魔法少女は清く正しく美しく
水池亘
魔法少女は清く正しく美しく
「ククククク、やってしまいなさい怪人デーマ!」
「デー!」
鳴き声を上げ、街中を暴れ回らんとするのは頭にパラボラアンテナのような器官を備えた異形の怪物。それに指示を出した男は縦縞のスーツに身を包み、頭のシルクハットに右手を置いて笑っている。紫色の肌が、彼もまた人間ではないことを示している。
「待ちなさいっ!」
凜々しい三つの声が響きわたる。
「やはり来ましたね、魔法少女トライフル」
「トリカット、あなたの悪行も今日までよ!」
そう言い放ったのは赤のように明るい髪色をした少女。短髪で背は低く、セーラー服がぶかぶかなほど華奢な体つきだが、そのつり目には膨大なエネルギーが宿っている。
「今すぐ降伏しなさい!」
二人目の少女がキッと男を睨みつける。美しくまっすぐな黒髪を腰元まで伸ばしていて、頭には青色のリボンをひとつ飾っている。すらっと背が高く、整った顔立ち。凜とした雰囲気は切れ味鋭い刀を連想させる。
「改心しないと倒しちゃうよ♪」
最後の少女が身を乗り出す。細身の眼鏡の奥にある瞳はきらきらと眩しく、キュートな印象を与える。セミロングの茶髪を緑色の髪留めで左右に分けて結んでいる。可愛らしい表情の向こう側には無邪気な恐ろしさを感じさせる。
「ふん、何を言われようと、私は悪として仕事を全うするのみです。さあ戦いなさい、デーマ」
「聞く耳ないようね」
三人の少女はお互いに顔を見合わせ頷くと、各々制服の胸ポケットに手を入れ、小さな棒を取り出した。それはみるみるうちに大きくなりピンク色のステッキに変貌する。先端にはプリズムのごとく輝く星形の飾り。振り上げると粉のような光が舞った。
「希望の色はお日様の赤! レッドシャイン!」
「勇気の色は水たまの青! ブルードロップ!」
「未来の色は原っぱの緑! グリーンリーフ!」
それぞれの掛け声に合わせ、ぱあっと白い光が広がる。数秒してそれが収まった時、彼女たちは魔法少女の姿に変身していた。各自のカラーに合わせた、フリルの多くついたドレスとスカート。
「いくよっ、みんな!」
レッドシャインの掛け声をきっかけに、デーマに向かって魔法を放つ三人。しかし相手も黙ってはいない。得意の電波攻撃で魔法を相殺すると、衝撃波を撃って三人を痛めつけんとする。少女たちはステッキを振る。風が舞い、体がふわりと宙に浮かぶ。飛行能力を駆使して三人は衝撃波を避け続ける。それでも攻撃は勢いを増し、ついには三人に命中して極上の苦痛を与える。たまらずふらふらと地面に落ち、倒れ伏す魔法少女達。
「おやおや、我々が優勢のようですね。しかもそろそろ一〇分経過、変身が切れる頃合いだ」
「まだよ! まだ私たちにはあれが残ってる!」
「あれとは、まさか……!」
三人の少女は気力を振り絞り立ち上がる。駆け寄って、三角状に手をつなぎ合った。それを天高く掲げ、順々に言葉を放つ。
「清く!」
「正しく!」
「美しく!」
そして一拍置き、同時に叫んだ。
「トライフルホワイトシャワー!」
その瞬間、腕の輪から真っ白な光の渦が迸った。それは太く長い光線となり、弧を描いてデーマへ向けて突進する。逃げる暇などない。「デ、デ、デー!」断末魔の声を上げ、デーマは消し飛んだ。跡形の一つも残らず。
「ううむ、やはりその技は脅威ですねえ。今日のところは退散しましょう」
「待ちなさいトリカット!」
ブルードロップの叫びが届く頃には、もうトリカットは姿を消していた。
「あいかわらず逃げ足が速いですね……」
「まあまあ、怪人も倒したし、今日はもういいんじゃない?」
グリーンリーフが笑顔で言うと、ちょうどポンと音を立てて三人の変身が解けた。
「……そうですね、では帰りましょうか」
「じゃーさー、カラオケ寄ってかない?」
「あ、それ賛成!」
「校則違反ですよ、二人とも」
「もー、堅いこと言うなあ」
三人は笑いながら去っていく。そろそろ日も暮れ始める頃合いだ。
*
「はあ~、やっぱトライフルは良いなあ」
ため息をつきながら言うのは、小太りな男性。頭髪が少し薄くなっている。柔和な瞳でニコニコとものを語る。
「週一でやってくれてて本当良かったよ。僕、これ見るために生きてるまである」
「わかりますのう」
初老の男性が穏やかに頷く。整えられた白髪と髭。その佇まいからは確かな品の良さが感じられる。
「わしは孫がいませんからのう、あの子たちを代わりのように思ってしまうのですな。頑張って戦う姿を見ていると、恥ずかしながら、涙が」
その言葉を聞いて「なるほどな」と頷くのはガテン系の青年だ。シャツの上からわかるほどの筋肉と、小麦色の肌。
「俺にゃ嫁も娘もいるけどよ、あんたの気持ち、わからなくもねぇぜ。俺にとってトライフルはアイドルなんだ。あの三人は歌って踊ったりはしねえが、画面の向こうで悪党相手に一生懸命戦ってくれてる。それを応援する思いは、誰にも負けねぇ自信があるぜ」
「あ、あたしも……負けないよ……」
おどおどと口を開く女性は、やけに前髪が長い。目元が隠れていて表情が掴みにくく、社交性があるようにも見えないが、それでもこんなところまでわざわざ来たのだ。意外と勇気があるのかもしれない。
「トライフルって、ほんとかわいいし……アクションシーンすごいし……大好き……」
うっとりと語るその台詞に、
「トライフル、本当に可愛いでしょうか?」
