第43話 司馬炎の妨害策

 魏軍ぎぐんひきいる総大将の王沈おうちんあせっていた。

夏侯舜かこうしゅんの軍は、だ追いついて来ぬのか? 自分達じぶんたち統率とうそつする夏侯舜かこうしゅん先行せんこうして出発しゅっぱつしていると、確かに知らせたのであろうな?」

「それは確かです。私自身わたしじしん副将ふくしょうに会って、じかに知らせました。」

 そばひかえる自軍じぐん副将ふくしょう言葉ことばに、王沈は更に苛立いらだった。

「ならば、どうして来ぬのだ? あの軍は総勢そうぜい二千にせん今回こんかい作戦さくせん反対はんたいした夏侯舜を投獄とうごくした事が、その部下達ぶかたちに知られるのは何よりまずい。だからこそあの軍は長安ちょうあんから引きはなさねば危険きけんだと判断はんだんして、出兵しゅっぺいを命じたのに...」

 王沈の苛立いらだちを間近まぢかにした副将ふくしょうは、返す言葉ことばが見つからずに沈黙ちんもくした。

「しかも、あやつらには兵站へいたん輸送ゆそうも命じておるのだぞ。前線ぜんせんに立たせる事は危険きけんと見たから、後方こうほうでの兵站へいたんを命じたのだ。奴らが運ぶ食糧しょくりょうが来なくては、何かあれば途中とちゅう干上ひあがってしまうではないか。」

 そこでようやく、副将ふくしょうが王沈の苛立いらだちをしずめるように声を発した。

「夏侯舜の軍が、急ぎ出動準備しゅつどうじゅんびに取り掛かるところ迄は、見届みとどけております。兵站へいたんの運び出しに手間取てまどっているのでは有りますまいか?」

 其処そこに、行軍こうぐん先頭せんとうから一人の兵が駆けつけて来た。

「王沈様。大変たいへんです。あれをごらん下さい。」

 兵がゆびさす前方ぜんぽうには、空に立ち昇る黒い煙が見えた。

「何だ、あれは?」

「この先の街道脇かいどうわき草原そうげんと林が燃えております。野火のび発生はっせいしたと思われます。風によって火のいきおいが強まっております。我等われらの居る場所ばしょ風下かざしもです。火がおさまるまで、一旦いったん兵を引かねば危険きけんです。」

 兵からの報告ほうこくを受けて、王沈の苛立いらだちはさらにつのった。

「ええい...このような時に何という事だ。やむを得ない。一旦いったん五里ごりほど下がり、谷間たにあい間道かんどうを行くしかあるまい。全軍ぜんぐん反転はんてんさせろ。元の道を戻るのだ。」

