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毎日、ではなかったけれど、それでも週に三日、多い時には四日、彼女と廃墟となっている教会で出会った。約束をして待ち合わせていた訳ではなかったので、すれ違いだったり、互いの時間がうまく合わない日もあったけれど、それでも上手く合流できると、私は最前列で彼女の歌を聞いた。
深月さんはやはり学生時代に声楽を専攻していたらしい。音大生と聞いて、何となくハードルの高さを感じたけれど、彼女曰く「音楽をやっていること以外は普通の大学生と変わらないわよ?」と笑われてしまった。
彼女が歌うものはやはり声楽でよく歌われるものが多く、私はそちらには全然詳しくないので、曲名を聞いてもそれがどのような曲かは頭に浮かばなかった。それでも歌い始めると耳馴染みのあるものもあり、何より彼女の透き通った、それでいてやや陰を感じるソプラノが私の心を惹き付けた。
大抵は彼女が歌うのを私が聞いているだけだったが、時々、それこそ彼女の休憩の時に他愛ない話をすることはあった。ただ彼女から自分の話をすることはなく、多くは私についての質問をしてそれに答えるという形の会話だったけれど、それでも私にとっては貴重な彼女を知る機会だった。
「へえ。それじゃあ中学の頃にその、ボーカロイド? というので興味を持って、パソコンで音楽をするようになったのね」
「はい。けど、やればやるほど、音楽が少しでも分かるようになればなるほど、ああ自分には才能というものがないんだなってなっていって、中学の頃のような本気でプロを目指すとか、そういう気持ちは失くなってしまいましたけれど」
「少し、曲を聞かせてもらってもいい?」
心臓がびっくりした。
そういう瞬間が来るかも知れないと、スマートフォンの中に幾つか自作の曲を入れていたけれど、それでも現実にその場面が訪れると心の準備は間に合わない。
「あ、ごめんなさい。駄目ならいいの」
「いえ。その……いつもこちらが聞かせてもらってばかりで悪いんで、あの」
言葉も辿々しく、態度もどうしようもなくらいに落ち着きがない姿を晒してしまった。それでも私は自分のスマートフォンから伸びたイヤフォンを渡すと、彼女はそれを抵抗なく、自分の耳にして私を見る。どうぞ、という目配せだ。私はどの曲にしようかと散々悩んだ挙句、彼女に出会ってから生まれた一曲を選んだ。
「あ……」
という形の口をしたまま、彼女はその曲に聞き入っていた。全体で三分ほど。曲を作る時はAメロ、Bメロ、サビ、それから最後の大サビとそこまでの繋ぎという構成が多かったが、この曲はAメロとBメロを繰り返し、サビに入って終わる。明るい曲調なのにメロディは少し寂しい。陰がある。まだ歌詞を付けていないけれど、この廃墟となった教会からインスピレーションを受けたもので、未完成のメモには割れたステンドグラスとか、そういう単語が並んでいる。
「どう、でしたか」
曲を終えてもぼんやりと上を見ている彼女に、私は恐る恐る尋ねた。曲の感想を求める、というのは何とも嫌な作業で、それでも彼女の感想、言葉を聞きたいという気持ちもあり、何ともアンビバレントになる。
「これ、飯山君が?」
「そうです、けど」
「ピアノとか、習ってないのよね?」
「はい」
「とても美しい曲だわ」
「本当、ですか」
「美しいだけじゃなくて、ちゃんと聞いている人を引き込む力がある。そういう曲はね、良い曲なのよ。ただ明るいだけじゃない。暗いだけじゃない。聞いていて色々な感情が浮かんでくるのが、良い曲の証拠。これで才能ないなんて言ってたら、みんな大変よ」
素直に嬉しかった。これまでネット上のフリー音源のサイトや細々とやっている自分のサイトに曲を上げたりしていたけれど、別に評価なんてされなかったし、そういうものだと割り切ってもいた。けれどこうして目の前で実際に曲を聞いてもらって、その上で「良かった」と言ってもらえると、全然感じるものが違う。
私は何度も小さく「ありがとうございます」と呟き、顔を赤くした。
「ねえ」
曲を聞いただけでは満足せず、彼女は私にこんな提案をしてきた。
「この曲、私に歌わせてもらえないかしら」
断る為の言葉を探したけれど、全部指の隙間から抜け落ちて、私はただ「はい」と頷くことしか出来なかった。
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