須藤と桐野(短編)

梨間キツツキ

須藤と桐野

 清々しい朝だ。

 少し肌寒い風が、雑念を削ぎ落すような朝。

 今日は2月14日。

 それまでに稼いだ好感度を写し出す鏡のような一日。

 いわゆる、『バレンタインデー』というやつだ。

 ……分かってる、皆まで言うな。

 どうせ俺はチョコなんざもらえやしない。

 クラス内派閥のどこにも所属してない男は、こういう時に損をする。

 だが、だからどうしたという話だ。

 今の俺には、雑念など存在しない。

 冬の風が、恨みつらみをすべて吹き飛ばしてくれている。

 この一番後ろの席から見える、チョコ交換会の光景も。

 この一番窓側の席まで聞こえる、『下駄箱にチョコ入ってたァ!』とほざく声も。

 全て馬耳東風というやつだ。

 そう。決して、『チョコをもらえるやつ、全員死すべし』みたいなことは……。

「おはよう、須藤」

 チクショウ、雑念の方からこっち来やがった。

 俺は頬杖を突いたまま、挨拶の主の方を見る。

「……羨ましいな、桐野」

 恨めしい目を向けられた挨拶の主、桐野は首を傾げ、短かい髪を揺らす。

 その両肩には大きな紙袋が2個づつ。

 その全てが、ラッピングされたチョコで満たされていた。

 桐野は言葉の意味に気づいたのか、紙袋たちを少し持ち上げて強調する。

「あぁ、これ? そこまで羨ましがるほどじゃないよ。これだけの量、食べきるのもすごい大変だし」

 桐野は俺の前の席、すなわち自分の席に着き、膨れた紙袋たちを机の横に横に引っ掛ける。

 そして上半身を俺に向けるように身体をひねり、俺の机で頬杖を突く。

 向けられた微笑みがあまりにも眩しく、俺は目を細めた。

「つーか、朝八時半だぞ今。この短い時間でどんだけもらってんだよ」

 恨めしさを滲ませながら聞く。

 桐野は紙袋を順番に指差し答えた。

「えぇっと。通学路で一袋、校門近くで一袋、下駄箱で一袋に廊下で一袋かな」

「いや渡すタイミングよ。大丈夫かそれ?通行人の邪魔とかにならねぇの?」

 当然の質問に、桐野も当然のように返す。

「もちろん、ちゃんと気を付けたよ。端に寄って一列に並んで、順番に受け取ったからね。通学路の時は公園の中に入ったし」

(ちゃんと……してんのか?

 いや、チョコの量的にそんなん効果ない人数に思えるが)

 パンパンに膨れた紙袋をちらりと見る。

 その中に詰まった無数のチョコは、桐野の校内人気を表している。

 バレンタインという日は、まさしくこういう奴のためにあるんだろう。

(まぁ、そりゃそうか)

 文武両道、才色兼備、温厚篤実。

 全校男子分の人気を搔っ攫うのも当然のようなハイスペック。

 正直、何でこんな奴が俺とつるんでくれるのか分からん。

 最初に話しかけてきたのも向こうからだし、多分気を遣ってくれてるんだろう。

 そういう気遣いが息を吐くようにできるから、コイツはモテるんだ。

「…………はぁ」

「……? どうしたの?」

 諦観や嫉妬がため息として溢れる。

 不思議そうに声をかける桐野に、「あぁ、いや」と誤魔化す。

「……」

 桐野はじっと俺の目を見つめる。

 まるで、心の奥まで見透かすように。

 ……クソ、誤魔化せないか。

「いやぁ、別に大した事じゃねぇの。ただ『俺もモテたい』って思っただけで」

 キョトン、とした顔で首を傾げる桐野。

「ほら、お前めちゃくちゃモテるだろ? 女子にキャーキャー言われてるのを間近で見てるとさ、やっぱ思うわけよ。何つーかこう、『一人くらい俺にもキャーキャー言ってくれないかな』ってさ」

