デンジ君はなぜ女を抱きたいのか? チェンソーマンを国語的に考える

藤屋順一

「アニメ『チェンソーマン』第一話第二話において、デンジが使う『女を抱きたい』という言葉にはどのような意図があるか答えなさい」

1.はじめに


 今期アニメの話題作であるチェンソーマンですが、web小説家界隈でも原作からのファンが多くTwitterのタイムラインでも連載当時から度々話題に上がっていて興味はあったのですが原作を読む機会がないままアニメ化されると聞いて、原作未読組の僕も楽しみにしておりました。


 この文章を書いている時点ではアニメの第二話が放送された後で、普段アニメを見るときはWikipediaなどでネタバレを気にせず原作のあらすじや設定や登場人物などを先に知っておくということをしている僕も、それを我慢して続きを楽しみにしているわけであります。

 そして先日Twitterのタイムラインで、チェンソーマンの主人公であるデンジ君が作中の様々なシーンで形を変えて度々言う「女を抱きたい」という言葉の真意はなにか?という話題を見かけまして、「面白い観点だなぁ」と思って僕なりにちょっと考えることにしてみました。


 タイトルの「国語的に考える」という点につきまして、チェンソーマンの作者である藤本タツキ先生が生み出したデンジというキャラクターの性格設定を読み解くために、国語の問題によく出てくる「このとき〇〇はどのようなことを思っていたか答えなさい」的な解法がうまいこと利用できるので「国語的に〜」としました。

 僕自身はというと工業高校出身で国語の勉強は中学校卒業以来ほとんどしたことがないのですが、趣味で小説を書いていることもあり興味半分でセンター試験の過去問題を試してみても国語の読解問題はほぼパーフェクトに正答できますので、まぁそれなりに説得力の有る答えを示せるんじゃないかなと思います。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



2.チェンソーマンという作品と主人公のデンジ君について


 チェンソーマンは藤本タツキ先生作の週刊少年ジャンプに連載されていた漫画で、「悪魔」と呼ばれる人類共通の敵がいて、その悪魔を倒すためにデビルハンターという職業が存在する現代の日本が舞台の作品で、主人公のデンジ君はヤクザから借金をしていた父親が自殺して以来天涯孤独の身となり、廃屋になった林業倉庫のような小屋に住んで父親の借金を返すために木を切って売ったり自分の目や臓器を売ったりしつつ、そのヤクザに雇われて闇社会に悪魔の死体を流すデビルハンターとして人間以下の劣悪な生活をしていた。

 というところから物語が始まり、デンジ君の相棒である小型犬ぽいチェーンソーの悪魔のポチタとの過去の出会いと絆、現在の共同生活の様子が描かれ、食パン一枚をポチタと分け合い空腹で眠れないデンジが、が「パンにジャム塗って、ポチタと食って、女とイチャイチャしたりして、部屋で一緒にゲームして、抱かれながら眠るんだ」と語り、その後なんやかんやあって(ネタバレ防止)デンジくんはポチタと契約を交わし悪魔でも人間でもないチェンソーマンになってヒロインであるマキマさんに拾われ公安特務課のデビルハンターとして働くようになります。


 設定と物語の導入を紹介したところで、デンジ君はその身の上から下記に代表される特徴的なキャラ付けがされています。


・自分の生命や身体、人間的な価値を著しく低く認識している

・義務教育を受けておらず学力、一般常識、精神年齢が中学生レベル

・主人とみなす人間に従順なように見せかける狡猾な処世術を身につけている

・人間社会の繋がりがなく人間と悪魔との区別が曖昧

・余命が短いことを自覚していて死ぬ前に人間らしい生き方がしたいと渇望している

・人生を諦観しているが絶望はしておらず、知識の少なさ故に欲がないように見えるが欲望に忠実

・女性のことや性的知識をほとんどエロ本から得ており、女性を自分の対極にあるものと認識しつつ性的対象としか見ていない


 と、第二話の時点で読み取れるデンジ君の人物像はこんなところでしょうか。多分話数が進むに連れて新たに増えたり変わったりすることが有るのでしょうが、それもまた物語を追う楽しみですね。

 小説を書く方、創作の世界にのめり込む方ならここで気づかれると思うのですが、アニメの第一話第二話の時点でデンジ君の特異な人間性が非常に詳細に高解像度で描かれていて、この魅力あふれる未熟で歪な主人公の生き様こそが物語の主軸となることが明確に示されているわけです。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



3.どっちの意味の「抱く」なのか?