と挑発的な発言が飛ぶ。口にしたのは、明らかに場で一番若い少女だ。おそらくまだ学生だろう。瓶底眼鏡に、三つ編みにまとめた黒い髪。胸ポケットのある服はどこかセーラー服のようにも見える。オタクのテンプレート的な風貌だが、そのすまし顔にはどこか気の強さを感じる。
「わたし、年齢が同じだからでしょうか、トライフルをあまりアイドルとかアニメの美少女みたいに見られなくて。それよりもっと距離の近い、どこにでもいるような女子高生なのかなって。そこが好きなんです。個人的にですが」
「私も同意見ですね」
最後に残された私が言葉を引き継ぐ。
「彼女たちは変身能力を持ってはいますが、その本質はただの少女です。何も特別な人間ではない。それでも他人のため、世界のために戦うのだ、というところに感動の本質があるのではないですか」
私が流れるように語ると、小太りが「特別な人間じゃないって、それ公式情報?」と口を挟んだ。
「ああいや、どうでしたか。ネットかどこかで見かけたような気がするのですが」
「公式ですよ」
眼鏡の少女が断言する。
「……へえ、そうなんだ。知らなかったなあ」
禿げた頭で考え込む男を横に、少女は穏やかな表情で言った。
「わたしから見て、あの子たちに特別な何かがあるとは思えません。普通の、思春期の女性です。だからこそ、素直に応援できるのです」
その言葉に場の全員が静かに頷いた。
*
半年ほど前から全国放送が始まった「魔法少女トライフル」。三人の女子高生が悪の軍団と戦う様をまとめて日曜の朝に流している。初回から特にアクションが素晴らしく、また美しさ、可憐さ、格好良さの面でも目を見張るものがある、ということで瞬く間に大人気となった。今ではおもちゃ化、コミカライズ、フィギュア化等々、多方面で商品化され飛ぶように売れているらしい。
そんな中、ネットで知り合ったオタク六名が開始したグループチャット。トライフルについて日夜活発に書き込みあい、議論も白熱、いよいよ場も煮詰まり切ろうかというところで一人が<実際に会って話さない?>と言った。
<僕、別荘持ってるから、そこでオフ会やろうよ>
そうして我々ははるばる地方へ集まった。駅前で合流し、そこから発起人とガテン系男性、二人の車に分乗して揺られること一時間。誰も知らないような不整備な山道の先に、不意に大きな建物が現れた。赤茶色の屋根の、木造と思しき館。おそらく二階建てだろう。更にはその隣に小さめの小屋まで建てられていた。
「なんだありゃあ、デカすぎる」
運転するガテン系の言葉に私は内心同意する。
車を降りたのは午後二時過ぎ。昼食を済ませていなかった我々は、とりあえずラウンジで今朝のトライフルの録画でも見ながら食事しようかということになった。自己紹介すらせずトライフルを最優先するのが我々らしいと言える。
トライフルはデーマを打ち倒し、我々の腹もそれなりに膨れた。
「じゃあ、さすがに自己紹介しようかな」
おもむろに立ち上がったのはオフ会の発起人にして館のオーナー、小太りの男だった。
「ムラです。年齢は三八。本名は……別にいいよね。どうせハンドルネームでしか呼ばないし。今回は僕の誘いに乗ってくれてありがとう。オフ会って結構怖い面もあるからさ、まさか全員参加してくれるとは思わなかった。楽しい会になるといいなと思ってます」
ニコニコと笑いながら頭を下げる。人の良い雰囲気が全面に出ている。しかしこんな大きな館を別荘に持っているとは、一体どのような仕事をしているのだろう。
「僕、トライフルはもう初回を見た時から一目惚れしちゃって。あんな可愛い女の子なのに、ものすごく動くし、魔法も派手だし、大好きになっちゃったな。それからずっとファンやらせてもらってます。トライフルの知識は相当あると思うから、わからないことがあったら訊いてみてください。よろしくね。じゃあ次は……右回り順にしようかな」
「えっ、あ、あたし……?」
びくっと体を震わせてしばし俯く、陰気な女性。やがてパッと顔を上げ、口を開いた。
「えっと、
「ええっ、あなたが?」
意外すぎてつい口が動いてしまった。
「はい……仕事だとできるんです、なんでも……昨日も店長に褒められました……」
そういうものなのか。
「次は俺か」
ガテン系の男が席を立つ。
「
ハキハキと一気に言って、どっかり椅子に座り直した。
「では」
代わるように少女が立ち上がる。すらっとした美しいフォルムだ。
「レインといいます。高校二年生です。得意な教科は体育。苦手は数学。嫌いな食べ物は生のトマトです」
それだけ言って、物言わぬ我々をぐるりと見つめる。
「冗談です。トライフルはとても好きですが、もしかしたら皆さんほどの情熱はないのかもしれません。熱狂的にはなれない性格なので」
「僕はそんなことないと思うな」
ムラが笑って首を振る。
「だって君は、僕ですら知らない公式情報を知ってたじゃないか」
その言葉に、少女は真顔のまま「たまたまです」と短く答える。ムラが苦笑していると、少女は話し終えたことを示すかのようにすとんと腰を下ろした。
「次はわしでよろしいですかな」
初老の男性が口を開いた。
「少し腰がよろしくありませんでしてな、着席のままで失礼いたします」
そう頭を下げ、ゆっくりと話し始めた。
