第10話 三人のメイド
俺達のクラスで学食を利用したことがある人が誰もいないのはフランソワーズさん達が俺の父さんに習った料理をお弁当として持ってきてみんなに配っているからなのだ。毎日のように綺麗な女性が作る手作り弁当を食べることが出来るのは幸せな事なのだろうが、昔から食べなれた味に近いという事もあって特別感は全くなかった。いや、お弁当を受け取ってから開けて口に運ぶまでは幸せな気分になったりもするのだが、口に入れて味を感じた瞬間にいつもの味だと脳が認識してしまうのだ。
「どうですか、邦宏さんのように上手に出来てますか?」
「うん、小さい時から食べなれてる父さんの料理と同じだと思うよ。これだけ上手に作れるんだったらフランソワーズさん達が食事当番になっても大丈夫そうだね」
「そう言ってもらえるのは嬉しいのですが、私達は邦宏さんの真似は出来ても新しいものを出すことが出来ないのでそれは難しいと思います。私達は誰かの真似は出来ても新しいものを作り出すということは出来ないんです。おそらくなんですが、旦那様はその点を一番重要視していると思うのですよ」
「色々作っていればそのうち皆のオリジナル料理も出来ると思うけどな。父さんには考え付かないような組み合わせとか試してみるのも良いと思うよ。例えば、みんなの母国の料理と父さんの料理を融合させてみるとか。全くのオリジナルじゃなくてもそう言うのもありだと思うんだけどな」
「そうですね。将浩さんのその発想は大変勉強になります。今度璃々さんと一緒に焼き菓子を作ろうと思っているので、その時に三人のオリジナルのモノを作ってみますね。もしよろしければ、将浩さんにも食べてもらいたいのですが」
お弁当を食べながら話を聞いている俺に訴えかけるようにフランソワーズさんは懇願してきていたのだけれど、その笑顔の奥には何か隠されているような気がしていた。
「きっとおいしいお菓子が出来ると思うので期待していてくださいね」
璃々を加えて四人でお菓子作りをするんだろうけど、頭の良い四人だから極端に奇抜なモノは出来たりしないだろう。欲を言えばそこに綾乃さんが加わってくれればより失敗のリスクも軽減されると思う。だが、綾乃さんはお菓子作りをしているような時間もないだろうし、時間があったとしても完成直前に少し手を加える程度だろう。
なんにせよ、フランソワーズさんもジェニファーさんもエイリアスさんも璃々も楽しんでくれるのだったら俺は何の文句もないのだ。
「お兄ちゃんはさ、失敗したクッキーとか食べたいって思う?」
「いや、全然思わない。失敗の度合いによっては食べても良いかなとは思うかもしれないけど、自分から進んで食べようとは思わないね」
「そっか、そうだよね。でもさ、可愛い妹が作ったクッキーなら食べたいって思うんじゃない?」
「たぶんな。可愛い妹が作った美味しいクッキーならもっと食べたいって思うかもしれないけどな」
「うーん、そんなワガママなお兄ちゃんには璃々が作った特製クッキーをプレゼントしちゃおう」
中が見えないようになっている小さな袋を受け取った俺は恐る恐るその袋の中を覗き込んだのだが、そこにあるのはとても失敗したとは思えないような綺麗なクッキーだった。丸いクッキーだけではなく星やハートなんかもあって見た目にも失敗したようには見えないのだが、実際に食べてみない事には判断のしようも無い。
俺は星型のクッキーを手に取って思い切って口の中に放り込んだのだが、いくら味わっても失敗しているとは思えない。むしろ、市販の物と比べても遜色ないのではないかと思うくらいに美味しく出来ていた。
「いや、これは美味いじゃないか。どこが失敗なんだ?」
「え、失敗なんてしてないよ。私達が失敗するわけないじゃない」
「まあ、普通に考えればそうなんだけどさ、さっき失敗したクッキーとか言ってたじゃないか」
「それはお兄ちゃんを楽しませるための嘘だよ。ドッキリってやつだよ。でもね、それをわかっても食べてくれたお兄ちゃんは優しいなって三人も言ってるよ」
「うんうん。将浩さんは優しいです」
「とても優しい。いいお兄ちゃんです」
日本語がとても上手なフランソワーズさんもなぜか片言になっているのが気になるのだが、ニコニコしているだけで何も言葉を発さないエイリアスさんがとても気になっていた。今までも何度かエイリアスさんと一緒の場所にいた事はあったのだが、授業中に先生からあてられた時以外にエイリアスさんの声を聞いたことが無い。普段は全く誰とも会話をしようとしていないのか、笑っていたり悲しんでいる姿は見ることがあっても声を聞いたことがほとんどないような状況に置かれていた。
「エイリアスさんってあんまり喋るの好きじゃないのかな?」