 それではデンジ君のキャラクターを分析したところで、この文章の主題、彼が作中で形を変えて度々言う「女を抱きたい」の真意を読み解いていきましょう。そのためにはまず、デンジ君が「女を抱く」という言葉をどう認識しているかを知る必要があります。

 一般的には「女を抱く」というと男性の視点から「セックスする」という意味で捉えられますが、この言葉が作中で最初に登場したときは「抱かれて眠る」という用い方がされていて、これだと抱擁の意味が強くなります。

 アニメ第一話の最後でチェンソーマンとなり「敵」を殲滅して体力を使い果たし、気を失う寸前のデンジ君を発見したヒロインのマキマさんは、今に倒れんとする彼を抱きしめて自分のモノになるように語りかけ、その後、第二話でデンジ君はその時のできごとを混同して「(マキマさんを)もう一度抱きたいなぁ」とつぶやきます。

 ここでわかるのは、藤本タツキ先生はあえてこの言葉の意味を明確にせず、ダブルミーニング的に、あるいは誤解させるように、確信的な意図を持って「女を抱く」という言葉を使っているということです。

 そして公安のデビルハンターの先輩であるアキ君と、彼の質素な生活を共にしたデンジ君はその生活に満足し「夢にゴールした」と一度は言い切るのですが、そこで彼はその直前にアキ君に言われた「お前以外全員本気なんだよ」という言葉を思い返し、自分も本気では有るけれど、自分以外の全員が以上の何かを追っていることに気づき、今のままでは何かが足りないと思い直します。その結果思いついた次の夢が「胸を揉む」なのですが。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



4.マズローの欲求五段階説


 話はがらりと変わりまして、ここまで解説したデンジ君の人物像から、彼がどういう欲求を持っているかを読み解く必要がありまして、それには「マズローの欲求五段階説」を適用するのが良いんじゃないかと思います。

 マズローの欲求五段階説というのは、アブラハム・マズローというアメリカの心理学者が唱えた、人間が生まれてから成熟するまでの間に抱く基本的欲求をピラミッド状の五段階に分けて分析する考え方で、精神分析やマーケティングに利用されるなど広く社会に受け入れられている理論です。

 欲求五段階説では高次の段階から、1自己実現欲求、2承認(尊重)欲求、3社会的欲求、4安全の欲求、5生理的欲求と定義し、ピラミッドのように下位の欲求が満たされることで上位の段階の欲求が生まれるとされています。

 最底位の生理的欲求は人間が生物として生きるための最低限の欲求で、4段階目の安全の欲求は自身が安全で安定した環境に置かれることへの欲求、3段階目の社会的欲求は人間が社会性を持つ生き物として集団の中に所属して周囲の人から認められる欲求、2段階目の承認欲求は自分がより高く評価されたい称賛を浴びたいという欲求、最高位の自己実現欲求は理想の自分になりたいという欲求です。

 この中で5生理的欲求と4安全の欲求はその実現に必要なものが物質的に揃っていれば満たされるので物質的欲求と分類され、それ以上の段階は本人が精神的に満たされていると感じる必要があるので精神的欲求と分類されます。

 他にも分類や詳細な内容があるのですが、書き出すと文章が膨大になるので詳しくはググってください。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