「わしは太郎と申します。今年で丁度六十になりました。娘が一人おるのですが、時代ですかな、独身のまま楽しく暮らしておるようです。その娘から三ヶ月ほど前、『暇ならトライフル見てみたら?』と勧められましての。娘が言うならと見ましたところ、これがもう本当に素晴らしくてのう。すぐさまファンになってしまいましたわ。グッズや本もほとんど買い漁っております。妻には心配されますが、わしは今、とても充実していると、これは心から断言できます。この思いをどうしても誰かと共有したくて、それで年老いた身ながら、貴方がたのグループチャットに参加させていただきました。本日も、楽しい日になることを願っております」
噛みしめるように丁寧に語って、最後に静かなお辞儀をした。自然に周りから拍手が沸き起こる。変哲もない内容ではあったが、彼の語り口調と佇まいのおかげで、どこか感動的にも思えるスピーチだった。
そして全員の目が私に向けられた。
「……今のが最後で良くないですか? 駄目ですか」
私はため息をひとつ吐いて、しぶしぶ立ち上がった。
「どうも、鳥居です。年齢は……いくつに見えます?」
不意に質問を投げかけてみると、黒曜が「それがわかんねぇんだよな」と声を上げた。
「顔が平坦すぎるんだよ。言い方悪ぃが特徴がない。ひょろっと背が高いだけじゃあ年齢なんて当てようがねぇ」
「そうだねえ。僕もまあ同意見だけど、強いて言うなら三十代後半くらいかな? その頭の、昭和の探偵みたいな帽子、すごく似合ってるからそんなに若くないと思うな」
「わたしは二十代に見えます」
「よ、四十五……とか……」
「わしからすれば皆若く見えてしまうものですが」
それらの言葉を聞いて、私は「なるほど」と頷いた。
「ではあえて年齢不詳としましょうか。オフ会ですし、それくらいのほうが面白いでしょう。ついでに職業も不詳ということで。ああいや、怪しいものではありません。残念ながら、証明はできませんが」
抑揚をつけてペラペラと語る。
「トライフル、私も大変気に入っておりまして。登場した頃からずっと注視しているのですが、中々あれは強いですね。まだ身体面、精神面双方に幼いところも見受けられますが、むしろ伸びしろだと考えるとその成長性は驚異だと言えます。今後どのような展開を見せるのか、目が離せませんね」
私の言葉に、一同大いに頷いた。
自己紹介も終わり、館をムラに案内してもらうこととなった。
二階建てのこの館は、入り口から続く廊下の左手にラウンジとキッチンが、右手にトイレ、浴場、倉庫がある。廊下の突き当たりには客室が横並びで三部屋。また階段を上った先にも、一階と同様に三部屋が並んでいる。
客室の割り当てはムラが決めた。一階には入り口向かって右からレイン、私、ムラ。二階には同様に太郎、黒曜、毒苺が泊まることとなった。
「そういえば」私は不意に思い出したことをムラに尋ねた。「車でここの敷地に入る時、館の右に小屋が隣接しているのを見かけましたが、あれは?」
「ああ、あれね」ムラは笑って言った。「あれは僕専用のコテージだよ。この館はお客さんが来ることも考えて大きめに作ってあるんだけど、一人で過ごすには大きすぎて。あっちにいる方が落ち着くんだ。今日はみんながいるから、僕も大体こっちにいるけど」
「なるほど、わかりました」
「あ、みんなはあそこ、入らないでね。プライベートな空間だから見せたくないんだ。と言っても鍵は僕が持ってるし、合鍵もないけどね」
そう言ってムラはパンツの右ポケットから銀色の鍵を取り出し掲げ、ハハハと笑った。
会話しつつゆっくり見回っていたこともあり、終わった頃には午後三時半になっていた。各自自室で休憩し、五時にロビーに再集合することとなった。皆で夕食を作ろうということだ。それまでの一時間半ほどは自由時間である。ラウンジでトライフルの録画を見るなり、敷地の外に出て森林浴するなり、部屋にこもって休むなり、好きにしていい。
「外に出たら危ねぇんじゃねえか?」
「大丈夫だよ。熊なんていないし、もちろん人が気軽に来られるような場所でもないからね」
「ならちょっくら行ってみるかな」
腕を回す黒曜を尻目に、私は自室へ向かった。入るなり荷物を置き、清潔そうなベッドに腰掛けて一息吐く。このベッド、おそらくかなり上質のものだ。部屋もちょっとしたホテル程度に広いし、流石にトイレや風呂はないものの、エアコンにテレビまで備わっていた。やはりムラはかなりの資産家なのだろう。そういえば彼は職業について何も言わなかったか、あれはたまたまか、それとも意図的か。
僕専用のコテージ、ね……。
面白そうではあったが、中を見るのは色々と面倒そうだ。今日は私もプライベートだし、のんびり楽しむことにしよう。
ドアの反対側には中型の窓があった。よく見ると、クレセント錠が付いていない。不用心だな……いや、もしかして。私は窓を開け、首を出して下を眺めた。やはり、か。地面が遥か下方にある。崖だ。この館は崖の端に建てられていたのだ。であれば確かにクレセント錠など不要だ。そもそもこんなところから侵入する者などいない。
少し冷たい外気が部屋に入り込み、体のほてりを落ち着かせる。私はふうと息を吐いて椅子に腰掛ける。気を抜いて弛緩していると、不意にトライフルの姿が頭に浮かぶ。ああ、愛しのトライフル。次は………………ピピピピピとスマートホンが鳴る。私はぼんやり目を開けた。いつの間にかうたた寝をしてしまったらしい。時計を見ると、四時五十分。私はひとつあくびをして、スマホの画面を確認する。どうやら今し方トライフル関連のニュースの通知があったようだ。私はタップしてニュースの中身をざっと十五秒ほどかけて読んだ。ふうむ、大変だなあ。と他人事のような感想を抱く。
