マチルダベイビー

平 遊

★第1節目★

「ウソ、だろ?」


 そう、思わず言葉が漏れていた。

 今俺がいるここは、敢えて言うなら【魔王の城】が聳え立つような世界で。

 そこには、美沙が。

 俺の彼女の美沙が。

『捕われの身』となっているなんてっ!


『お前の大切なものは我が貰い受けた。返して欲しくば我から奪い返してみるがよい』


 真っ黒な紙に血のような赤い文字でそう書かれたメモを手に、俺は途方に暮れて、すぐそこに見える【魔王の城】を見上げた。



(だいたいここ、どこだよ?なんで俺、こんなとこにいるんだよ?さっきまで、部屋で寝てたはずだよな?)


【魔王の城】へ続いていると思われる曲がりくねった坂道の入り口には、冗談だとしか思えないほどの大男が、これまた冗談だとしか思えないほどのどデカい剣を構えて、先程からコチラに鋭い眼光を向けている。


「こっち見んなって。見られてるだけでビビるっつーのっ!」


 聞こえないくらいの声で毒づきながらも、再びこの状況を何とか整理しようと試みる。


(別に俺、死んだ訳じゃねぇよな?異世界転生とかも、まぁ無いだろうし。つうか、転生とかあり得ねぇし。じゃあ、なんで俺は今、こんな訳の分からねぇとこにいるんだ?美沙はいつ、連れ去られたんだ?あいつ、俺の隣で寝てたはずだろ?!)


 キャアァァァっ・・・・


 不意に、風にのって【魔王の城】の方角から悲鳴のような声が聞こえてきた。


「美沙っ!?」


 足を踏み出しかけて、思いとどまる。


(いやいや、ウソだろ?あいつ、そう簡単に捕まるようなタマじゃねぇぞ?なんなら、そこらの男なんかよりよっぽど強いからな?俺だって、何度落とされかけたことか。そんなあいつが『捕われの身』?!どこぞのお姫様じゃあるまいし、ナイナイ、万にひとつも無いって。たとえ夢の中だって、そんなの有り得ねぇ)


 そう。

 俺の彼女、美沙は強い。小柄なくせに、めちゃくちゃ強い。

 小さい体の一体どこにそんな力があるのか、と思うくらいに、底抜けに、強い。

 親父さんの影響で、武道をいくつか嗜んでいるからだろう。

 可愛らしい見た目ながら、いつでも凛として頼もしい美沙に、俺はひと目で惚れた。

 そしてその日から、俺は脇目も振らずに、美沙に猛アタックを開始した。

 最初こそ全く相手にもされず、「しつこいっ」と何度投げ飛ばされたか分からないが、そのうち俺の熱意にほだされたのだろう。


『ツヨちゃんの優しいところが、大好き!まぁ、つよしなんて、ちょっと名前負けな感じもするけど。でも、ツヨちゃんは力は強くなくても、心が強いもんね!』


 なぁんて、今では俺にゾッコンだ。

 ・・・・未だ清い関係ではあるが。

 美沙曰く、


『もうちょっと、ツヨちゃんが本気を見せてくれたら、ね?』


 とのこと。

 俺、今でもすげー本気なんだけどな。

 一体、何をどう見せたら、美沙とあんなやこんなができるんだろうか・・・・

 隙を突いて押し倒したって、綺麗に巴投げされるのがオチだしな、くぅっ!

 って。

 いやいや、今はそんな事を考えている場合ではなく。

 だから、何が言いたいかって言うと。


 美沙が、『捕われの身』になるなんてことは有り得ない、ということ。


(だいたいこの紙にだって、美沙の名前が書かれてるわけじゃねえし。『俺の大切なもの』だろ?ゲームとかマンガとかフィギュアとかそんな類なら、別にいいよ。くれてやらぁ)


 状況を整理した結果、少しだけ落ち着いた俺は、改めて真っ黒な紙に書かれた赤字のメモを読み返してみる。


 と。


「・・・・ウソだろ・・・・」


 腹の底から、呻き声が漏れてしまった。

 そこに書かれていたはずの文字が、変わっていたのだ。


『お前の大切な美沙は我が貰い受けた。3時間後、美沙は我の花嫁となる。返して欲しくば、3時間以内に我から奪い返してみるがよい』


 大男は未だ、剣を構えたままこちらをガン見し続けている。


「これ、不公平が過ぎやしないか?あいつ、あんなにデカくて、おまけにあんなデカい剣を持ってんだぞ?丸腰の俺に、どうしろってんだよ・・・・」


 そう呟くと、突然俺の右手には木の棒が現れ、左手に持っていた黒い紙は薄っぺらい鉄の盾に変わった。


「なんだよ、これ。こんなもんで、美沙を助けに行けってか?!」


 ふと、左手に違和感を覚えてみれば、いつもはしていないはずの腕時計がそこにはあった。

 時間は、9時30分を指している。

 ということは、おそらく。

 俺は今ここで、30分も無駄な時間を過ごしていたということで。

 あと2時間と30分以内に美沙を助け出すことができなければ、美沙はあの【魔王の城】にいるであろう【魔王】の嫁にされる、ということなのだろう。

 嫁になる。

 ってことは、つまり。


「冗談じゃねぇ・・・・」


 木の棒を持つ手に、力が入る。


「俺だってまだ、美沙とできてねぇんだぞ。どこの誰だから知らねぇが、お前なんぞに・・・・お前なんぞに先越されてたまるかってんだぁっ!」


 俺の心からの叫びに。

 大男が剣を構え直したような気がした。

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