第180話 献身的なお世話

「美味しいですか? エリック様」


「あぁ。レナンが食べさせてくれるから尚更美味しい」

 ベッド上で寝たきりになっているエリックに、レナンは食事を与えている。


「早く良くなるといいのですが……」

 そっと目を伏せ、唇を噛み締める。


「こうしてレナンが世話をしてくれてるのだから、すぐに良くなるよ」

 優しい笑顔を向けられ、レナンはますます泣きそうになるが、堪えた。


 つらいのは自分ではないとスカートを握りしめる。


(わたくしが泣いては駄目よ。もっとエリック様を支えないと)

 そうしてエリックの食事を再開する。


「こんな時に不謹慎かもしれませんが……」


「うん?」


「その、エリック様とこうしてゆっくり過ごせるのはとても嬉しいな、と思っています」

 照れくささと罪悪感を感じながら、そんな事を口にする。


「皆が一生懸命に仕事しているのはわかるし、わたくしも少しでも役に立たなければ、頑張らなければいけない事はわかっているのですが、ずっとこの時間が続けばいいなって思って」

 エリックの側にずっといたい。


 けれども仕事もあるし、長く側にいることは出来ないのだ。


 こうして食事の世話という名目があるので側にいる時間が増えるのは嬉しい。


「レナン……」

 本来ならばこのように言われたら抱きしめてあげたいのに、叶わないことに若干苛ついてしまう。


「ごめんなさい。こんな事を思うなんて、王太子妃に相応しくないわよね」


「そんな事はないさ。俺だってもっとレナンと一緒に居たい。その為に頑張ったのだから」

 エリックは優しく微笑む。


「レナン、もっと近くに来て」


「こうですか?」

 椅子をずらし、側によると違うと首を振られる。


「もっと側まで。そう、こちらに」

 弱弱しく上げられた腕に誘われるまま、レナンはベッドの上に乗ってしまう。


「あの、恥ずかしいですし。その、重くないですか?」

 ふわりと抱きしめられ、寄りかかる姿勢になってしまっているので心配だ。


 エリックの体力はまだ治ってないし、車椅子生活だ。そんな中でレナンを支え切れるとは思えない。


「大丈夫だから、もっと側に」

 レナンも手を回してエリックにくっつく。


 鼓動の音が聞こえて、更にドキドキする。


(何度経験しても慣れないわ)

 赤くなるレナンの耳元でエリックは囁く。


「俺だって王太子失格だ。ずっとこうしていたいと思っている」

 熱い吐息が耳元にかかり、呼吸が乱れる。


「食事も生活の世話もレナンがしてくれて、側にいてくれるからすごく嬉しいんだ。俺もこの時間がずっと続けばいいと願ってるよ。仕事なんて放っておきたい」

 温かな体温と安心する声にレナンは目を閉じる。


 全身でエリックの事を感じていたい。


「エリック様、ずっと側にいてください」


「もちろん、レナンが離してと言っても離すつもりはない」

 レナンは少しだけ体を起こし、自ら唇を重ねる。


 その行動にエリックは目を見開いて驚いた。


 一瞬の事ではあったが、それでもこのような行動をレナンがしたのは初めてではないか?


「あの、そろそろ執務の時間ですよね? 二コラを呼んでまいりますから」

 車椅子へ移乗させるのはニコラの役目だ。

 顔を赤くしたレナンはエリックの上から飛びのいて、食器の乗ったワゴンを押していく。


「待ってくれ、レナン」

 名残惜しい気持ちで引き止めようとするが、あっという間にドアの前にいってしまう。


「エリック様、わたくしいつまでも待ちます。あなたが元気になる事を。ですから……」

 赤らめた顔でもじもじとエリックを見ている。


 言葉に出来ないままレナンは口を動かし、そして羞恥で更に顔を赤くして、出て行ってしまった。


 そのすぐ後に二コラが顔を出す。


「何かされましたよね、エリック様。レナン様がリンゴのように真っ赤になって出ていかれたのですが」

 呆然とした顔でエリックはベッド上にいた。


「俺が何かしたというか……いや、確かに側に来て欲しいと言ったが」

 ぶつぶつと呟く主を見て、二コラは着替えを用意する。


「もうそろそろ甘えるのは終わりにしたらどうでしょうか? 確かにレナン様のお世話を受けるエリック様は幸せかもしれませんが、寂しそうな顔を見るのは辛いです」


「……そうだな」

 エリックは毛布を跳ねのけ、しっかりと自分の足で立つ。


「愛の力で治った、という事でいいだろうか」

 二コラが用意してくれた着替えに袖を通しながら、エリックは機嫌良さそうにしている。


 傷一つない滑らかな肌と、そして整った体を見ながら呆れた。


「それでいいと思います。ですが、今までの事が看病を受けたいが為の仮病だと知られないようにしてくださいよ。僕だったら烈火のごとく怒ります」


「レナンはそんな事では怒らない、俺が元気になったと泣いて喜んでくれるはずだ。が、仮病は秘密にしよう」

 二コラの言葉にも気分は害することなくエリックは微笑んだ。


 レナンが部屋を出る前に口にした言葉、それはエリックも望むもの。


「二コラ、レナンに振る仕事はこちらに回してくれ。彼女にあまり負担をかけたくない」


「これ以上、ですか? そうなるとエリック様の負担がだいぶ増えますけど」


「いい。レナンにはこれから休息の時間が必要になるからな。もっと大事な仕事を任せる」


「……急にそんな事、訝しまれますよ?」


「いいんだ。レナンも了承している」

 彼女は恥ずかしがりながらも言ってくれた。


 きっとエリックを元気づけるために勇気を振り絞って言ってくれたのだろう、ならば応えなくては。


(早く世継ぎが欲しいだなんて言われて、後回しにするわけないだろ?)


 バルトロスに口説かれた事も触れられたことも、腸が煮えくり返ったままだ。


 だが、まだ心と体の負担もあるだろうし、復興の為に心を痛めているだろうと我慢をしていた。


 だがレナンが良いというならば遠慮はしなくていいだろうと解釈する。





 その夜、エリックはレナンを夫婦の寝室に呼び出した。


(何の用かしら?)

 帰国以来初めて入る。


 詳細はなかったが、エリックはあのように体力低下した状態だ。

 添い寝くらいならしよう……そう思っていたのに。


「こんなに早くのつもりはありませんでした!」

 着いて早々押し倒され、レナンは暴れた。

 レナンの中ではひと月、ふた月先の話だと思っていたのだが、勿論許されるはずはない。


「俺はいつでもそのつもりだ。あまり誤解をさせるようなことを言ってはいけないよ」

 すっかりと調子を取り戻したエリックは、レナンの抵抗を押さえようと両手を握る。

 絡められた指は離してもらえることはなかった。

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