少しゆっくりしてから上着を着て、部屋の扉を開けたのは五時の直前だった。
「あら、鳥居さん」
左から声をかけられて見やると遠くにすまし顔のレインが立っていた。丁度同じ時間に出てきたらしい。
「ずっと部屋にいらしたのですか?」
「ええ、恥ずかしながら寝入ってしまいまして。レインさんは?」
「私も部屋にいました。宿題が残っていまして」
「宿題、ですか。私はとっくに忘れた言葉ですねえ」
「わたしも速く忘れたいものです」
「まあ、卒業までの辛抱ですよ」
そんな軽口を叩きながらロビーに到着すると同時に五時を告げる鐘がなった。我々以外のメンバーは既に集合していた。一人を除いて。
「おや、ムラさんは?」
企画者が遅刻するというのも妙な話だが、ルーズな性格なのかもしれない。だが一〇分待っても現れないとなると、ルーズどころの話ではない。
「ね、ねえ……おかしくない……? 流石に……」
「なんかあったのかもしれねえ」
「わたし、探したほうが良いと思います」
「わしも賛成ですじゃ」
ということで館を散策したが、結局ムラの姿はどこにもなかった。
「ってことは外に出てったのか?」
「その可能性もありますが」私は口を開く。「その前に、まだ探してない部屋がありますよ」
その言葉に、全員が「あ」と口を揃えた。
コテージの扉には鍵が掛かっていた。
「あらら、開きませんね。合鍵は……ないんでしたね」
「おいムラさん! ムラさんいるか!」
横から黒曜が出てきて扉を激しくノックする。しかし中で何かが動くような気配はない。しんとしている。不気味なほどに。
「鍵が掛かっているのでしたら」レインが口を挟む。「ムラさんが外から閉めたのでは?」
「そうかもしれねぇけど、中から閉めた可能性だってあるだろ」
中から閉めているのに、動こうとしない。それはつまり……。
「おい、蹴破るぞ! 鳥居さん手伝え!」
「えぇ……」
私の口から情けない声が漏れる。肉体労働は他人に任せるタイプなのに。
「同時に蹴るぞ! せーのっ!」
しぶしぶ私は足を蹴り出す。バゴンと派手な音を立てて扉が中に倒れた。埃がもうもうと舞い上がる薄暗い室内を、陽の光がだんだんと照らしてく。それを横から覗き見た毒苺が「ひっ!」と叫び声を上げて尻餅をついた。
「し……死んでる……!」
そこには頭を血で大きく凹ませ倒れるムラの姿があった。
「ムラさん!」黒曜が目を大きく見開いて身を乗り出す。「大丈夫かムラさん!」
「入らないで!」
大声を上げたのは私だ。同時に腕を横に広げて黒曜の進路を塞ぐ。
「私が中を確認します。皆さんは外で見張っていてください。特に、私が変な行動をしないかどうか」
「何言ってんだあんた! とにかくムラさんの安否を……」
「もう死んでますよ、見ればわかるでしょう」
「わかんねぇだろうがよぉ!」
「あー、では一応救急車を呼んでください。それと、もちろん警察も」
「鳥居さん、あんたちょっと落ち着きすぎじゃねぇか?」
「こういう状況には慣れてるんです、職業柄」
「職業?」
「探偵なんです、私」
短く言って、私は素早く室内に入り込む。動かないムラの体に近づき、息と脈がないことを確かめる。頭の窪みからはもう血は流れていない。死斑が出始めている。死亡後三十分といったところか。私は死因であろう陥没痕の形をよく観察する。やはり、か。遠目で確認した通り、尖った物体で一撃されている。しかも、相当強い力で。
次に私は腰を落とし、ムラのパンツの右ポケットに手を突っ込んだ。指に触れる冷たい感触。取り出したそれは銀色の鍵だった。昼過ぎにムラがかざして見せた、このコテージの鍵だ。
私は立ち上がって部屋の全体を見渡す。センスの良い一人暮らしの男性の部屋という雰囲気で、特に荒らされてはいないがテーブルと椅子が倒れている。ムラが倒れた弾みだろう。私は床を丹念に見て回る。特に気になるものは落ちていなかった。
扉の向かいの壁を見ると、大きめのガラス窓が開け放たれていた。私は近づいて外を覗く。下に広がる崖からひゅおおと風切り音が聞こえる。左を見ると館の裏面全体が見られる。特にロープや梯子といったものはない。
振り返ると、扉の上部にも窓があった。しかしこれは小型で、しかも相当に高い位置にある。椅子やテーブルに載っても、ぎりぎり手が届くかどうか。おそらく日光を取り入れるためだけのものだろう。
天井を見上げればLEDタイプの電灯が消えている。スイッチは扉のすぐ左にあった。パチと押すと部屋が柔いオレンジ色に照らされた。それなりに明るい。これが点灯していなければ、夜間は全くの暗闇になるだろう。
……これで大体調べ終えたか。私はコテージの入り口へ向き直り、覗き込んでいる四つの顔に向けて歩を進めた。
「とりあえず全員でラウンジに行きましょう。そこで話を聞かせてください」
「話? どういうことだ、鳥居さん」
「おそらく犯人は我々の中にいますので」
そう言って私は薄く微笑んだ。
*
警察も救急も、到着には一時間かかるとのことだった。私としてはそれまでに事を片付けてしまいたい。
私はスマホを取り出し、十秒ほど操作する。
「何してんだ?」
怪しむ黒曜の言葉に「ああ、ちょっとメモを。探偵業の癖でして」と軽く返す。そしてスマホをさっとポケットにしまった。
「では早速ですが、三時半以降何をしていたのか、一人ずつお話ください」
