第3話 バラすわよ?
「誰にも言わないで……」
なぜか、上杉君は確かにそう言った。
だけど、何を言ってるんだろ。それって、もしかしたら自分が歌が上手いことを隠して欲しいってこと?
ちょっと待って、ちょっと待って。
あー、それは難しいよ。だってあんなに素敵な声で歌うことを、私は誰にも言わない自信がないよ。むしろ、今すぐ上杉君を街へ連れ出してみんなに聞かせてあげたいくらいよ。
彼の真意がわからなくて、詩は改めて上杉君の顔を見つめ、ふとあることに気がついた。
左手で上杉君のアゴをクイっと上に向けてみる。かつて少女漫画で流行った、いわゆる「アゴクイ」というやつだ。そして、詩は天啓を受けたように、ある考えに取りつかれてしまったのだ。
上杉和音を受付カウンターに引きずるように連れて行き、新たに一部屋借りた。1人カラオケルーム以外は空室があって、すぐに部屋を借りることができた。
部屋に入ると、通路からは見えない角度を選んで、詩は和音にそこの椅子に座るように言うと、どうやら和音はまだ何かに怯えているようで、恐る恐る座った。
「いい? 動かないでよ」
詩はそう言うと、傍に置いたバッグから化粧ポーチを取り出して和音の顔にお化粧をしようと和音の前に跪いた。
「な、何するんだよ!」
和音もさすがに驚いたようだ。とっさに詩から顔を背ける。
「だめよ、動いちゃ。じっとしてて」
こんないい考えをやめるなんて、どうかしてる。詩がそんなことを思ってるのに、和音には通じてないらしい。
「バカなことはやめろよ」
そう言って和音が立ち上がろうとするのを、詩はその肩を制止した。
「いいの? バラすよ」
とっさに閃いて和音の顔を覗き込むように言うと、彼はまた「信じられない」というような顔をしておとなしくなった。
彼の何をバラしたらいけないのか、実は詩には全然わからなかったが、さっき思いついた素敵なことをやめたくないのだ。
「私に任せておけば大丈夫だから」
しゅんとして座った和音の顔に、今度は思い通りにメイクを施してゆく。小さい頃から、コンテストで着るドレスに合わせてメイクの訓練もしてきた詩にはお手のものだ。
メイクが仕上がるにつれて詩の胸が高鳴ってゆく。
やっぱり思った通りだ。彼の顔は「女子系の顔」をしてる。さっきまじまじと和音の顔を見て詩は気がついたのだ。
そういえば上杉君はいつも顔を隠すようにうつむいているから、たぶんクラスの誰も彼の本当の顔を知らないはずだ。
「よし、できた!」
詩は自分の「作品」が誇らしく思えるほどいい出来に満足する。どこからどう見ても、彼は「彼女」だ。
でも、何かが足りない。
あっ——
慌ててさっき買ったばかりのワンピースを袋から取り出した。
「これ着てみて」
彼の手に服を握らせた。上杉君はたぶん自分より少しだけ背が低いし、痩せっぽちだ。
彼はその服を目の前に掲げた。
「いくらなんでも、ボクが女の子の服なんて着れないよ……」
少しだけ抵抗を見せた。
「いいの? バラすよ?」
詩が2回目の伝家の宝刀を抜く。もちろんなぜかは知らないけどね。
渋々と和音はそのままワンピースに足を入れようとした。
「こら。まず自分の服は脱ぎなさいよ。それからさ、背中のファスナーを全部下ろしてからでなきゃ、無理矢理着たら破れるでしょ? 後ろを向いててあげるから、シャツとズボンは脱いでから着て」
まあ、女子服の着用方法など知るわけもないか。詩はクルリと和音に背中を向けた。
「これで……満足かい」
しばらくして和音から声がかかって詩が振り向いた。
完璧——
「うわー、サイズもちょうどいいみたい」
どうやら彼は体毛も薄いらしい。膝上のフリルから伸びる脚の毛も問題ない。
ついでに足のサイズを聞くと、詩と同じだ。買ったばかりのショートブーツも履けそう。
「じゃ、これ履いて。あっ、大丈夫。買ったばかりだから」
靴も変えさせた。
うん。満足。
「じゃ、行こうか」
「行こうかって、どこにさ」
「いいとこよ」
「ば、バカなことを言うなよ。こんな格好で外に出られるはずがないだろ!」
本気で怒る和音に、
「大丈夫。お茶しにいくだけだから。嫌ならいいのよ? そのかわり——」
というと和音が黙り込んだ。
詩が先に部屋から出ると、和音がその背中に隠れるようについてくる。
「何やってんのよ。もっと堂々と歩きなさいよ」
詩は和音の腕を引っ張って、自分の横に並んで歩かせた。
料金を払い、建物から外に出ると、和音はじっと道路を見つめ、顔を上げようとしない。
「どうしたの?」
「だって……」
「何?」
「さっきから、なんか、みんなボクのことをジロジロ見ていくんだ。男のボクが女の子の服を着てるから、きっと笑われてるんだよ」
小声で和音が言う。
「えっ? おしゃれしてたら人に見られるのって当たり前じゃない」
「そ、そうなの?」
「うん。女の子はそれが普通。ほら、顔を上げて」
まだうつむき加減の和音の襟首を、詩はグイッと引っ張ったのだった。
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