「そんなことも無いと思うよ。今思い出してみたんだけど、お兄ちゃんがいない時は普通に話したり買い物に付き合ったりしてるよ。この前はこの四人に綾乃さんを加えた五人でカラオケにも行ってきたしね」
「そういう時は誘ってくれても良いと思うけどな。なんか、仲間外れにされたみたいで寂しいじゃないか」
「次の機会があったら誘うけどさ、お兄ちゃんはその時伸一さんと二人でゲームやってたからな。帰って来てからも一緒にやってたからみんなで驚いちゃったよ」
「あの日は本当に一日中伸一さんとゲームをやってたからね。なんであんなに集中してやってたんだろうって今でも思うよ」
伸一さんと遊ぶことはとても多いと思うのだが、あの日はいつにも増してゲームに熱中してしまっていた。何がそこまで俺達を夢中にさせたのかわからないが、今同じゲームをやったとしてもそこまで集中してやることは出来ないだろう。
「じゃあ、クッキーも上手く出来たし私は部屋に戻って勉強でもしておくね。来週からまたテスト始まるんで少しくらいは復習しておこうかなって思ってるんだよ。そうそう、フランソワーズさん達がお兄ちゃんにお話があるって言ってたからさ、後でお兄ちゃんのところに三人で行くって言ってたよ」
「話ってなんだろうな。何か聞いてるか?」
「さあ、何も聞いてないけど、ちょっと深刻そうな感じだったよ」
フランソワーズさん達が俺の部屋にやってきたのはお風呂に入ってそろそろ寝ようかなと思っていた時だった。もう遅い時間になっていたので今日は来ないのではないかと思っていたのだが、もう少しで日付も変わるというタイミングで三人がやってきたのだ。
いつもであれば日本語が堪能なフランソワーズさんが先頭で俺に話しかけてくるのだが、今回はフランソワーズさんではなくエイリアスさんが三人の先頭に立っていたのだ。
「こんな遅い時間に申し訳ないです。ですが、どうしても今晩伝えておかなくてはいけないと思いやってきました。何から話せばいいのかわかりませんが、一つだけ確認させてもらってもいいですか?」
エイリアスさんの日本語はフランソワーズさんと比べても負けないくらい上手だった。普段もこれくらい普通に話していればみんなともっと仲良くなれるのになと思いつつも、確認したいことというのが何なのか気になっていたのだ。
「将浩さんはパッと見た物でも印象に残っていれば正確に覚えていてソレを絵にすることが出来るというのは本当ですか?」
「まあ、そう言うことが出来るというのは本当だけど、何でもかんでも覚えてるってわけじゃないんだよね。俺が特別興味を抱いたものは覚えているって感じかも」
「じゃあ、綾乃お嬢様の事には興味を抱いていたりするでしょうか?」
「そうだね。いろんな意味で興味はあるよ。恋愛感情があるかと言われると難しいけど、普通に興味はあるね。俺の知らない面がまだまだたくさんあると思うんだけど、そういうのも今以上に知っておきたいなって思うよ」
「それなら良かったです。これからも綾乃お嬢様の事をちゃんと見ていてくださいね。それが私達の唯一のお願いですから」
三人はそれぞれ順番に頭を下げて部屋を出て行ったのだが、綾乃さんの事をちゃんと見ていてくれというのはどうも引っかかるのだ。
これから何かあることがわかっているかのような口ぶりでもあったし、それが悲しい出来事を示唆しているのではないかと思うくらいに三人とも切ない表情を浮かべていたのだ。
俺はいつものように布団の中で小さく丸くなりながら考えてみたのだが、三人が言った言葉の意味を理解する事はとうとう出来なかったのだ。
わざわざ言われなくても注目して見ているのだが、そう言われると逆にじっくりと見ることが出来なくなってしまうような気がしていた。人間意識してしまうといつもは何げなくやっていることがどうすればいいのかわからなくなってしまう。明日は週の初めの月曜日だし、体育もあったと思うのでちゃんと寝られるように努力はしていた。
そう言えば、今日見た綾乃さんの顔ってなんか違和感があったような気がするんだよな。よく似ている別人のようにも見えていたのだけれど、周りの反応を見ていると俺がおかしいのでは無いかと思っていた。ただ、それは俺の単なる勘違いなんじゃないかなと思ったりもするのだが、綾乃さんだけではなくみんなも微妙に俺が知っている姿と違うように思えてきたのだ。
考えれば考えるほど寝る時間が遅くなってしまうのだけれど、俺の記憶の中にいるみんなはなぜか四人ずつ違う人が思い浮かんでいたのだ。誰が正しいのか見当もつかないのだけれど、エイリアスさんだけはみんなと違って全員同じ姿で同じ顔であった。
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