場は完全に私の仕切りとなっているが、反発する者はいなかった。少なくとも、表面上は。私が探偵と名乗ったこと、先ほどの現場検証での手際の良さ、そして「犯人は我々の中にいる」という私の台詞の圧力が、彼らをそうさせているのだろう。
「わたし、ずっと部屋で宿題をしていました」
率先して発言したのはレインだ。
「だからアリバイはありません」
アリバイ、という単語に何人かの体がピクリと動く。そう、我々は今容疑者として扱われている。もちろん私も同様に。
「勇気ある発言、ありがとうございます。何か変わったことなどありませんでしたか?」
「音を聞きました」
「音?」
「ドン、という何かがぶつかったような音です。あまり大きいものではなかったので気に留めなかったのですが、今思うと、あれはムラさんが殺された時の音だったのではないかと。時刻は四時四十五分頃でした」
「なるほど」
彼女の部屋はコテージに最も近い場所にある。激しい音であれば聞こえても不思議はないだろう。
「貴重な情報、助かります」私は笑顔で頷く。「では、次は黒曜さん、お願いできますか」
指名された彼は強ばった顔で「俺ぁ外出てたぜ」と言う。
「森の中を散歩してたな。森と言っても、この辺あんまり木はねえんだけどよ」
「一時間半、ずっとですか?」
「そうだよ。荷物置いてすぐ出て、集合三分前に戻ってきた」
「そのわりに汗の一つもかいていないようですが」
「あのなあ、俺にとってこんなん運動の内にも入らねえよ。真夏でもねえし、汗なんかかくわけねえだろ」
「そういうものですか」
ひとまず同意しておく。
「他には特にないですね? では毒苺さん」
私の指名に「ひっ!」と飛び上がる毒苺。明らかに怯えている。
「すみません。怖がらせるつもりはないんです。あなた一人を疑っているわけではなく、手続き上、全員に話を聞いているというだけですから」
私は努めて優しく言う。彼女は何度か深呼吸すると、ようやく口を開いた。
「あ、あたし……部屋でトライフルの漫画を……でも四時半頃、外に出たくなって……屋敷の前の、木陰でぼーっとしてました……それで五時の五分前くらいに、部屋に戻って……」
「なるほど。屋敷の前にいたということは、コテージの扉も視界に入っていたということですね」
私の言葉に彼女は頷く。
「はい……たまにスマホとか見てましたけど……たぶん誰も出入りしてなかった、と思います……あ」
彼女は何かを思い出したかのように、目を少し大きくした。
「光、を見ました……」
「光?」
「はい……コテージの小窓から、ぱって白い光が、数秒……きれいだったな、あれ……」
「それは何時頃ですか?」
「ニュース速報の少し前だから……四時四十五分くらい……」
速報、とは私が目覚めさせられたトライフル関連のものだろう。また四十五分という時間は、レインが音を聞いた時間とも一致する。
「も、もしかしたら……ムラさんか犯人が……部屋の電気をつけたのかも……でも、なんで……?」
困惑する彼女に「ありがとうございました」と告げて会話を終える。
「次はわしですかな」
声を発したのは太郎だ。
「わしはラウンジにおりました。ムラさんに訊いたらトライフルの全放送が録画してあるとのことでして、初期のものを見返しておったのです。丁度三回分見たところで四時五十五分になりましてな。そのまま皆さんを待っておりました」
「た、確かに……」毒苺が補足する。「あたしが行ったとき、太郎さんひとりだった……その後、黒曜さんが来て……最後にレインさんと鳥居さんが……」
「なるほど。黒曜さん、間違いないですか?」
私が尋ねると「ああ」と頷く。
「では太郎さん、ラウンジにいる間、不審なことはありませんでしたか」
「番組に集中しておりましたし、部屋のドアも閉めておりましたから、外で何かがあったとしても、わしにはわかりかねますのう。申し訳ありませぬ」
「いえいえ、いいんですよ。ありがとうございます」
私は軽く頭を下げた。
「最後になって恐縮ですが、私はずっと部屋でうたた寝していました。というわけで、これで全員にアリバイがないことがわかりました」
私は台詞を切って全員の顔を見回した。黒曜は考え込むようなしかめっ面、レインはしゃんとしたすまし顔、太郎は眉を潜めて困惑顔、毒苺は恐怖に顔を引きつらせている。
「さて」
私は微笑んだまま、空気を断ち切るナイフのように言った。
「それでは、解決編といきましょうか」
*
「まずは状況を整理しましょう」
私は立ち上がって、手振りを加えながら話し始める。
「三時半に我々が解散して、各々一人行動をしています。私とレインさんは部屋にいた。太郎さんはラウンジで録画を見ていた。黒曜さんは外に出かけていた。毒苺さんは四時半まで部屋にいて、二十分ほど屋敷の前に出て、五十分に部屋に戻った。この間、お互いを見かけた人はいません。間違いありませんね」
全員が重く頷く。
「次に殺人の状況ですが、まず死亡時刻は、私の見たところ四時四十五分前後で間違いないでしょう。死因は頭への打撃。鋭い
「なら若い男の犯行か?」
と口に出してから黒曜が自身の体を見る。周りの皆も彼に視線を集めた。
「ち、違う、俺じゃ……」
「男とは断言できないでしょう」私はさっと言葉をつないだ。「非力な者が何か工夫した可能性もあります。ただ、見たところ、凶器は現場にありませんでした」
「凶器がなかった?」
