幕間1

第7話「ぐうたら兎のあれから」

 

 花の香りが混ざった、心地よい春の風。そんな風に、強い草の匂いが混ざり始める。

 それはすなわち、もうそろそろで夏が顔を覗かせる頃だと言うことだ。

 まるで、春が夏にバトンを手渡して行くかのような変化。現代社会に生きていた前世では、こんな些細な変化を見つけ、楽しむことなんて絶対にできなかった事だろう。


 春の気温に順応していた草花は、もうそろそろ店じまいとばかりに萎れていく準備を始めている。新たな種を生み出し、養分となり次の世代に全てを託して消えていく様は、人間では到底不可能な潔さを感じさせた。

 まだ夏の草花は目立つほど存在しない。本格的な夏を迎えるまでは、まだ一月ほどありそうだ。



「平和だねぇ……」


『平和だなぁ……』



 そんな季節の変化を楽しめる、例の抜群お昼寝スポット(夏場は毛虫注意な木の下で)。そこに、俺とテルム坊っちゃんはいた。

 あのお米騒動からおよそ一ヶ月。無事に契約獣として認められた俺は、こうして悠々自適に自堕落な生活を送れている。

 食って寝て出して寝る、自然の驚異が発生しない空間での獣の生活。なんと甘美な事か。

 人間としての責任なんて存在しない、まさにペットにのみ与えられた特権と言えよう。



『平和なのはいいんだけどよぉ、坊っちゃんはここにいていいのかぁ……?』


「たまにはいいじゃないの……ふぁ……誰かさんのせいで、ここ最近忙しかったんだからさぁ」



 欠伸混じりに皮肉を返す坊っちゃん。確かに、つい先日まで坊っちゃんは忙しい日々を送っていた。

 なんでって、そりゃあ当然、お米騒動の一件が原因だ。



『いや~、米なんて画期的主食を作り上げた坊っちゃんを、おっさんがほっとく訳ないんだよなぁ』


「お父様の手助けが出来るのは良いんだけど、なにぶん手探りなのが頂けないんだよぉ」



 現在、アッセンバッハ家では急務として、米の量産計画が進められている。

 おっさんと料理長を中心に、米を主食兼備蓄として運用していくための計画だ。

 無論そんな計画に、米の有用性を見出した坊っちゃんが引っ張り出されない訳がない。だもんだから、ここ一ヶ月の間坊っちゃん達は試行錯誤の多忙な日々を送っている訳だ。



「カクがもっと異世界の知識でなんとかしてくれれば、楽なのに……」


『だ~か~ら~、俺が知ってる範囲は教えただろ? 俺は生前、米作りになんて関わってないんだから根っこの部分なんて知らねぇのっ』



 そう、当然のごとく、俺も坊っちゃんに巻き込まれそうになった。

 だが、俺の前世はただのサラリーマン。米農家こそ友人や親戚にいたが、手伝いなんぞしたこともない。

 そんな俺の保有する米知識なんぞ、せいぜい某アイアンフィストに全力疾走する農業系アイドル番組で見たか、タイムスリップ系農業無双小説で見た程度しかない。

 あ、米作りまくるゲームもやってたっけか。



『この時期の内に苗作って、水を張った田んぼっつう畑作って、それ植えて秋まで育てるっ、病気に注意! それ以上の事は現地の方々に試行錯誤してもらう! これ以上なに言えっていうんだよ』


