第二章

第10話「兎、町に行きます」

 

 この世界の夏は、そこまで暑くない。

 いや、暑いには暑い。夏だから当然だ。しかし、こと日本を知っている俺からしてみれば、茹だるようなアスファルト熱や紫外線ファイヤーなんぞが無い時点で天国と言える。


 その上、ここは自然に囲まれた田舎町。人工物がさほど存在しない空間ということもあり、夏の暑さは鳴りを潜めているのだ。

 これが王都であったならば、まだ暑さは増すことだろう。人間とはすべからく、熱を生み出してしまう生き物なのだから。



「それじゃあネア、テルムとテレサを頼んだよ」


「えぇ、心配しないで? アナタも、村をよろしくお願いしますね」



 そんな夏の館。玄関前にて。

 俺の目の前では、仲睦まじい夫婦のスキンシップが展開されている。

 江戸だろうと現代だろうと異世界だろうと冥界だろうと、女が男を見送る姿は絵になって大変好ましい気持ちになる。それが別嬪べっぴんさんであればなおさらだ。



「お父様、いってらっしゃいませ」


「私達もお母様の手伝い頑張るわっ!」


「うん、よろしく頼むよ二人とも。母さんを支えてあげておくれ」



 ここにくわえて、愛する我が子まで見送りにきていると言うのだからおっさんはリアル充実の極地にいると言っていい。

 人間時代の俺が、どうあがいても手に入れられなかったお宝だ。眩しくって仕方がない。



「カクくん、テルムをお願いするよ」


「フスッ」



 おっさんがどこへ行くかと言うと、領地として任されている村への視察である。

 現在、アッセンバッハ家が拝領しているのは、ここ田舎町の【ホーンブルグ】。そして、そのホーンブルグから派生した農村、【ノンブルグ】だ。

 最初は小さな開拓村だったらしいホーンブルグ。そこを任された先々代の初代領主は、どんな魔法を使ったかは知らんが、町と呼べる規模まで大きくしたそうだ。


 その後、膨らんだ人工をなんとかするため、新たな農村を作り上げたのがノンブルグだという。

 狩りや鍛冶、商業が盛んなホーンブルグと、農業や畜産を中心に発展しているノンブルグ。2つの土地はお互いに助け合い、今代の領主であるおっさんの指示の元で回っているのだ。



「よし、じゃあ行こうかな。コンステッド、荷物は積み終わったかな?」


「は、全て滞りなく」


「ん、ありがとう」



 今回おっさんは、そのノンブルグで行われてる米農業……稲作の経過を確認しに行くらしい。コンステッド氏をお供につけて、馬車で片道何時間もの距離を揺られるのだ。

 この世界の馬車は……うん、おっさんの腰が爆発しない事を祈ろう。



「何事もなければ、明日の昼には帰ってくるよ。料理長にお昼は楽しみにしていると伝えてくれるかい?」


「ふふふ、わかりました。いってらっしゃい」



 おっさんとお母ちゃんが微笑み合う。視線を絡ませ、互いの気持ちを確認しあっているかのようだ。

 そして名残惜しそうにおっさんは馬車に乗り込む……いや、仲良すぎだろアンタら。この調子だと、チビっ子に弟妹ていまいができる日も近そうだ。



「「いってらっしゃ~い」」



 テルム坊っちゃんとチビっ子が手を振り、馬車の中でおっさんもそれを返す。

 いつまでもそうしてたら何も始まらないから、コンステッドが行者に指示を出し、馬を走らせて行く。

 こうして我が家の大黒柱は、名残惜しそうに一泊二日のお仕事に向かうのであった……ホントあの人、家族好き過ぎだなぁ。



「……さぁ、これから忙しくなるわよ。テルム、テレサ?」


「はい、お母様」


「はいっ」



 馬車が見えなくなるまで見送った後、お母ちゃんが俺たちに振り返る。

 そう、今日は俺たち、というかこの2人にも仕事があるらしいのだ。



「お父さんがノンブルグの視察に行っているのだから、残った私達はホーンブルグを見て回らなければなりません。特にテルムは、少しでも多く土地を理解しておかなければなりませんよ?」