「ええ。犯人が持ち去ったものと思われます。コテージには鍵が掛かっており、開けるための鍵はムラさんのポケットにありました。ムラさんの発言を信じるなら、合鍵もありません。向かいの窓は開いていましたが、下が崖になっていて、ここから脱出するのは普通の人間には不可能でしょう」
「ロープとか使って下りてったんじゃねえか?」
「そういった仕掛けはありませんでしたね。ですので、飛び降り自殺でもしない限り、犯人は外に出る手段がなかったことになります。つまり密室です」
「密室!」
驚く黒曜と一同に、私は微笑む。
「さて、まず最初に外部犯の説を否定しておきましょう」
「できるのか?」
「難しくはありません。もし外部犯だとすると、その動機は何なのか? 通り魔や快楽殺人者がこんなところにふらっと現れるわけはありませんし、物取りだとしても、誰も知らないような場所に建てられたこの館をピンポイントで狙うことはできないでしょう。残る動機は怨恨ですが、実はそれも怪しい。なぜなら、今回ムラさんは我々と一緒に来ているからです」
「どういうことだ?」
「客のいない日に殺した方が楽だということですよ。ムラさんはこの館に一人で来ることもあると言っていました。であれば、その時を狙ったほうが確実です。わざわざ他人に見つかるリスクを冒す必要がない」
「一人きりだと勘違いしたんじゃねえか」
「車が二台停まっているんですよ。それを見れば、一人でないことは明らかです。以上のことから、怨恨の可能性もない。よって外部犯はありえないのです」
私と黒曜の会話を他者は黙って聞いている。内心何を思っているのだろうか。
「内部犯、つまり我々の誰かが犯人だとして、まず考えたいのは、コテージにいつ入って、いつ出たのか、です。まあ入るのは簡単です。三時半から四時半までは誰もコテージを見ていなかったのですから、その間に入ったのでしょう。その時はムラさんも一緒だったはずです。鍵はムラさんしか持っていなかったのですから」
「初めから開いてたんじゃねえのか?」
「『プライベートな空間だから入るな』と言って鍵を見せるような人が、その空間を開けっぱなしにしておきますかね。ムラさんと犯人は間違いなく一緒に入室したのです。人目を避けて、こっそりと」
「何でだ? 隠し事でもあったのか」
「さあ、どうでしょうね。まあ一旦それは置いておいて、とにかく二人で入ったあと、四時四十五分に犯人はムラさんを撲殺した。五時には我々はラウンジに集まっていたのですから、十分少々の間に犯人は脱出したわけです、密室となったコテージを」
「それが最大の謎ってわけか!」
ポンと手を打つ黒曜に向かって、私は笑みを投げかける。
「では方法を考えてみましょう。窓から抜け出すのはまあ無理ですね。大がかりな物理トリックでも使えば、あるいは可能なのかもしれませんが、その場合は計画的犯行ということになります。わざわざそんな複雑な殺し方をする必要があるのでしょうか」
「自殺と思わせたかった、とか」
「そうだとすると凶器を場に残しているはずです。まあそもそも、あの傷で自殺とするのは相当無理がありますが」
「外部犯が窓から飛び降りて死んだと見せかけた、ってのは?」
「崖とはいえ、地面が遠目に見える程度の高さですよ。警察が捜したら、死体がないのはすぐにわかります」
私の否定に、「そうか……」と呟く黒曜。少し肩が落ちている。
「というわけで、窓からは出られません。となると扉しかない。しかしここで大きな問題が生じます」
私は言葉を少し止めた。一呼吸置くだけのつもりだったが、不意にレインが口を挟んだ。
「外の様子がわからないことでしょう」
……この少女は、本当に芯が強い。
「その通りです、レインさん。あのコテージは、中から外を見ることができないんですよ。小窓はありますが位置が高すぎて、人が覗くのは無理でしょう。ですから、不用意に扉を開けると、その瞬間を外にいる誰かに目撃されてしまう危険性がある。そうなったらおしまいです。つまり犯人は物理的にではなく、状況的に外に出られなくなってしまったのです」
「なら、どうやって……」黒曜が困惑する。
「実際、犯人も困っていたことでしょう。その時、スマホに通知が来た」
「通知?」
「皆さんも見たでしょう。トライフルのあのニュース速報です。四時五十分頃、それは届いてスマホの音を鳴らしました。それこそが犯人にとっての福音だったのです」
「どういうことだよ」
「我々はトライフルのオタクです。トライフルのニュースとなれば間違いなくすぐに目を通します。つまりニュースを読み切る十五秒程度、我々はスマホに釘付けになる」
私は朗々と述べる。聞いていた太郎が「それは、まさか……」と呟いた。
「そう、その十五秒間は、扉から出ても誰にも見られることはないのです。心理的死角。犯人は咄嗟にそれを利用した。十五秒あれば、サッと扉から出て、敷地の入り口辺りまで行くことができます。そうなればもう誰に見られても大丈夫です。普通に館まで歩いていって、他人と会っても外を散歩していたと言えばいいわけですから」
「そうか!」黒曜が叫ぶ。「それが密室の答えか!」
「でも鍵が掛かっていたんですよ」
私は静かに告げる。
「……は?」
「死体発見時、コテージの鍵は掛かっていました。ということは、犯人は扉から出た後、鍵をわざわざ閉めていることになる。一刻を争う十五秒の間に、そんなことをする意味があると思いますか? つまり先ほどの推理は、施錠されているという一点により、机上の空論と堕してしまうのです」
「そんな……」
露骨にがっかりする黒曜。喜怒哀楽の激しい人物だ。
