第9話 君に、届け

「僕が? この声で?」

「うん。音ちゃんの声、すごいと思うの。きっとみんなが感動する」

 もちろん、詩は心からそう思っていた。

 和音の顔が少しだけ紅潮したのは気のせいじゃないと思う。

「でも僕、カラオケでしかちゃんと歌ったことがないしなあ」

 和音は少しだけ不安そうな顔をした。

「絶対に大丈夫だよ。ねえ、想像してみて。私たち2人が大勢の観客が見つめる舞台に登場すると、上から眩しいほどのスポットライトが2人を照らすの。音ちゃんが舞台の一番前の真ん中に立って、私がピアノの前に座る。すると騒ついてた会場がスーッと静まり返る。そして私が静かにピアノを弾き出してさあ」

 そのとき私はもう自分の描いた夢の中で遊んでいた。和音もきっと同じ夢を見ると信じて疑わなかった。

「そして西園寺さんのピアノに乗せて、僕が歌い出すわけだ」

 和音はそこまで言って、だけどすぐに悲しそうに床に視線を落とし、

「でもね、やっぱりできないよ。僕は」

 ボソッと呟くように和音が言った。

「何で。そんなに素敵な声があるのに」

「だから……だよ」顔を上げた。「だって、僕が歌うってことは、僕がこんな声を持ってることをみんなに言うってことだよね?」

 そう言われて、ハッと気がついた。

 ああ、そっか。まだ和音君はその痛みから回復してないんだ——

「あの、私は……あなたじゃないから、あなたがどんなに辛い思いをしたのかわかってないよね。無神経でごめんね」

「いや、西園寺さんは何も悪いわけじゃないから」

 ふっと思いついた。

「たとえばさ。たとえばなんだけど、歌を歌うときは、そういう姿になるっていうのはどう?」

「そういう?」和音が鏡に映った自分を見る。「歌うときは女の子の格好をするってこと?」

「そうそう。今は覆面シンガーっているよね? そんな感じでさ」

「冗談だろ。今日は君に脅されてこんな格好させられたけど、それも今日だけで最後さ」

 ピシャリと和音が言う。

 つっけんどんな言い方に、詩は少しだけカチンときた。

「じゃあ、またしゃがれた声を作って、教室の片隅で本ばっかり読んでるような陰気な学校生活を送ろうっていうの? せっかく陽の当たる場所に出れるかもしれないっていうのに」

 それは言い過ぎだ。わかってる。わかってるけど、でも言いたかった。

「僕がそれでもいいんだよ! もう、ほっといてよ」

 和音の目がもう真っ赤になっていた。

「ほっとけないよ。だって、だって私は上杉君と一緒に音楽をやりたいの! あなたの声が好きなの!」

 感情が昂って、こんがらがって、自分でも何を言ってるのかよくわからない。でも伝えたかった。だが、

「だから僕には無理だって。他の人を探して」

 和音はそういうとクルリと踵を返した。

「帰る」

 和音は、詩を吹っ切るようにドアへ向かって走ってゆく。

「あっ、待って!」

 だが、詩があわてて止めるのも聞かず、和音は振り向くこともなく勢いよく部屋を飛び出して行った。

 残された詩は、呆然としながらポツリと呟いた。

「あーあ。あの格好で帰ったらご両親はきっとびっくりするだろうなあ」


 あれから案の定あわてて帰ってきた和音だったが、着替えて帰るまで、2人は一言も話さなかった。

 少し言い過ぎてしまった。私っていつもこう。もっと他人の気持ちを理解しなきゃ。少し長いお風呂に入りながら詩は反省していた。

 何とかしなきゃ。それだけを考えていた。


 寝る前にふと思いつき、詩はピアノの前に座り、一曲弾いた。そして弾き終わるとその演奏を撮影した動画と歌詞を、今日あちこちで自撮りした2人の写真を添えて、和音にトークアプリで送った。

 さっき和音に聞かせた、詩が作った曲だった。その曲には「君に、届け」というタイトルをつけた。

 君に、届け。私の願いを込めて。


 それは思ったより早く「既読」になった。だが返事はない。

 ベッドに入り部屋の灯りを消す。暗闇の中でスマホの画面を何度も何度も確認したが、ついに和音から返事がくることはなく、そして詩はいつの間にか眠りについていた。


 ⌘


 翌日はコンクールの準備のため、詩は先生の教室で一日中ピアノの特訓をした。でも、どこか集中できない。ポケットのスマホが気になって仕方ない。


 月曜日、詩が教室に入ると和音の席にはまだ誰もいなかった。

 考えてみれば先週までは詩は和音のことなど気にしていなかったはずなのに。

 いつも彼は遅く来てたっけ? そんなことさえも知らなかった。でも、今日はもう気になって仕方ない。


 始業ギリギリに和音は教室に入ってきた。ハッと詩が顔を上げその姿を追いかけたが、和音は一瞥もせずに自分の席に向かっていった。


 トイレだろうか。休憩時間も和音は1人でふっと消えてしまう。

 詩は話しかけるきっかけを見失ってしまっていた。

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