第1話:RX-7と白銀の少女

 闇夜を切り裂く銀色の一閃。


 マツダが誇るロータリーエンジン――13Bの咆哮が静寂に包まれる峠道に響き渡る。芽吹き始めた草花達は通過する際に巻き起こる風によってあっけなく散らされてしまう。風を切りながら疾駆するその姿はまるで狼だ。この車の前では幾重にも続く急なコーナーなど敵ではない。最大限にまで軽量化されたボディーと華麗なるコーナリング性能を武器にコーナーを蹴散らしていく。ほのかに光る、道の先を目指して。


「よーし時間だ。全員位置につけ」


 4月5日午前2時。革ジャンを着た屈強な男の一声により、3台のスポーツカー──トヨタ GR86、日産 スカイラインGT-R(R34)、ホンダ インテグラType R(DC2)が整列する。どの車両もレーシングカーのような爆音を轟かせながら今か今かとレースのスタートを待っていた。


 群馬県の某所にあるこの多代戸峠たよととうげは、深夜になるとあちこちから走り屋が集まりレースを開催する場として有名だ。普段はギャラリーの歓声や走り屋達の談笑に溢れているが、今晩に限っては違った。たむろしているのはガラの悪い服を着た男達ばかりだ。黒いスーツ姿の者から露出度の激しい服装の者まで、いつもとは違う異様な雰囲気が辺りを漂っていた。


「ん?あと1台はどうした?」


 男が辺りを見回す。すると道の向こうからスキール音とともに特徴的な連続音のエキゾーストサウンドが近づいてきていた。


「あれか……」


 現れたのはリトラクタブルヘッドライトのスポーツカー──マツダ RX-7スピリットR(FD3S)だった。美しい曲線で形作られた流線型のボディーはメタリックグレーに包まれ、後部にはレーシングカーのような黒のGTウィングが取り付けられている。そしてボディーのサイドには疾走する銀色の狼を模したバイナルステッカーが貼られている。


「いやあ~わりいわりい。ちょっと渋滞に捕まってね」


 助手席の窓から顔を出したのは20代くらいの外国人だった。髪はストレートの茶髪で黒のタンクトップの上にはベージュのロングコートを纏っている。


「ッチ……とっとと位置につけ」


「えいえーい……っと俺はお邪魔だな」


 青年はドアを開けて車から降りると、革ジャンの男の横に並んだ。


「じゃあセブン、あとはよろしく」


 青年の視線の先――運転席にいたのは黒い中折れ帽を被った18歳くらいの少女だった。容姿端麗で新雪のような白銀のロングヘアーには漆黒のリボンが結ばれ、青年とは対象的にかっちりと黒のスリーピーススーツを身に纏っている。そして、瞳は血のように赤く、暗闇でもはっきりと映えていた。


「このねーちゃんがFDを運転するのか!?」


「ああその通りだとも。こう見えてドラテクはピカイチなんだぞ」


「こう見えては余計です。エリック」


 鈴のような声でツッコミをすると、セブンは車をスタート位置まで移動させた。ロータリーエンジン特有のエキゾーストサウンドがレシプロエンジンのサウンドひしめく峠にこだまする。


「よし、全員集まったな。ルールはただ一つ!上の展望台に1着でゴールしたやつがを運ぶドライバーだ。それじゃあいくぞ!!」


 男がカウントの準備に入ると一気に緊張が走る。


「カウントいくぞお!」


 横一直線に並ぶ車からは空吹かしによるエンジンのけたたましい爆音が鳴り響き、辺り一帯は排ガスの臭いに包まれる。


「3……2……1……」


 カウントダウンされるたびに場のボルテージがぐんぐん上がっていく。3人のドライバーの額にはじんわりと汗が滲み出る。一方のセブンは帽子を助手席に置き、平然とした顔で真紅のネクタイを緩めていた。