「とにかくこの事件は鍵が掛かっているというファクターが余計なんです。掛ける理由がどこにもない」
「そりゃ、中に入られたくなかったんじゃねえか」
「あんな扉、蹴破れば入れますよ。実際我々がそうしてるじゃないですか」
「うーん」黒曜は悩ましげに首をかしげる。その時口を開いたのは、やはりレインだった。
「わたしたちが全員でコテージに行くまで誰にも開けてほしくなかった、というのは?」
私は彼女を改めて見つめる。眼鏡の奥の瞳に聡明さが宿っている。
「はい、それは実際ありえます。なので私は『入らないで!』とあの時言いました。全員で一緒に入りたい理由として最も大きなものは、現場に残る証拠を隠滅するため、ですから」
「あんた、あの瞬間にそこまで考えてたのか」
目を丸くする黒曜に、「まあ、探偵ですから」と軽く返す。
「もしそれが理由である場合、コテージ内に大きな証拠物があるはずです。私は丹念に調べましたが、それらしきものは見つかりませんでした。凶器の一つでも残ってるのかと思ったんですがね」
私はため息を吐き、大げさに首を振る。何だかこの振る舞いが楽しくなってきた。
「というわけで、鍵を掛ける合理的な理由がないことがわかりました。しかし現実に鍵は掛かっていた。完全に矛盾しています。ですから、我々は考え方そのものを根本から変える必要がある」
そこで私はしばし話を止めた。改めて全員の表情と姿を見る。黒曜は苦悩の色を浮かべているが、しかしどこか楽しんでいるようにも見える。ワトソン役が似合っているのかもしれない。レインは変わらずすまし顔で話を聞いている。その心情は表情からはうかがえない。太郎は始終困惑している。老人には重い内容であることは確かだろう。しかし思考を止めている気配はない。毒苺は怯え続けているものの、どこか話を真剣に受け入れている節も見える。
私はコップを手に取り、ぐっと水を飲み干した。
「キーとなるのは、光です」
そう言って、毒苺の方へ向き直った。
「毒苺さん。あなたが四時四十五分に見た、コテージの窓から漏れる光。あれは室内灯の光ではありません」
「え……?」
「室内灯はオレンジ色でした。あなたが見たのは白い光です。その光、よく思い出してください。どこかに見覚えのある光だったのではありませんか?」
その言葉に、毒苺はしばし首をかしげて考える。そして、不意に。
「ああああああああああっ!」
絶叫した。目を見開いて、ぐるんと顔を隣に向ける。そこにいるのはレインだった。たっぷり十秒ほどもレインを凝視していた毒苺は、体のバランスを崩し、椅子から転げ落ちて床に激突した。それでもレインから目を離さなかった。
「あ、あなた……ブルードロップ?」
「馬鹿な!」
黒曜が叫ぶ。
「トライフルはさっきまで戦闘してただろ! ニュース速報でやってたじゃねえか!」
「いや、あのニュースでは」太郎が震える声を吐く。「トライフルの内二人、レッドシャインとグリーンリーフが戦闘中だと……」
そのまま言葉が紡げなくなった。
全員が黙ったまま、レインを凝視している。そんな中、当の少女は落ち着いた様子でコップを掴むと、こくんとひとくち水を飲んだ。
「鳥居さん、続きを聞かせてください。まだ話は終わっていないのでしょう?」
彼女の瞳が私を射貫く。
「……では、お言葉に甘えて」
私は敬意を表して一度お辞儀をした。
「レインさん、すなわちブルードロップが犯人だと考えると、全ての謎が明快に説明できます。順を追って考えましょう。まずレインさんはムラさんと共にコテージへ行く。時刻は四時半前でしょうかね。理由はわかりませんが、まあ想像はつきます。おそらくムラさんは、レインさんがブルードロップだと気づいた。皆でトライフルの録画を見ていたとき、話に出た情報をレインさんは公式情報だと断言しましたね。それはムラさんの把握していない情報だった。あの人は自分の知識に相当自信があったのでしょう。自分の知らない知識を知っている彼女は、公式側の人間に違いない。ということは、まさか……。とね。まあ普通なら妄言の類いなんでしょうが、今回はたまたま、それが正解だった。ムラさんはレインさんを脅し、普段使用していないコテージに連れ込んだ」
我々が突入したとき、部屋にはもうもうと埃が立ちこめていた。あんなに埃がたまっている空間で過ごしているわけはない。長く放置していたのだろう。ムラはそれを利用した。誰にも見られずコトを起こせる場所として。あたかもプライベートルームかのように皆に紹介したのは、人払いのためだ。
「ムラさんとレインさんの間にどのような会話があったかわかりませんが、おそらく最終的には、ムラさんがレインさんに襲いかかった。襲われたレインさんは、とっさに魔法少女に変身してムラさんを殺してしまった。正当防衛だったのだろうと思います。毒苺さんが見たのは、この変身の時の光です。ですよね、レインさん」
私の問いかけに彼女は何も返さずじっとこちらを見つめている。
実は、正当防衛ではなく、口封じのために能動的に殺した、という可能性も、ある。しかしそれを、私は口にしなかった。私の知るブルードロップの印象とはあまりにもかけ離れたストーリーだったからだ。何があろうと彼女は人間の尊厳を踏みにじるような真似はしない。その確信が私にはあった。