「はいっ、お母様!」


「お母様、お買い物していい?」


「ふふ、そうね。必要な物なら少しは買い足さなければならないわね」


「わーい!」



 へぇ、町の見回りたぁ勤勉なことだ。チビっ子は完全に遊び半分だが、坊っちゃんはいずれ領地を継ぐ身。真面目に考えているようだな。

 ……正直、そんな坊っちゃんにはついていきたくないなぁ。今日はチビっ子についていこうかなぁ。



「……カク? ボディガード、よろしくね?」


「フシッ!?」



 くっそ! 読まれてやがった!

 これじゃあ抜け出して遊べねぇじゃねぇか! よりにもよってお母ちゃんのいる場所でそれを言うなんて……狙ってやがったな!



「テルム? 正直……カクがボディガードとして役に立つとは思えないのだけど……」


「いえいえお母様。カクは信頼できる僕の友人です。これほど頼もしいボディガードはいませんよ」


「そう? ……それなら、まぁ、ホーンブルグならば大丈夫だろうけど……」



 お母ちゃんと俺の目が合う。

 その視線からは、「テルムが怪我したら承知しませんよ?」という威圧を感じさせられた。



「フ、フスッ、フスッ」


 慌てて首を縦に振りたくり、任せろとアピールしておく。

 町でこっそりおこぼれ貰い旅に出ようと思い描いていた俺の絵は、あっさりと瓦解せしめてしまったのであった。






    ◆    ◆    ◆






 と、言うわけで。やってまいりましたホーンブルグの町!

 館から歩いて20分かそこらの、丘の下に位置する程々に小さな田舎町だ。

 さっきも言った通り、商業が盛んなだけあって周囲には屋台が立ち並んでいる。

 香辛料のつんとした香りや、ニンニクみたいな強い香りが鼻の奥まで浸透していく。その芳醇たるや、空腹を感じた胃袋が大音量でドラを鳴らしてしまう程だ。



「さぁ寄っといで! ノンブルグ産の新鮮な野菜だよ! 今朝届いた最高の一品さ!」


「ノーズデンから届いた岩塩はいかがかな!? 領主様の屋敷で扱われているのと同じ物だよ~! 今なら勉強させてもらうよぉ!」


「狩ったばかりの角兎ホーンラビットの肉だ! タレにつけてガブリと噛み付いておくんな!」


「お供に冷えたエールはどうだい? 隣の串焼きは味が濃いめだからサッパリするぜぇ?」



 大通りを歩くテルム坊っちゃんと、その頭の上にいる俺の耳に、町の喧騒が飛び込んでくる。

 隣を歩いているお母ちゃんや、チビっ子も相変わらずの活気に満足そうな様子だ。


 まぁ、ちょっと不穏なワードも聞こえたが……自然の摂理ってのはそういうもんだ。群れの者かはわからんが、ご同輩には冥福を祈らせてもらおう。



「テルム、今日の視察では何を見るべきかわかりますか?」



 お母ちゃんが、歩きながら坊っちゃんに問いかけを投げてくる。いつも雰囲気のいい服に身を包んでいるお母ちゃんだが、出かけの場では気合が違う。ひと目でアッセンバッハ家の者だとわかるような、美しいドレスを着込んでいる。


 通りを行く御婦人や少女はその姿に見惚れ、男性陣はすべからく鼻の下を伸ばしているのだから、おっさんがどれだけ勝ち組な結婚をしたのかは想像に難くない。



「ネアヒリム様! テルムレイン様、テレサレイン様も! 本日もご機嫌麗しゅう!」


「親子3人でお出かけですかぃ、こいつぁ良いもん見れた!」


「ふふ、おはよう皆さん。今日もお忙しいようで大変結構ですわ」


「ははは! 違ぇねぇ、嬉しい悲鳴はいくらでも上げてぇや!」



 町の面々は、お母ちゃんを中心に、親子3人を見つけると嬉しそうに声をかけてくれる。

 民に悪印象を持たれていないってのは、とてもとても重要なことだな。坊っちゃんの今後の為にも、彼らとの関係は良好なものを築きたいものだ。



「そう、ですね。活気はこの前見た時と同じくらいですので、経済はうまく回っているのではないかと思います。なので、今回は町民の意見に耳を傾けるべきではないかと……思うんですが」



 そんな町民の様子を見ての、提案。

 坊っちゃん、あぁた本当に10歳ですか? 意見が子供のそれじゃないんですけど?



