第71話 王子妃の希望

「ミューズ、危険な事だとは理解して言っているんだよな」


「勿論です」

 ティタンが向けている顔はやや怒り気味なものだ。


 普段仲が良い二人だが、今日は譲れぬ話の為、声も張りつめており、表情も硬い。


「戦場に赴くというのは、生半可な気持ちでは無理だ。この前以上にひどくて、惨いものを見ることとなる。助けようとした者が目の前で死んでしまう事だってあるんだ、それに耐えられるとは思えない」

 戦となったら治癒師として一緒についていきたいと話すミューズを、何とか押しとどめようとしているのだ。


「ですが、私の力はきっと役に立ちます。それにレナン様も戦に出るかもしれないのでしょう、ならば私も行くのが務めです。王太子妃であるレナン様だけに負担を掛けるわけにはいかない」

 常日頃レナンの仕事のサポートをし、そして個人的にも仲の良い二人だ。


 ミューズも何かしたい義憤に駆られているのだろう。


「この前の件で私の力を見たと思います。役に立つと思いませんか?」


「……」

 正直あの力は大いに助かる。


 回復速度と正確さ、そして骨折を治してさえもミューズの余力は残っていた。


 相当魔力が高いということだ。


 それ以外でも兄のフロイドが張ったような結界を使用できるらしいので、防衛にも適している。


 支援役としてとても優秀だ。


「俺個人としては連れて行きたくない。妻を危険にさらしたい夫がどこにいる」

 ティタンは抑えた声でそう言った。


 何て言って説得すればいいかわからないが、絶対に譲れるものではない。


「俺は自分が傷つくのも誰かの盾になるのも構わない、だがミューズが傷ついたりするのを見るのは嫌だ。そんな細い体で華奢な体躯で、下手すれば剣を一つ受けただけで命を失ってしまう。それにこの前逃がしたダミアンという男も危険だ」

 やけにミューズに執着していた。


 あの手の輩は厄介だ。


 一度失敗したからには必ず対策するし、次は確実に仕留めるよう計算しつくしてくるだろう。


 自分の側にいない時に狙われたらと考えるだけでぞっとする。


「私だって、ティタン様が傷つくのを見るのは嫌。でもそれがあなたのやるべきことならば力になりたいの。夫婦というのは支え合って生きるものでしょう?」

 出来ればティタンが人を殺す場面も見たくないが、そこまで望むわけにはいかない。


 ならばそれも一緒に背負って生きていきたい。


「残れと言っても残らないか」

 ティタンは頭を抱えた。


 ミューズは頑固だし、自分では説得させるような言葉を持ち合わせていない。


 かと言ってエリックやリオンに任すものではない。


 夫婦の話し合いなのだから。


「戦場では、男が多い」

 ぼそりとそう呟いた。


「そうならないように自制はする。が、俺も実際どうなるかわからない」


「何のことです?」

 ミューズは眉を顰めた。


「命のやり取りをすると少なからず気分が高揚する。生存本能も高まるのだろう、そういう事がしたくなる」


「は?」

 それでもいまいちわからないのだが、耳打ちをされ、ミューズは顔を赤くし壁まで後ずさりする。


「いえ、それは、でも……え、何でですか?!」

 信じられないという表情だ。


「子孫を残そうとするんじゃないかとセシルに聞いたな。死ぬかもしれない瀬戸際に、男というのは本当に変な生き物だ」

 ティタンはこれで残ってくれるのではないかと期待している


「だから残っていて欲しい。色々な意味で戦場は危険だから」

 ミューズは湯気が出そうな程顔を赤くし頬を押さえている。


 その内にはっと何かに気づいたような顔をして近づいてきた、些かむくれた様子で。


「今までもそのような事があったのですか?!」


「え?」

 怒った様子で詰め寄られる。


「先の戦でも、そのような事をしていたのですか? 私以外と、そういう事を」

 ミューズの目から涙が落ちる。


「ない! ないから!」

 これはまずいとティタンは慌てた。


「本当かもわからないじゃないですか!」

 ぽろぽろと涙を零しながら、ミューズは更にティタンに近づいた。


「そりゃあ、結婚前ですし、私が口出すことではないですが、でも」

 悲しいし、悔しい。


 胸がもやもやする。


 湧き上がる嫉妬に抑えが利かない。


 直前に口論していたのもあるだろう、普段こんなにも感情が昂った言い方はしないのに、珍しく大声を上げてしまった。


「今度の戦でもその女性と一緒に行けばいいんです! 私はお邪魔でしょうから!」

 張り上げた声に自分でも驚いた。


「そんなものはいない、抱いた女性はミューズだけだ」

 ティタンの傷ついた顔に思わず口を押える。


「ごめんなさい、私、言い過ぎました」


「どうすれば信じてもらえる?」

 ティタンは必死であった。


 どう証明すればいいか、本気で考える。


「俺の言葉で信用できないならば、ルドかライカか? それとも兄上から言ってもらえればミューズは信じてくれるか? 君以外にそういう事はしたことがない。今も昔も」

 身の潔白の証明などどうすればいいのか。


「ミューズが信頼する監視役を俺につけても構わない、それで納得してくれるなら」

 己が身の不徳を恥じる。


「そこまでしなくて大丈夫です」

 ティタンが落ち込むほど、ミューズは冷静になった。


 一途にいつでも思ってくれているのに、勝手に作り上げた居もしない女性に嫉妬したのだ。


 それで怒鳴りつけるなんて八つ当たりも甚だしい。


「聞いてくれる事には何でも答える。全て本当のことを話すから、だから嫌いにはならないでくれ」

 真剣に言うティタンに罪悪感が半端ない、ここまで言ってくれてるのに、疑ってしまって申し訳ない。


「今まで誰かに好意を寄せられたりはないのですか?」


「殆どは兄上とリオン狙いのものばかりだ。そして政略的に縁を結びたいものくらいだが、」

 少し口ごもって、ティタンは話し始める。


「一人、強烈に求婚をしてくるものは居た。承諾はしなかったのだが」

 ミューズはティタンの手を握りしめ、恐ろしい笑顔で見つめる。


「ぜひ教えてくださいな。どこのどなたです?」

 感情を隠さず嫉妬心に燃えるミューズの目は、若干据わっていた。




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