『ポチタにきゅん』私の欲望とかそういうもの
最近、話題の作品「チェンソーマン」というアニメを観ました。
気になる作品でしたが、主人公の少年の変身した時のあのビジュアルが、どうなんだろ~とちょっと敬遠していたのです。でも、一話目をみてすぐポチタにきゅん! となりました。(ちなみにポチタは少年が連れているわんこです)
そして、最後には号泣です。
これからご覧になる方のために、ネタバレにならないよう物語の内容は伏せますが、、、好きなように自分だけ生きていくこともできたのに、少年の夢が好きで、その夢のために、あの選択をしたポチタの想いに涙が止まらなかったのです。
五話目だったか、もうポチタを撫でてやることができない、とつぶやいた悲しそうな少年の言葉にも、初代のヨークシャーテリアのパールを亡くした私は共感しました。
木箱に納められ、これから霊園に向かうパールの冷たくなった身体を、もう撫でてあげることは出来ないんだと何度も何度も撫でていたことを思い出しました。
今でも泣けてきます。(と、私の足元で寝ていたルビーが慰めるように膝の上に乗ってきてくれました……温かくて柔らかいです)
それから、主人公の少年のまっすぐな生き方も好きです。
わかりやすい『欲望』を生きる目標にして、それを目指してまっすぐに生きている。
純粋でいいなあ、と思うのです。
私など、それなりに恵まれた環境にいるはずなのに時々、何で生きているのかわからなくなって落ち込みます。
それは漠然とした不安からくる悩みだけど、少年の生きる目標である『欲望』をみると、そんな悩みを抱えていること自体、馬鹿らしくなります。
だってね、あの『欲望』は、生きることへの本能そのものだから。
生きるって、本来、そういうものだということを思い出させてくれます。
明日、あれを食べたい
明日、こういう遊びをしたい
明日、あの本を読みたい
明日、あの人に会いたい
だから、生きている。
生きていられる。
わかりやすくて、まっすぐでいいなあ。
さて、今の私の生きる目標って何だろう。
考えるまでもなく、私の『欲望』は、こうして文章を書き続けること。
そして、なによりもルビー! (と、膝の上のルビーをなでなでしてみる)
ルビーが幸せな人生ならぬ犬生を送れるように、そのために働いて環境を整えて、そしてこうして文章を書いています。
いつか、ルビーが年を取って、最後の時を迎えるその時に傍にいられるように。
一秒でも長く生きて欲しい。そしてその最後の一秒までもが幸せに満ちていますように。
ルビーと一緒に、ゆっくり年を取って生きていきたい。それが私の『欲望』です。
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