「ん~、田んぼの詳しい情報とか?」


『それこそ知るかよっ!』



 これが異世界転生チート小説なら、時期なんぞ関係なく最高級白米なんぞ出来上がってんだろう。

 しかし、小説よりも奇なりな状況とはいえ、俺が生きてるのは現実なのだ。チートなんざ持ってないし、現代知識も突っ込んだ内容知ってるのは限られる。


 俺は、俺が知る範囲しか手助け出来ねぇし、するつもりもあんまり無いんだよ。ただ、ぐうたらしたいだけなんだ。

 最近の俺のぐうたら妨害懸念は、とある一点しかない。そいつが居ない今、だらけない手はないってもんだぜ。



『それより、たまの休みなんだろ? 仕事のことなんざ忘れてよ、のんびりしようぜ。なぁ?』


「……ん~、そうだねぇ」


『そうそう、休める時に休まねぇとパンクするぞ? これは経験談だから言える、先人の知恵って奴だぜ』



 俺はそのまま、坊っちゃんから視線を外すように寝返りを打ち、横になる。必殺、昼寝の構えだ。

 このゆったりとした時間をいらん思考に費やすなんぞ、俺にはできない。昼寝でもして健気に俺を生かしてくれる酸素くん達を浪費する事こそ、正しい選択なのである。



『坊っちゃんもよぉ、こうして昼寝でもして体を休めなって。おっさんの事だから無茶はさせてないだろうけど、疲れてんのは確かだろう?』


「あはは、じゃあお言葉に甘えちゃおうかなぁ」



 俺の真摯しんしな説得が通用したらしく、坊っちゃんは体を俺に寄せて大地の布団に寝転がる。

 何でか知らんが、坊っちゃんは寝る時、俺の腹回りに手を回すんだよな……いや、何でか知らんけどな? モチモチで気持ちいいとか寝言してたかもだけど、そんな事実は無いと思うけどな!?



「じゃあ、夕食前には起こしてね、カクぅ」


『坊っちゃんが起こしてくれよ……』


「だ~め、ご主人様命令~」


『なんだそりゃ……へいへい、了解』



 二人で思考放棄した会話を延々繰り返している内に、どんどん意識は遠のいていく。



『だから……もう、俺もだなぁ……』


「あはは……はぅ、ん……ふぁぁ」


『うなぁ……うあぁ~……』



 もはや脳みそプリンと言われても言い返せない程に、意識は混濁としている。眠りに落ちる瞬間の、どうしようもない脱力感。

 自分が世界の出汁になって溶け込んでいくかのような、多幸感に包まれるままに落ちていく…………





「お兄ちゃ~ん! デブ兎~! どこ~!」


「「っ!?」」




 そんな俺達の幸せは、1人の悪魔チビッこによって打ち砕かれた。

 こんなタイミングで! なんて間の悪い奴だ!



「お兄ちゃ~ん! ねえったら~!」


『な、なんでテレサがここにいるの!?』


『知らねぇよ! 尾行もされてなかったはずだぞ!?』



 二人で咄嗟に身を低くし、念話で確認し合う。

 俺たちが今いる、林の中の大樹の向こう——屋敷方面から、確かにチビっ子の声が響いている。

 クソっ、ここ最近で一番のぐうたら妨害要素がここまで進出してきやがった!



「おかしいわねぇ、コンステッドからこっちの方に行ったのを見たって聞いてきたんだけど」



 あの執事、俺らをどっかから見てやがったのか!?

 たしかに家人の行動を把握しておくのは大事なのかもしれんが、その有能さが今は恨めしい!



『どうする……今見つかったら、もう昼寝はできんぞ』


『当然、見つかんないようにするに決まってるよ。可愛い妹相手でも、お昼寝の邪魔はされたくないんだよ……』



 気が合うじゃねぇか、相棒。



『そうと決まれば、場所を移すしかねぇな』


『そうだね。反対側の茂みから抜けていこう……』


「ねぇ、お兄ちゃんったら~。デブ兎から美味しい物の情報聞き出してよ~っ」



 俺たちが米を見出してからここ一ヶ月。チビっ子は、俺がまだ何か握ってると嗅ぎつけて追い回している。

 恐ろしい嗅覚と執念だ。確かにまだネタはあるが、今のチビっ子に渡すには危険な情報だと言えるだろう。

 となると、当然逃げの一手だ。俺たちはゆっくりと、後ろに向かって体をずらしていき……



 パキッ



「あ」


「……フスゥ」


「っ、そこね!?」



 お約束というかなんと言うか……坊っちゃんが、見事に枝を踏み抜いた。



「あわわわわ、ど、どうしよ、どうしよっ」


『しゃあねぇな……坊っちゃん』


「な、なに?」



 チビっ子が、ものすごい勢いでこっちに向かってるのがわかる。もう、時間は無いだろう。

 ならば、取るべき手は一つである。



『俺の昼寝の為に、散ってくれ』



 俺は、坊っちゃんの頭を踏みながら跳躍した。



「ふげぅ!?」


「あー! やっぱりお兄ちゃんいたぁ!」


「ヒッ!? か、カク! 裏切ったなぁ!?」


『どんくせぇ自分を恨むんだな! 坊っちゃんよぉぉ!』



 俺はそのまま茂みを飛び越え、ヒーロー着地を決める。

 このまま第二の昼寝拠点にでも逃げ込ませてもらうわ! 悪いな坊っちゃん!