5.「アニメ『チェンソーマン』第一話第二話において、デンジが使う『女を抱きたい』という言葉にはどのような意図があるか答えなさい」


 さて、必要な材料が出揃ったところで、(ほとんど答えが出ているようなものですが)この問いにどういう答えが導き出せるか考えてみましょう。


 まずは「性的欲求を満たすために女性とセックスをしたい」という答えは正しくありません。デンジ君は第二話の時点でセックスしたわけではないのに「自分は夢にゴールした」と言い切っていますので、これは明確ですね。とはいえ性的欲求が根底にある発言であることに間違いはないので、選択問題なら他に最適な答えがあるということで✕、記述問題なら△になる感じです。


 次に考えられる「家族や愛情を渇望しており女性とふれあって精神的に満たされたい」という答えは、一見ありそうだし普通の作品の普通の主人公なら正解になるかもしれませんが、デンジ君はポチタと愛情あふれる生活を送っており、女性のことはほぼ性的対象としか思っていないので、これは全く当てはまらず✕です。


 さて、「女を抱く」の一般的な二つの意味はどちらも間違いということで、チェンソーマンという作品の主人公のデンジ君だけが持つ個別の意味を探し出さねばならなくなりました。


 それでは「女性とふれあうことで自分が人間であるという実感を得たい」という答えはどうでしょうか。デンジ君は人間として扱われず、人間以下の生活をし、普通の人間としていきたいと願っています。女性を性的対象としか見ていない彼ですが、自分と対極にある存在だとも認識していて、真っ当な人生を送っていないと女を抱けないと思っています。なので、女性から認められセックスすることで彼は真っ当な人間として生きている実感を得ることができるというわけです。

 この答えはかなり正解に近づいたような気がしますが、まだなにか足りない感じもします。というより、のに、回答がそこに到達していないんですね。


 その答えは彼がポチタに語った夢にあります。

「パンにジャム塗って、ポチタと食って、女とイチャイチャしたりして、部屋で一緒にゲームして、抱かれながら眠るんだ」デンジがこのセリフを言うシーンは、第一話の中でマキマさんに抱きしめられるシーン、ポチタと契約を交わすシーンと並んで最も重要なシーンの一つになります。

 このセリフをマズローの欲求五段階説に当てはめてみると、奇しくも5生理的欲求と4安全の欲求という最底位からの二段階、物質的欲求をピッタリと満たし、その上位の精神的欲求の段階に至って最上位である1自己実現欲求に手を伸ばす形になるんですね。

 これは第二話で公安特務課に所属しアキ君と生活を共にするようになって物質的欲求が全て満たされ「夢にゴールした」後に抱く「胸を揉む」という基本的欲求から外れた、ただの性的な欲望の実現である新たな夢にも現れています。

 だからこそアキ君はデンジ君に「お前以外全員本気なんだよ」と言い放ち、ポチタはデンジ君が語る夢を好きだと言ってそれを自分に見せることを契約の条件にしたのでしょう。


 つまり、デンジ君が女を抱きたいというのは、「普通の人間として生きるという夢をすべて実現し、更にその先にあるものを手にしたい」という欲求そのものであり、これが最もふさわしい答えだと考えられます。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 6.おわりに

 この文章はチェンソーマンのアニメを見た僕が好き勝手に問題を作って好き勝手に答えを考えたもので、その内容について正しいのか全くの見当違いなのか、今のところ自分でもわからないのですが、このような分析・解釈もできますよという、数ある考察の中でもある程度は説得力のある文章になっているんじゃないかなと思っています。

 とはいえ、ここに書いた内容というのは、チェンソーマンが好きな人のほとんどが感じ取っているであろうことですし、そのように受け取られるよう原作者である藤本タツキ先生やアニメ制作の方々も苦心されたところだろうとも思います。

 この文章の答えが合っているのか間違っているのか、その辺も踏まえて、素晴らしい作品の続きを楽しみに待ちたいと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デンジ君はなぜ女を抱きたいのか? チェンソーマンを国語的に考える 藤屋順一 @TouyaJunichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