「スタート!!」


 男の号令と同時に4台のスポーツカーが一斉に発進する。法外なスピードで走り出したスポーツカー達はみるみるうちに見えなくなってしまった。


「さあて観戦観戦っと」


 エリックはジーパンのポケットからスマホを取り出すとアプリを起動させ真横に傾けた。


「アンタ、スマホで何見てんだ?」


「FDに付けてるドラレコの映像だよ。リアルタイムで前方の映像やレースの状況を見れるように改造してあるのさ」


「で、今どうなってるんだ?」


 エリックは画面をスワイプして現在のポジションを確認するウィンドウを表示させた。


「えーっと…… FDの前を走ってるのが青のR34、その前が白のDC2で一番が赤の86か」


「アンタんとこのお嬢ちゃんが最後ってことか。何で最初から飛ばさねえんだ?」


「狙ってるんだよ。オーバーテイクするタイミングをな」


 レースにおいて、後ろから追いかけられるほどプレッシャーに感じるものはない。そして追いかける側からすれば、後ろから相手の状況を観察できる絶好の機会である。隙を見定め、オーバーテイクするタイミングを狙う様はまさに獲物を狙う狩人そのもの。セブンが操るRX-7は前方を走るGT-Rの後ろにピッタリと食い付き相手の一挙手一投足をうかがっていた。


 レース開始から3分が経過したものの依然順位は変わらず各車両デッドヒートを繰り広げている。特に一位のGR86は巧みなブロックで2位のインテRの先行を許さない。猛スピードでコーナーを曲がるたびタイヤからは激しいスキール音が発生する。


 その後ろを走っているのはGT-Rだ。RB26エンジンからは獣のような咆哮が響き、上位2台に食い付こうとしている。しかし、何度も勝負をかけるが、なかなか先に行けない。そんな現状にGT-Rを駆るドライバーは次第にイラつき始める。


『クソっ……全然前に行けねえじゃねえか。こっちはGT-Rだぞ、あんな非力なクルマどもに負けるハズがねえ……!』


 男が苦悶の表情を浮かばせている間に4台はこの峠の難関ポイントである4連続ヘアピンカーブへと突入しようとしていた。見通しが悪く加速もしにくいこのポイントをトップを走るGR86のドライバーは見事なブレーキングとシフトワークで瞬時にリアを流し、ドリフト走行へと移行した。けたたましいスキール音と白煙を出しながらヘアピンカーブを次々攻略していく。続いて2番手のインテRもヘアピンカーブへ突入しようとしていた。


 しかし、カーブ手前に差し掛かったそのとき、一瞬の隙をついて隣に並んだGT-Rが突然インテRに体当たりを始めた。


「な、なんだよこの34!」


 GT−Rのボディーが当たるたび車内には強い揺れが生じる。この速さでクラッシュすれば命の保証がない。必死になるドライバーの額からは大粒の汗が流れ出ていた。


「クッソオオオ!!!」


 しかし、遂にインテRはコントロールを失いクラッシュ。激しい音を立てながらそのまま道路を離れ、脇に生い茂っている木に激突してしまった。


 その模様は後ろを走るRX-7のドラレコにもしっかり撮影されていた。


「おいおいあのR34、別のゲームおっぱじめやがったぞ。これいいのか?」


「これは公式のレースじゃねえんだ。ああいうのにも対処できねえのなら、あのインテRのドライバーはそんなもんってことだ」


「お~おっかねえ」


 インテRを脱落させ、GT-Rのドライバーは猛スピードでヘアピンカーブを攻略していく。彼が次に狙うもの──そう、一番手のGR86だ。日産自慢のアテーサE-TSの恩恵により距離が次第に縮まっていく。


 対するGR86のドライバーは相手のただならぬ気配をバックミラー越しから感じ取ると、全神経をハンドルに集中させる。


「やっと追い付いたぞ!」


 4連続ヘアピンを突破すると遂にGT-RがGR86の隣に並び攻撃を始めた。スキール音を鳴らしながら1.5トンのボディーを何度も激突させる。


「ぐっ……!」


 車体は一瞬バランスを崩すが見事なハンドリングによりなんとか体勢を持ち直し、再びGT-Rの前に出た。


「しぶとい野郎だ!」


 GR86のリアに再び攻撃を与えにかかるGT−R。これを喰らえば確実にクラッシュしてしまう――ドライバーの本能的直感がそう警告する。だが避けるスペースは一切無い。そんな絶体絶命の状況の中、ついにGT−Rがリアへ急接近する。


『クソッ……避けきれない!』










 次の瞬間、二人の目の前に銀色の閃光が走った。


「……は?」


「え?」


 メタリックグレーのボディーにレーシングカーのようなリアウィングを持つスポーツカー──それはまさしく、セブンが操るRX-7だった。GT-Rの後ろにしっかりと食いついていたセブンは走行の乱れ、そしてそこから推し量られるドライバーの心理状態を鑑みた結果、ヘアピンカーブへ突入するのと同時にオーバーテイクの準備を開始。そしてGT-Rが寄せたときにできた針の穴のようなスペースを見逃さず、僅かなタイミングを見計らい二人を追い抜いていったのだった。