「まあ、続けましょう。殺人を犯してしまったブルードロップは、急いで外に出なければいけない。このとき、さっき話した机上の空論、十五秒の死角を利用する方法は、使えません。彼女はブルードロップに変身してしまった。変身は一〇分で解けますが、逆に言えば一〇分間は解けない。だから、十五秒で入り口まで行ってその後歩いて戻るなんてことはできない。魔法少女の姿なんですから。一瞬でも誰かに見られたら正体がバレてしまいます。なので、扉から出ることはできない。となるともう脱出する方法はありませんよね、普通の人間なら」
「そうか、飛んだのか……」
唖然としたままの黒曜が、ぼんやり呟く。
「そう、窓から出たのです。トライフルは空が飛べますからね。幸い、レインさんの部屋はコテージに隣接しています。壁伝いに飛んで、窓から自室に入ったのです。まあ誰かが別の窓から顔を覗かせる危険性はゼロではありませんが、扉から出るよりは遥かにマシでしょう。それに、変身が解除してしまうといよいよ外に出られなくなる。彼女に選択肢はなかったわけです。さて、これで謎だったコテージの施錠も理由がわかりました。窓から飛んで逃げる間に誰かが入ってこないよう、中から鍵を閉めたのです。その行為で、自分に嫌疑が向けられてしまう可能性が高まることを、おそらくレインさんは認識していたでしょう。それでも、鍵は掛けなければいけなかった。自分が魔法少女である決定的証拠を見られないようにするために。……これで全ての真相が明らかになりました」
私は長台詞を終える。その全てを少女は黙って聞いていた。この期に及んでもまだ彼女はすまし顔だった。感情があるのかないのか、いやあるはずだ、間違いなく。それは私が良く知っている。
「……ブ、ブルードロップ……どうして、こんなところに……?」
毒苺が静寂を破って発言する。彼女にとって、それは殺人事件の真相より遥かに気になることなのだろう。
「わたしだって、トライフルのファンなのです」
少女の答えは簡潔だった。
「鳥居さん」レインはこちらに向き直る。「最後のツメが残っています」
「はて、何でしょう?」
私はあえてとぼけてみせた。
「証拠です」レインはほんの少しだけ微笑んだ。「わたしが犯人である証拠はありますか?」
「ええ、もちろん」私は頷く。「まだひとつ、残っている謎がありましたね」
「何でしょう」
「凶器ですよ。堅く、尖った、頭を殴るのに丁度いい物体。コテージにはありませんでしたね」
「おい、まさか……」
黒曜が目を見開く。この男は今日何度驚愕したのだろう。
「あの傷の形状を見ても間違いない。凶器は魔法のステッキです」
蹴破った扉越しにムラの傷を見た瞬間、私にはわかった。あの星形の形状、私が幾度も目にしているものだ。
「あれだけの力で殴れば当然凶器の側にも血や毛や肉が付きます。もちろんよく拭いたのでしょうが、客室には水場もありませんからね。見ればわかる程度にこびりついているでしょう。その魔法のステッキ、今どこにあるんでしょう。魔法少女の命とも言えるアイテムです。捨てたり隠したりなんて、とてもできませんよね」
「仮にあなたが正しいとしても」
レインが静かに言う。
「そのステッキをわたしが今取り出すと思いますか?」
「そう言うと思いましたよ。では、嫌でも取り出してもらいましょう」
私はクククククと笑う。そして認識阻害シールドのスイッチを切った。
「うわあああっ!」
私を見た黒曜の腰が崩れる。太郎が「あんたは……」と絶句する。毒苺は目を丸くして口に手を当てている。
「トリカット……!」
レインの顔がカッと険しくなった。鋭い瞳で私を強く睨みつけている。
「ようやく怒ってくれましたね、レインさん」
「なぜあなたがここに!」
「私だって、トライフルのファンなのですよ。今日はプライベートのつもりだったのです。ムラさんの死体を見るまでは」
私はシルクハットを手で押さえながら言う。別にずり落ちそうなわけではない。これが私のポーズなのだ。
「何をするつもりですか、トリカット!」
「いえいえ、ここでドンパチやろうってわけじゃありません。肉体労働は他人に任せるタイプですので。ただ、先ほどスマホで、部下にひとつ指示をしました」
「指示?」
「総力を上げて街中を暴れ回れ、という指示です。レッドシャインとグリーンリーフは先ほど戦闘したばかり。その反動も収まらないうちにまた変身して戦うのは骨が折れるでしょう。二人では、お得意のトライフルホワイトシャワーも撃てませんよ」
「あなた……!」
「ただ、ここからはそう遠くない場所に指定しました。今すぐ変身して飛んでいけば、まあ間に合うでしょう」
私の意図がわかったのだろう、レインは顔をきゅっと歪めた。
「連続出撃なんて卑怯な手、普段はやらないんですがね。今回は特別です。ムラさんを殺した犯人を明らかにしなければなりませんから」
私は声を上げて笑った。
これだ。この瞬間のために探偵の真似事などやっていたのだ。
愛しのトライフルを思う存分苦しめる、この瞬間のために。
「さあ、どうします?」
笑う私の顔を少女はまっすぐに睨みつける。
「……決まっています」
しっかりと言って、少女は瓶底眼鏡を外しテーブルに置く。三つ編みをサッとほどいて、美しく黒いストレートに戻す。そしてすっとまっすぐに立ち、凜とした表情で、胸元のポケットに手を入れた。
「魔法少女は清く、正しく、美しいものですから」
魔法少女は清く正しく美しく 水池亘 @mizuikewataru
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