美味しいだけではない。レーズンサンドからは甘い恋のメロディが届いてくる。
神崎 小太郎
第1話 武蔵野のとわの杜
空が柿色に染まっていた。上司の冷たい視線を受け流し、秋ならではの
新宿駅を足早に歩く人に負けじと電車に乗り込んだ。これで二十分すれば、百合子に会えるはず。フッとため息をついた。
このところハードワークとなり、今夜は一週間ぶりのデート。お詫びに初めて訪れるイタリアンのサプライズを用意する。満員電車のつり革に揺られ、彼女の喜ぶ姿を思い浮かべてゆく。
俺は
ところが、人生なんてそう甘いものではない。義父から「まだ、結婚は早すぎる」と苦言を呈されている。もどかしさが頭の中でこだましていた。
車窓からは高層ビルの夜景が通り過ぎてゆく。都会の喧騒の中、この静寂なひと時だけは好きである。
ふと、窓ガラスの上にある写真に目がとまる。そこには「武蔵野のケヤキ並木続く
四季折々の心穏やかな香りで人々の訪れを待ち望む郷。このユートピアは……。」と書かれていた。
なんだぁ、終活の宣伝か……。
やっぱり、今夜の俺は変だ! けれど、二十代の半ばを過ぎたばかり。やりたいことは山ほどある。いくら何でも、百合子を残して過労死など冗談じゃない。
一旦、その宣伝から目を離すが、今度は武蔵野という名称が気になってくる。
そのエリアは、いったいどこから始まりどこまで続くのだろうか? ひとつの心象風景がおぼろげに浮かび上がる。
ひょっとしたら、「むさし野」は人々が空想の世界に創りあげたユートピアなのかも知れない。そんな妄想に取り憑かれると、──
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