 二人は放心状態の後、すぐさま追いかけようとしたが、そこにはRX-7の姿はなかった。


「……勝負あったな」


「だな」


「なんだよあの姉ちゃん……現役のレーサーかよ……」


「俺、鳥肌立っちまったよ……」


 気がつくとエリックの回りには何人ものの男達が集まり、揃ってセブンの逆転劇に度肝を抜かれていた。


「大須さん、そろそろ展望台へ行きましょう」


「ああ、アンタも乗ってくか?」


「え、いいの?じゃあお言葉に甘えて」


 エリックは革ジャンの男──大須と共に黒いワンボックスカーに乗り込みゴールである展望台へと向かった。




「俺は認めねえ!!」


 エリック達が展望台に到着するやいなや、そこには怒り狂う男の姿があった。


「どうしたんだ?」


「あのGT-Rのドライバーがキレだしたんだよ。レースの結果に納得いかないんだとよ」


「ハッ、ズルして負けたクセにみっともねえ。ありゃ誰がどう見てもセブンの勝ちだ」


「んだとこの野郎!」


 エリックの放った言葉が油となったのかGT-Rのドライバーの怒りはさらに大きくなり彼の前まで詰め寄ると勢いよく胸ぐらをつかんだ。


「お?ドライバーなのに拳で解決しようってか? 図体デカいくせして考えはガキなんだな。まあ、レースの結果に文句付けるくらいだからなあ!」


「このガキ!もう我慢ならねえ!!」


 ドライバーが懐に手をかけようとしたそのとき、大須が間に入り銃口をドライバーに突き付けた。


「そこまでだ。めんどくせえこと起こしてんじゃねえよ。男なら素直に結果を受け入れろみっともねえ。アンタもコイツを不必要に煽るな」


「えーい」


「どけ!このクソガキに一泡吹かせなきゃ気が済ま……」


「いい加減にしろ。そこのGT-Rと仲良く鉄屑にされてえのか?」


「ぐ……」


 大須の脅しが効き、ドライバーは悔しそうに後ずさりをする。一方のエリックはそそくさとセブンが待つRX-7へと向かった。


「お喋りは終わりましたか?」


「まあな。ていうか何で助けに来なかったの? もしかしたら俺、殺されてたかもしれねえんだぜ?」


「助けに行く必要がない、と判断したからです。それにあなたのような人が殺されるはずがありません」


「酷くないそれ?」


 二人が談笑をしている間、一人残されたドライバーは両手に握り拳を作っていた。レースでは負け、大勢の目の前で無様な姿を晒された。この時点で彼の怒りは別の次元へとなり、今やどろどろとした憎悪の念へと変わっていた。


「殺す…… ここにいる奴ら全員殺してやる…… へへッ 俺にはがあるんだ。もうレースの結果なんてどうでもいいんだよ。コイツら全員をあの世に送れば全部無かったことにできるんだからなあ……」


 懐から取り出したのは針が付いた注射器だった。長さ10センチ程の注射器の中は薄く光る黄緑色の液体で満たされている。


 その注射器をドライバーは迷いもなく首筋に突き刺した。



 ~TIPS~

 ロータリーエンジン:ローターと呼ばれる部分が回転することでエネルギーを生み出すエンジン。日本ではマツダが実用化に成功した。


レシプロエンジン:ピストンの往復運動によりエネルギーを生み出すエンジン。


 コーナー:カーブのこと。


 スキール音:高速でカーブを曲がる時や急ブレーキをかけた時にタイヤから発生する甲高い音


 リトラクタブルヘッドライト:車体の内側に格納できるヘッドライト。


 GTウィング:車体後部に取り付け下向きに押し付ける力を得る羽のようなパーツ。


 オーバーテイク:車を追い抜き前方に出ること


 ヘアピンカーブ:髪をとめるヘアピンのように折れ曲がっているU字のカーブ。


 アテーサE-TS:日産が開発したシステム。後輪タイヤの許容量を越えた駆動力 (引っ張る力)を前輪へと配分する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る