 こうして魏軍は、く元の道を戻る事になった。

 街道かいどうから峡谷きょうこく間道かんどうに道が分かれる地点ちてんまで、兵達へいたち一日いちにちをかけて引き返した。

 そして一列縦隊いちれつじゅうたいとなって、谷を下に見る間道かんどうを進み始めた。

 しかし五里ごりほど進んだ地点ちてんで、行軍こうぐんの動きが止まった。

「どうした? 何故なぜ前に進まぬのだ?」

 隊列たいれつ中央ちゅうおうにいた王沈が、また苛立いらだった声を発した。

「この先の道が、崖崩がけくずれの為にふさがっております。道をふさぐ岩を取り除く作業さぎょうを行いますゆえしばらくお待ち下さい。」

 道をける作業さぎょうは、思いのほか難航なんこうし、ついには日が暮れた。

 魏軍ぎぐんは、峡谷きょうこく細道ほそみち往生おうじょうしたまま、野宿のじゅくいられる事になった。

 兵達へいたち道端みちばたに座り込み、腰に付けた携帯けいたいの干し肉をかじりながら夜を過ごした。

「なぁ、携帯食糧けいたいしょくりょうは、もう残りわずかだぞ。このままで、この先は大丈夫だいじょうぶなのか?」

 一人の兵が不安ふあんそうにつぶやく横で、別の兵が言った。

食糧しょくりょうを運んで来る部隊ぶたいが、後ろから来るって言う話だ。それ迄の辛抱しんぼうだ。」

 しかし翌日よくじつになっても、後続こうぞくして来るはずの夏侯舜の部隊ぶたいは、いっこうに姿を見せなかった。

 王沈は、そばにいる副将ふくしょうに命じた。

れは変だ。後方こうほう斥候せっこうを出せ。夏侯舜の軍が何をしてるかを、確認かくにんに行かせるのだ。」


 翌日よくじつ、魏軍は峡谷きょうこく間道かんどうを抜け、ようや街道かいどうに戻った。

 魏軍ぎぐん左右さゆうを林にかこまれた地点ちてんに達した時に、事件じけんが起きた。

 軍靴ぐんかひびきが林道りんどう木霊こだまする中、突然とつぜん隊列たいれつ後方付近こうほうふきん悲鳴ひめいが上がった。

 その悲鳴ひめいに気付いた王沈が後ろを振り返ったその時.....。

 街道かいどう左右さゆうかこ樹林じゅりんが、一斉いっせい轟音ごうおんひびかせてれ、折れた木々が魏軍ぎぐん頭上ずじょうから降りかかって来た。

 数十人すうじゅうにんの兵が大木たいぼく下敷したじきとなってもがく姿が、王沈の眼にうつった。

れは、どうした事だ!! 」

 下敷したじきとなった兵達の救出きゅうしゅつに向かった一人の兵が叫んだ。

いずれの木にも切れ目が入れられている。 」

 それを聞いた王沈が歯軋はぎしりをした。

「おのれ、我等われらの行軍を、妨害ぼうがいしようとするやからがおるな。」

 その時、前方ぜんぽうから一人の兵が王沈の元に駆け付けて来た。

「林の出口でぐちで、木々がみ上げられて道をふさいでおります。しかも、その先の道ではずっと先まで鉄ビシがまかかれていました。くつによっては、怪我けがをする者が出ます。しばらくの間は、街道かいどうは避けた方が宜しいかと…。」

 その報告ほうこくに、ついに王沈の癇癪かんしゃくはじけた。

何者なにもの仕業しわざなのだ? すると、あの野火のび崖崩がけくずれも、人為的じんいてきな物だな。そうか....。蜀か或いは市場街しじょうがい兵達へいたちが、が我等われら進軍しんぐんに気付いて、先発隊せんぱつたいを送って来たのだな。此処ここ我軍わがぐん行軍こうぐんを遅らせ、蜀本隊しょくほんたい到着とうちゃくまでの時間稼じかんかせぎをする積りなのだな。そう思う通りにはさせぬ。横の草原そうげんを抜けるのだ。周囲しゅういには充分じゅうぶん注意ちゅういを払え‼︎ 」

 こうして魏軍は、林の出口から右側みぎがわに広がる草原に踏み込んだ。

 全軍ぜんぐん草原そうげんに踏み入って前進ぜんしんを始めた時、軍の前方ぜんぽうで大きな声が上がった。

「向こう側から、何かが来るぞ‼︎」

 前方ぜんぽう草叢辺くさむらあたりりで地響じひびきがとどろき、やがてその正体しょうたいが姿をあらわした。

「あ、あれは...いのししの群れではないか!! しかも数は無数むすう!! それに…..頭に松明たいまつくくられている!! 遮二無二しゃにむにこちら目掛めがけて突っ込んで来るぞ!! 」

