは、死んでいることに他ならない。「息を引き取っている」「亡くなっている」みたいに言い換えることはできても、その本質は変わらない。結局のところそれは、人口がマイナス1されるというだけ。


 ……さらっと言ったけど、まあ、このマイナス1がとても重たいものなんだけどね。そうでなきゃ問題提起なんてされないから。

 人の死ってのは、ある人から見ればどうでもいい死かもしれないし、ある人から見れば喜ばしい死かもしれない。でも、ある人から見ればとても悲しい死なんだ。

 なんで人が死ぬと悲しいかというと、いなくなって会える機会が無くなるから。身近な人が例え殺されたとしても、病死したとしても、事故死したとしても、違いはあれど悲しいということは共通している。でもそれは、赤の他人からすればどうでもいい話なわけで。例えば海の向こう側でマリーって名前の人が亡くなりました、って聞いてもまず「誰?」って思うでしょ? でもこれが身近な人だったら「悲しい」が先に来る。だから、「死」自体が悲しいというより、身近な人と会えなくなることが悲しいだけなんだよね。

 私はこう思ったから、人の死をただのマイナス1として扱うようにしてるってわけ。


 まあ「人を殺す」をあえて定義するなら、病気やケガを除くように「意図的に人口マイナス1以上を引き起こす行動」としておこうかな。



 ……かなり前置きが長くなったけど、そろそろ「善と悪」、「人を殺す」を合わせて、「なんで人を殺しちゃいけないか」について考えていくね。

 じゃあ、今まで出てきたものを単純に並べてみよう。善はWin-Winの関係、悪はWin-Winの関係ではないもの。悪は避けるべきもの。人を殺すのは、意図的に人口マイナス1以上を引き起こす行動。

 ということなら、「意図した人口マイナスはWin-Winの関係に含まれるか」を考えれば良さそうかな。


 じゃあ、このことについてどう思う?



「……もうこれ、答えじゃないの?」

「そう? ならヤダの考えをどーぞ。」

「人口マイナスはWin-Winに繋がらないから、『人を殺すことは悪』。」

 自信満々に言うカエデコに対して、シンクはわざとらしく問い詰める。


「……本当に?」

「えー、そこ掘り下げる?」

「うん」

「あ……、そうなんだ。」


 しかしシンクはそれを聞き、何故だか少しだけ黙り込む。……そしてなにかを閃いたらしい。

「……あ、あー。そーいうことか、オッケー。そりゃあダメだね。」

「急にどしたの?」

「結論出た。なんで殺しちゃいけないのか。」

「……ホントに、急にどしたの?」

「ヤダの意見を聞いてから掘り下げたら分かった。ちょっと説明のプラン変えていくね。」



 これについてはなんだかんだ、繁栄するかどうかで考えると分かりやすいみたい。今回は例として「佐藤」さんと「山田」さんの一家を例に出す。どちらも父、母、子の三人家族とする。合わせて六人。

 バイオレンスだけど、まず佐藤父が山田父を殺します。すると山田家は父親を殺されたことで、山田家に恨みを持ちます。当然だよね。そして残るのは佐藤父・母・子、山田母・子で五人。

 なので次は、山田母が佐藤父を殺します。……どうやって殺したかは置いておくとして。すると両家の父がいなくなって、残るのは佐藤母・子、山田母・子で四人。佐藤家は父親を殺されたことで、山田家に恨みを持つ。


 ……と、なんと「人を殺す」という行為が「人を殺す」という行為を呼び、繁栄することになっちゃった。しかも佐藤家は山田家に恨みを持っているから、このままならきっと山田母→佐藤母→山田子と殺して殺されていくだろうね。

 で、こうやって連鎖が広がって繁栄していくなら「人を殺す」ことは善? というと、実は違う。


 ちょうどこの例の山田母、佐藤母、山田子と順に死んでいくと、残るは佐藤子の一人だけ。そうなるともう殺す相手はいなくなるし、かなり広く解釈しても自分を殺すしかなくなる。これで自殺、自分を殺してしまうと誰もいなくなっちゃう。すると、どうしても「人を殺す」ということを実行できなくなるね。

 言ってしまえば、人を殺すという「行為」が繁栄しても、人間が「繁栄」しなければ最後に滅びるってわけ。


 ――そこから導き出される結論としては。


 人殺しを許容すると「人殺しが増えて人が減る」。だから人を殺しちゃダメ。


 以上。



「あー……、うん……。なんか、一周回って当たり前って感じだね。」

「お、『当たり前』なら私的にうれしいな。だってそれって『疑う必要が無いくらい正しい』ってことだもんね。」

「そーいうもん?」

「だってこうやって話してる内容、他に話せる相手とかいないから。良し悪しが自分の中でしか判定できないんだもん。……。」

 シンクはそう言いながら缶を口につけ、ほぼ垂直に傾ける。そしてゴク、ゴクと音を立てて、どうやら中身を飲み干したらしい。


「――よし、飲み終わった。さて、ヤダ。なんか聞きたいこと残ってる?」

「んー……。や、得に無いかな。ありがとね、シンクちゃん。」

「オッケー。じゃ、帰ろっか。」



 ………………。



 ……これにて、今日の哲学同好会の活動は終了。

 また次回はあるのだろうか。あるかどうかは、彼女たちの気まぐれにより変わってくるだろう。

 何故なら彼女たちの会話を聞く者はいない。外の世界に広がる余地がない。だから、この同好会が繁栄することはないのである。



おしまい

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「ウチら、なんで哲学同好会なの?」「それっぽいから」 ぐぅ先 @GooSakiSP

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