「んーっ、おひさまの匂い……ねぇねぇお兄ちゃん、デブ兎は?」


「あわわ、離してテレサっ、近いよぉっ」



 後ろではチビっ子が坊っちゃんの胸板に顔を埋めてじゃれている。さっきまで日向ぼっこしてたんだから、気持ちいいのは確かだろう。

 その間に、俺はどんどん距離を取る。



「ん? あっち? あっちにいるのね?」


『今更気付いても遅ぇ! あばよとっつぁ~ん!』



 オトコノコが大好きな大泥棒の真似をしながら、次に隠れれそうな茂みに向かう。

 だが、その逃走劇は長く続かなかった。



「フシッ!?」



 いきなり、目の前の地面から壁が生えてきたのである。

 ギリギリ飛び越えられそうに無い、土の壁だ。



「あはは、いたいたデブ兎っ」



 慌てて後ろを振り返れば、坊っちゃんを抱きしめたチビっ子が、茂みから出て俺に手を向けている。

 こんにゃろう、俺を足止めする為だけに土魔法使いやがったな!?



『坊っちゃん! 裏切りやがったな!?』


『最初に裏切ったのはカクだし、死なば諸共だよ!』



 念話で醜い言い争いをしている間にも、目の前だけでなく四方が壁で囲まれていく。

 ついには、チビっ子がいる方向以外全てが塞がれてしまった。

 クソっ、チビっ子め! 前は全く魔法使ってなかったくせに、俺の価値を知ってから遠慮なくぶっ放してくるようになりやがった……!

 料理長の魔法が初見の俺にとっては、この手の妨害には対処のしようがない。ぺたぺた触って硬度を確かめるが、角で掘る事も出来そうになかった。



「……フス……」


「んふふ~、追い詰めたわよぉ」


「フシッ?」



 どうするか悩んでいる内に、俺の頭上に影が差す。

 視線を上に上げると、満面の笑みを浮かべたチビッ子がこちらを見つめて立っていた。

 ぬいぐるみの様に抱きかかえられた坊っちゃんの、第一被害者感が半端じゃない。



『お、落ち着けっ、話せばわかる! な?』


「テレサ。カクは降参だってさ。なんでも教えてくれるらしいよ?」


「ほんとっ!? やったぁ!」


「フスッ!?」



 お、お前、お前坊っちゃんお前ぇぇ!



「ふふふ、カク。一緒に疲れよう? 僕たち、相棒でしょう?」


『い、いやだぁ! 俺は昼寝がしたいんだぁぁ!』



 必死の叫びも虚しく、俺の首根っこはチビっ子に掴まれる。

 肉が伸び、顔まで持ち上げられる。そこには、満面の笑顔を浮かべるチビっ子がいた。



「じゃあ、お肉を使ったお料理教えなさい! もちろんご飯に合うやつよ? 良いわね!」


「ンブシュゥゥゥ……」



 こうして、俺達の優雅なひと時は終わりを告げた。

 チビッ子に引きずられていく間、坊っちゃんと一緒に昼寝ポイントに視線を向ける。

 涼しい風に吹かれながら揺れる大樹は、まるで別れの際に手を振っている様だった……。





     ◆    ◆    ◆






 その日の晩、猪肉のミンチを使った卵のせスタミナ丼に、チビっ子は大層満足し、三杯もお代わりをしたんだそうな。

 同時に、ぼろ雑巾のようになった俺と坊ちゃんが、厨房の隅で静かに寝息を立てていた事も、ここに明記しておこう。

 

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