「はぁ」

 まるで『何言ってんだコイツ』とでも言うような、不思議そうな相槌。

 やんのかコラ、俺は真面目だぞ。

「まぁ、下らねぇ言い方はしたけども。要するに、『誰か一人でも俺の事好きになってくんねぇかな』って事よ……ふぁ」

「へぇ、目の前にいるのに」

 朝の冷たい空気が、置いてきたはずの眠気をくすぐる。

 溢れ出る欠伸が、桐野の返事を遮った。

「え、なんて?」

「ううん、なんでも」

 チクショウ、欠伸の瞬間を狙ってなんか言ったな。

 内容が気になるが、こうなった桐野が口を割る事は無い。

 大人しく諦めつつ、遅れて来た二回目の欠伸を始める。

 直後。

「ァばッ!?」

 開けた大口になんか放り込まれた。

 突然の事に俺は軽くパニクり、口から落としかけたそれを手でキャッチする。

 舌に残るのは、甘味。

 落ち着かない頭で目を向けた、その手元にあったのは。

「……チョコ」

 ピンクのハートを模した、一粒のチョコレート。

 漏れ出た呟きに続き、俺の机に小さな箱が置かれる。

 桐野がその手で蓋を開けると、中には小さなチョコがたっぷり入っていた。

「うぉ、すっげぇ」

 口を突いて出る感嘆。

 桐野は表情を緩め、触れないようチョコを一種類ずつ指差す。

「ミルクチョコのスペード、ビターチョコのクローバーにアーモンド入りのダイヤ。工夫して作ってみたけど、どうかな」

「しかも手作りかよ、マジすげぇ。そんでこのハートはイチゴ味か、凝ってんな」

 感心、感嘆、感動。

 静かにテンションを上げながら、手元のチョコを口に放り込んだ。

「お味はどうかな?」

 噛み締め、咀嚼し、ゆっくり味わう。

 優しい甘さを飲み込むと同時に、喉奥から込み上げる本音。

「いや、めっちゃ美味い」

「……! よかったぁ……!」

 桐野の顔がぱぁっと明るくなる。

 そして顔を綻ばせ、女の子らしく笑った。

「いや、すげぇよマジ。店に出たら飛ぶように売れるだろ、これ」

「え」

 高級店で買った、と言われても信じるであろうクオリティ。

 意識して『買おう』と思わなければ得られないだろう味を、素直に褒め称える。

「いやマジ、ありがとなこんな美味いの。最高の友チョコだわ」

 喜びの言葉を締めくくり、桐野の顔を見ると。

「むー…………」

「どうした」

 明らかに拗ねていた。

 おかしい、褒めたはずなのに。

「何でもないよ。欲しかった方向の褒め言葉じゃなかっただけだから」

「なんじゃそりゃ」

「だから」

 桐野はクローバーのチョコを摘み、俺の唇に押し当てる。

「来年は私の欲しい言葉をもらうから、ちゃんと言い当ててね」

 周りの女に向けるように眩しく微笑み、チョコを俺に手渡した。

「HR始まるし、またあとで話そうか」

 担任のでかい足音が近づく中、桐野は前を向く。

 俺は眩しさにやられた目で桐野の華奢な背中を見つめながらチョコを口に入れ、蓋を閉めた箱を机に仕舞った。




(また駄目だったかぁ)

 担任の空っぽな話を浴びながら、私は反省する。

 須藤は根っからの鈍感、今までのアプローチも全部気づいてもらえてない。

(多分、気づかないんだろうな。箱の中、一色だった事)

 イチゴ味、ピンク色にしたハート。

 実は、ハートを作ったのは一つだけだったんだ。

 たった一つの君への恋愛感情だけは、ちゃんと手渡したい。

 そういう願いを込めて、今回チョコを作ったけど……

(流石に遠回しすぎたかな。反省反省)

 次は何をしようか。

 次はどうやって伝えようか。

 みんなが私を慕っていた。

 私を持て囃す時、みんなどこか謙遜していた中、君だけが。

 君だけが私を対等に見てくれた。

 嬉しかったんだ、本当に。

 だから私も『学校一の人気者』じゃなくて、『一人の女の子』として君に感謝を伝えたい。

(あぁ、いつ気づいてくれるかな)

 訪れるかも分からない『もしも』に、私は今から心が躍っている。

 願わくば、その時は。

 君がこの手を握ってくれますように。

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須藤と桐野(短編) 梨間キツツキ @tk407tk

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