第8話「一人と一匹の秘密」

 

 魔物の朝ってのは、意外と早い。


 全身を包み込むふかふかの感触を腹回り以外で感じ取りながら、俺の意識は覚醒に向かっていく。

 うっすらと目を開ければ、本の積んである勉強机が目線の高さから目視でき、そこから見て左の壁にある窓から、朝日の光が漏れ出ていることがわかった。


 ここは、俺とテルム坊っちゃんの部屋。んで、坊っちゃんのベッドの上。意識がはっきりしていくに連れて、状況の確認を感覚器が伝えていくのが認識できる。

 本当ならばもう少し眠っていたいと思うが、どうにも角兎ホーンラビットの習性として、朝方から活動を始めるようにできているらしい。寝るのが好きな俺としては、この習性だけはいかんともし難いものがあった。



「…………フスッ」



 だからこそ、昼寝の時間が至高なのだが……まぁ、今は二度寝しようとしても気持ちよく寝れない感じだし、起きますかね。

 軽く体を動かすと、先程から腹回りに感じる固い感触がもぞもぞと動く。

 これももはや定番なのだが……寝起き特有の不機嫌な気持ちが、少し鬱陶しさを感じてしまう。



「……すぅ」



 体を動かし、横を見てみると、そこにはドアップで坊っちゃんの寝顔が存在していた。

 腹回りに感じるのは、坊っちゃんの腕である。坊っちゃんは、毎晩のように俺を抱いてから寝る癖があるわけだ。

 ぬいぐるみじゃねぇんだから、勘弁してほしいんだけどなぁ……。



「うぇへへ……」



 だらしなく口元を緩めて、よだれなんぞ垂らしてる坊っちゃん。こんな状態でもメッチャ可愛いってのが感想として出てくるんだから、美形ってずるい。

 だがまぁ、今の俺だって見た目はプリティ兎。寝顔のポテンシャルなら負けない自負があるぜ!

 ……ネアお母ちゃんが「時々痙攣して気持ち悪い」って言ってたらしいけど、忘れよう。



「……ンッ、ンッ、フスッ」



 ひとまず、体をくねらせて坊っちゃんの腕から脱出を試みる。

 朝で言えば割と早めな時間帯だ。坊っちゃんを起こすのは忍びない。

 それでもまぁ、使用人の人たちや料理長なんかはもっと早く起きてるんだろうが、そこはそれ。給料もらってんだから当然だよなぁとサラリーマン時代の心境で物を見てしまうのはご愛嬌。



「ン~……! フシッ」



 そんなこと考えてる内に、なんとか坊っちゃんの腕から開放されてベッドから降りる。

 しばらくそのままスヤスヤ寝てりゃあいい。子供は寝るのが本来の仕事だ。



「すぅ、すぅ……」



 坊っちゃんの寝息を脇で聞きながら、これからの行動プランを練る。

 とりあえず、朝飯の後にはしばらく寝るとして……ふむ、ちと小腹が空いたな。厨房で野菜の切れ端なんて貰うかねぇ。

 坊っちゃんがいたんじゃ、ダイエットにならないとか言われて断られるしな。貰える時にもらわないとなっ。




    ◆  ◆  ◆




「~♪」


 ご満悦で二階の廊下を歩く。俺ってば、意外とメイドさん達に人気だったらしい。

 厨房から行って帰るまでの間でも、何人かのメイドさんに頭を撫でられたんで、人懐っこくじゃれておいた。こうもチヤホヤされると実に気分が良いもんだ。



(やけにお腹突かれたけどな……)



 給仕の姉ちゃんなんか、いつも通りの無口無表情で執拗に腹を揉みしだいてきてたからな……鬼気迫るものを感じて、一切抵抗出来なかったぞ。

 だが、その甲斐あって少しながら野菜の切れ端をもらった俺は、給仕の姉ちゃんから逃げるようにこの階まで来たわけだ。

 普通の兎なら人参は糖度が高くて控えるべきだが、俺は魔物。なんなら肉だっていけちゃいますよ。



「……フス?」



 そんな回想していると、ふと何かの気配を感じて立ち止まる。

 今通りかかってるのは……ゴウンのおっさんが仕事してる部屋じゃねぇか?

 まぁ、男爵ともなるお貴族様なら今の時間に仕事しててもおかしくはないんだが……。



「フスッ、フスッ」



 だがしかし、俺にはある予感があった。角で扉をコンコンと叩き、前足で擦る。ホントなら普通にジャンプして開けれるが、今それをしたら単なる押し入りだしな。礼儀は大事だろ。

 これからの事を考えると、特にな!