前方にいた兵達へいたちが、悲鳴ひめいに似た叫びを挙げた。

けろ‼︎ 猪共いのししどもをやり過ごすのだ‼︎ 」

 その叫び声を聞いた魏軍兵達ぎぐんへいたち一斉いっせい左右さゆうに散り、猪群ししぐん進路しんろを開けた。

 ところが、目の前の進路しんろが林でふさがれているのを眼にした猪達いのししたちは、各々おのおのって気儘きまま方向ほうこうに向かって突進とっしんを始めた。

 先頭せんとう何頭なんとうかが、頭にくくられた松明たいまつの熱さにいかり狂って暴走ぼうそうした。

 するとあとにいた猪達もそれに続き、魏軍兵達ぎぐんへいたちに向かってすさまじい勢いで突っ込んで来た。

 くる猪達いのししたちに、兵達へいたち武器ぶきかまえて必死ひっし応戦おうせんした。

 ようやいのししの群れが去った後、草原そうげんのあちこちには傷つき地にう多く兵達へいたちの姿があった。

「何という事だ….」

 其処そこからはなれた場所ばしょで、王沈は副将ふくしょうと共にその光景こうけいを見て立ち尽くした。

 すると、王沈のそばに馬に騎乗きじょうした二人の兵が駆け寄って来た。

 そのうちの一人は、王沈に命じられて、後方こうほうに向けて斥候せっこうに出された兵だった。

「王沈様、夏侯舜殿の軍は、此方こちらには向かってはおりません。長安ちょうあんとどまっているとの事です」

 その知らせに、王沈は驚愕きょうがくした。

「な、何だと!! どう言う事だ…」

 その時、もう一人の兵が報告ほうこくの声を挙げた。

「私は、長安ちょうあんより、此処ここまでけてまいりました。途中とちゅうでこの斥候せっこうの者と出会ったのです。長安ちょうあんは、すで夏侯舜殿以下かこうしゅんどのいか、多くの将軍達しょうぐんたち軍勢ぐんぜいによって占拠せんきょされております。長安ちょうあんに残った我が軍勢ぐんぜいは、多くが投降とうこうしております。賈充殿は、騎馬隊きばたいと共に長安ちょうあんから脱出だっしゅつされて、此方こちらに向かっておられます。」

「そ、れは一体どう言う事なのだ….」

 報告ほうこくを聞いた副将ふくしょうが声を詰(つ)まらせると、王沈がいきなり二人の兵に向かって剣をふるった。

 血煙ちけむりを挙げて地に倒れる二人の兵を見て、副将が絶句ぜっくした。

「お、王沈様。な、何をされるのです!! 」

 王沈は、剣の血をぬぐいながら副将ふくしょうに向き直った。

「これは反乱はんらんだぞ。夏侯舜が、他の将軍達しょうぐんたち扇動せんどうして我等われらやいばを向けたのだ。夏侯舜軍だけでなく、他の将軍しょうぐんの軍も一緒いっしょ挙兵きょへいしたとなると、反乱軍はんらんぐんの数は二万にまんを越えておるはずだ。」

 そう言った王沈は、副将ふくしょうを睨みつけた。

「この事、我等われら兵達へいたちに知られてはならぬ。知られれば、逃亡とうぼうする者が続出ぞくしゅつする。こうなれば、我等われらが為すべき事は只一ただひとつ。此方こちらに向かっている賈充殿の軍と共に、一刻いっこくも早くあの市場街しじょうがい攻略こうりゃくする事だ。彼処あそこにある食糧しょくりょうさえ手に入れば、兵糧ひょうろうの少ない長安ちょうあん兵達へいたちには十分じゅうぶん対抗たいこう出来る。我等われらびる道は、それしかないのだ。夏侯舜が、自分をわなめた我等われらゆるはずがない。その事は、お前もわかっておろう。」

 王沈の言葉ことばに副将は息を呑み、やがておずおずと問いかけた。

「し、しかし...とらわれる前の夏侯舜が言っていたように、奴らが呉か蜀に食糧しょくりょう供出きょうしゅつを求めた場合ばあいはどうなるのです?」

 そんな副将ふくしょうに対して、王沈はてるような言葉ことばを浴びせた。

「そのような申し出、呉も蜀も受けるはずがなかろう。長安ちょうあん反乱はんらんが起こったとなれば、その機会きかいじょうじて魏に攻め入ろうとするのが当然とうぜんではないか。それがわかっておりながら反乱はんらんを起こすなど...。夏侯舜も他の将軍共しょうぐんどもも、先の事などつゆほども考えてらぬのだ。」





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