「そうねテルム。一軒一軒のお店を逐一確認して回るわけにはいかないけれど、貴方の考えは正しいものだと思うわ」


「え、えへへ」


「あとは、どこでそういう意見を聞くかなんだけど……」


「ねぇねぇお母様! サマンサの所でお食事にしない!?」



 チビっ子、お前は相変わらず食うことばかりなんだな。おじさんは悲しいよ……。

 だが、食いたいのは同感だ。いいぞもっとやれ。



「テレサ……お昼ご飯を町で食べてはいけないというわけでは無いし、サマンサのお店で食べるというのは賛成よ? けれど、お昼ご飯にはまだ少し早いと思うの……」


「あら、お昼時に入ってしまっては忙しくて聞けるお話も聞けなくてよお母様? それに、サマンサのお店では試験的にお米を扱って貰ってるんだから、積極的に見ていかなきゃ!」



 お、おおう、チビっ子め。こと食事に関することだったらいくらでも口が回りやがる。

 確かに、食事処で景気の話をするんだったら、忙しい昼時になる前に行ったほうがいいんだろう。


 ちなみに、サマンサってのはこの町でも老舗の食事処を切り盛りしている女将さんの事だ。旦那と娘がおり、家族が協力して経営している。温かい家庭の味が、圧倒的ボリュームでもって胃袋に襲いかかってくる料理の数々は、この町のちょっとした名物である。



「そうねぇ……確かに、一理あるわ。けど、商人ギルド支部にも顔を見せないといけないから、それが終わってからにしましょう? それなら時間的にもちょうどいいわ?」


「ぶ~……」


「ま、まぁまぁテレサ。お母様は、お父様みたいに突っ込んだ内容は聞かないだろうからそんなに時間はかからないさ」


「むう、わかった……」



 お母ちゃんも坊っちゃんも、まだ胃の中に朝飯が残っているもんだから路線を切り替えるのに必死になっている。

 俺としてはサマンサの店が最初でもよかったんだが……まぁ、ギルドに行くのも悪くはない。

 お母ちゃんが職員と話をしている間は自由時間だろうし、坊っちゃんと一緒にギルド内を見て回るのも良いだろう。



『ねぇ、カク?』


『ん~?』


『お金、持ってきた?』


『……へへ~』



 坊っちゃんも、同じ気持ちだったらしい。似たり寄ったりな思考は、相棒としちゃ嬉しい所だ。

 俺は、腹周りの毛皮をゴソゴソと弄る。そこに入っているのは、小さな袋。僅かながら、坊っちゃんのヘソクリを持ち出させて貰っている。


 お母ちゃんはおっさんみてぇに甘くないから、子供に買い物とかさせない為にお金は持たせないんだよな。しかし、俺がこうして持ってりゃあ、見つかることなく悠々と買い物ができるってもんだ。

 ……本当は、坊っちゃんからも離れてこっそり買い物を楽しもうと思ってたのは、内緒で。



『坊っちゃんよ、お主も悪よのぉ』


『カク程じゃないさ~』



 多分、二人共悪い顔してんだろうな。チビっ子が首を傾げているが、奴の興味は現在、大半がサマンサの店で何を食うかだ。気付かれはしまい。

 そのまま俺と坊っちゃんはぐふぐふと笑いながらお母ちゃんの後ろを付いていったのであった。



『ちなみにカク、その収納スペースって、やっぱりお腹のおにk……』


『毛ですぅぅぅ! モッフモフの! 毛の中ですぅぅぅ!』

 

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