「ん? カクくんかい?」



 俺の行動に反応し、ドアを開いてくれたのは案の定おっさんだった。

 相変わらず丸っとしたボディが目につくお人だ。見た目のお人好し感に違わず、突然訪ねてきた俺を迎え入れてくれる。

 仕事部屋故に家具こそ少ないが、長い時間いても疲れないような地味目の装飾は落ち着けて好きな感じだ。


 仕事用の机と、応対用の机。お客側の視線に合わせるように、さり気なく飾られたほぼ唯一の装飾品。それはやや高そうな皿とグラスで、最低限の貴族の格を見せるような目論見で置かれてるんだとわかる。



「君がこの時間に私の部屋に来るなんて、珍しいねぇ。いつもなら厨房で目撃されるのに」


「フスッ」



 あ、そのルーチンワークはもう終わらせてきましたので。今は、別の物を狙っております。

 机の上には書類なんかがありそうだから、登る事はしないように気をつけつつ、俺は鼻をひくつかせる。

 ……どうやら、お目当ての物は机の引き出しにあるようだった。



「フスッ、フスッ」


「……ははぁ、そういう事だね? まったく君は鼻が効くなあ」



 俺が机を角でつつくと、おっさんは得心がいったとばかりに苦笑いしている。

 まるで、悪戯がバレた少年のような反応で少し可愛いじゃないか。おっさんだけど。



「ん~、君はテルムと念話が出来るし、この事をバラされても困るなぁ。……ようし、それじゃあお望み通り、取引といこうじゃないか」


「ンフ~」



 話が早いなおっさん! やっぱりアンタの事、嫌いじゃないぜ。

 ご満悦な俺の反応を見て軽く頷いたおっさんは、一番大きな引き出しの鍵を取り出して中を開ける。

 そこには密封された箱が入っており、おっさんはそれを取り出して応対用の机の上に置いた。



「これには保存が効くように氷の魔法が付与されていてね、中が適温に保たれてるんだ。そこにあるお皿より高いんだよ?」



 元より皿の価値なんぞ俺にはわからんが、ようは小型の冷蔵庫ってことだろう? そりゃあ高いわ。この屋敷でさえ、食材の保存方法ってのは限られるんだから。

 そんな箱がここにあるって事は……つまり、この中に入ってるのは……わかるだろう?



「それじゃあ、御開帳」



 おっさんが、まるで宝箱を開けるようにゆっくりと蓋を持ち上げる。脳内でゴマダレのテーマが流れているけど、あまり気にしたらいけない気がする。

 早く、早くおくれっ! そう身を乗り出し、中を覗く。



「ははは、どうだい? 美味しそうだろう」



 そこには、薄くスライスされたチーズと、程よく冷えた果実酒が入っていた。

 隣村で育てられた家畜の乳から作られた、新鮮なチーズ。質の良さがひと目で分かるほどにきめ細かい断面図をしており、ほのかに光沢すら伺えると錯覚してしまう。

 果実酒は、この町で作られている銘柄なんだろう。なんの果物を使用しているかは知らんが、おっさんがこうして手元にキープして置きたいと思うくらいには良いもののハズだ。



「カクくんにお酒はダメだろうしなぁ。チーズだけで我慢して貰えるかな?」


「フス? フシッ、フスッ」


「いやいや、だめだよ。角兎にお酒を飲ませたことなんて無いんだからね。テルムに怒られたくないんだ私は」



 むぅ、酒が飲めないのは残念だが、致し方ない。上物のチーズが食えるだけマシだと思って諦めよう。

 だが、いつか酒を飲むことは心に誓っておくからな!



「よしよし、それじゃあ朝食前の一つまみといこうか。いいかいカクくん、内緒だからね?」


「フスッ」


「ん、いい子だ」



 おっさんと俺は、まるで河川敷でエロ本を拾ったガキのように隅っこに縮こまり、チーズを分け合う。

 互いに一切れ。こういうのは貴重品だから多くねだってはいけないのだ。

 1人と1匹、顔を見合わせ、ニンマリと笑い合う。



「それじゃあ、いただきま~す」


「ンフーッ」



 もちゃりとした食感。ブワリと広がる芳醇な香り。

 あまり長く保存させていないんだろう。若いと思わせる爽やかな風味だ。

 良い乳を一から、ゆっくり丁寧に作られたのがわかる最高の一品。おっさんは若いのが好きみたいだが、これをじっくり寝かせたら相当に酒に合うであろうことは間違いない。



「フゥ~……」


「おいひいねぇ」



 あっという間に食べてしまってはもったいない程の出来だ。何度も口内で転がし、風味と舌触りを堪能する。

 こんな美味いチーズが作れるんなら、ドリアなんぞ教えたら絶対に売れるだろうなぁ。まぁ、米作りが起動に乗るまでは名産にできなさそうだけど。



「う~ん、カクくんの手前飲むわけにはいかないんだけど、これだけで終わらせるのは勿体無いなぁ」


「フスッ、フスッ」


「うん? いいのかい?」


「ンフ~」



 良いんだぞ、おっさん。

 こんな上等なチーズを食っといて、一杯引っ掛けないなんて勿体無いと思うのは俺も同じだ。

 その厳選したであろう果実酒で、チーズの旨味を全力で引き出すといいさ。



「いやぁ、ふふふ、カクくんは話がわかるなぁ~」

「フスッ」



 おっさん二人でわかり合い、頷き合う。 種族を越えた友情を肌で感じずにはいられない、ハートフルな光景であると言えよう。



「では、お言葉に甘えて……」


「…………っ」



 そう、幸せな時間だった。

 そのはずだったのだ。



「っ!」



 俺が感じたのは、視線。

 まるで一切の感情を感じさせないような、深淵のごとき視線。

 俺達の行為が後ろめたいものであると、再認識させるには充分な威圧感がこもったそれを感じ、俺の体毛がブワリと逆立つ。



「ぅ……!」



 おっさんも何かを感じたのだろう。咄嗟に視線をドアに向け、その口元をひくつかせる。

 俺もまたドアに視線を向け……戦慄した。



「…………」



 俺たちが閉め忘れた、忘れてしまっていたドアの向こう。

 そこから、しっかりとこちらを覗いている、2つのまなこ

 給仕の、姉ちゃんだった。



「……や、やぁ、おはよう」


「…………」



 おっさんのぎこちない挨拶に会釈を返し、姉ちゃんはまたジッと見つめてくる。

 これは、いけない。いけないパターンの奴だ。

 給仕の姉ちゃんには、主人が何を食べているか、料理長へ報告する義務・・がある。

 そして、あの口から産まれてきたであろう料理長にこれが知られたら、隣の国まで情報が出回ってしまうのは自明の理だ。



「…………」



 姉ちゃんが、きびすを返す。俺たちは、咄嗟に体を動かした。

 俺が姉ちゃんの進路を塞ぎ、おっさんがセクハラにならないよう声だけをかける。



「どどど、どうだね? 君も一切れ!」


「フシッ、フシッ!」


「…………」



 今姉ちゃんを逃がすのはマズイ! コイツはやる、やる奴だ!

 俺とおっさんは視線だけでわかり合い、姉ちゃんへの包囲網を狭めていく。

 さぁ、いくつだ、いくつ欲しい……!?



「…………」


「……よ……!」


「ンゥ……!?」



 4切れ、だとお……!?

 馬鹿な、ふざけるな、法外だ……!

 通るかよ、そんな理屈……!



「は、ははは、そう、だなぁ……?」



 おっさんが、ジェスチャーで「2」と示すも、姉ちゃんは「3」と切り返す。

 有利なのは姉ちゃん。それは変わらねぇ。

 このままでは、お母ちゃんかチビッ子あたりにばらされて正座お説教タイムが始まるのは、目に見えている。


 ……種銭がチーズだけなら、な。

 だが……だが、俺にだって、切れるカードはあるんだぜ……!



「フシッ」


「…………!」



 俺は、腹をポンッと叩いて、姉ちゃんを見つめた。

 姉ちゃんの瞳が薄くなり、思考を巡らせる。



「か、カクくん……私の為に、そこまで……!」



 へへ、おっさんよ。

 ばれんじゃねぇ、ばれんじゃねぇぞ。

 だから、よ。

 またチーズ、食わせてくれよな……!



「…………」



 姉ちゃんは俺を抱き上げると、「1」と指を立ててくれた。

 おっさんが震える指で、一切れチーズを手渡して、この場は丸く収まる。



「……君のことは、忘れない……!」


「……フスゥ」



 そして俺は、姉ちゃんに連れられていく。

 敬礼するおっさんにサムズアップし、そのまま角を曲がっていく姿は……おそらく、シュールなものになっていたことだろう。


 その後、俺は約一時間もの間、姉ちゃんに腹を揉まれ続けたのであった。

 

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