第36話 志耀の決意

 志耀しようは、陸遜りくそん呂蒙りょもうと共に、建業けんぎょうへと向かう旅支度たびじたくととのえていた。

「さて、華鳥かちょう姉様あねさま大見得おおみえを切ってしまった以上いじょうは、何が何でも呉をまとめねばならんな。....とは言っても、私一人わたしひとりではどうにもならぬ。此処ここは陸遜と呂蒙爺が頼りだ。」

 そう言った志耀は、陸遜と呂蒙の顔をを改めて見据みすえた。

 志耀の視線しせんをうけた二人は、力強ちからづよ肯首こうしゅを返した。

「急がねばなりませぬな。今の呉王宮ごおうきゅうは、のこされた孫家そんけ者同志ものどうしいさかいの真っ最中さいちゅうです。しかもあの孫休帝そんきゅうてい逃亡以降とうぼういこう王宮おうきゅう求心力きゅうしんりょくは地にちております。」

 陸遜の言葉に、志耀はうなづいた。

「その通りだ。蜀でも劉禅帝りゅうぜんていが魏へと逃亡とうぼうしたが、その後の混乱こんらんを、宰相の姜維きょうい殿と華真かしん兄様あにさま見事みごと収拾しゅうしゅうして、国の立て直しをはかっている。しかし呉には、あの二人のような智謀ちぼうが居ない。孫権帝そんけんていが私と母上ははうえの為に、陸遜と呂蒙爺を手放してしまったからな。」

 その言葉ことばに、呂蒙が首を横に振った。

我等われらにも、華真殿の持つ神のごとき智謀ちぼうは有りませぬ。華真殿には、あの諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい宿やどっているのですから..。」

 それを聞いた志耀は、呂蒙の顔を覗き込んだ。

今更いまさらながらだが…。孔明こうめいという人物じんぶつ....。呂蒙爺りょもうじいがそれ程までに言う大器たいきという事なのだな。」

 志耀のつぶやきに、陸遜が昔を回顧かいこする口調くちょうで話し始めた。

かつての赤壁せきへきたたかいのおりに、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいは、蜀より呉の地に派遣はけんされておりました。その時の私は呉軍ごぐんではしの将校しょうこう、呂蒙殿は水軍すいぐんの将の一人でした。呉にやって来た孔明こうめいに向ける呉の眼差まなざしは、冷ややかなものでした。『たった一人でやって来たとて、何が出来ると言うのだ。蜀は、我等われらが魏に蹂躙じゅうりんされるのを見物けんぶつするだけの積りなのだ』と...」

 すると呂蒙が、陸遜に続いて言葉をつなげた。

「陸遜殿の言う通りです。しかし孔明こうめいは、周瑜しゅうゆ宰相さいしょう智慧ちえを合わせて、赤壁せきへきの地で魏軍ぎぐん壊滅かいめつさせました。その時の孔明が、『火攻ひぜめに格好かっこう東風ひがしかぜを呼び寄せてごらんに入れる』と言って、長江ちょうこうの横にしつらえた祭壇さいだんの前にに座った時は、皆がこの男は詐欺師さぎしだと思いました。」

 それを聞いた志耀が、目の前の二人に確認かくにんするように言った。

「ところが、実際じっさい長江ちょうこうを吹く風は、一夜いちやにして西風にしかぜから東風ひがしかぜに変わった....。そして作戦さくせんこうそうして、魏の水軍すいぐん壊滅かいめつしたのだったな。」

 それに二人がうなづき、呂蒙が言った。

「あの時は、我等われら全てが驚愕きょうがくし、孔明こうめいとは鬼神きしん魔物まものに違いないと戦慄せんりつしました。今思えば、孔明は天文てんもんに通じており、その知識ちしきを持って風の変化へんか予知よちしたのです。しかしその当時とうじ、そのような知識ちしき我等われらの誰もが持ってはおりませんでした。」

 その時の孔明こうめい智謀ちぼうを思いながら、志耀はしみじみと言った。

卓越たくえつした知識ちしきと、それを使った演出えんしゅつに、呉の皆がけむかれたという事だな。しかもそののち孔明こうめいの命を狙って派遣はけんされた呉の軍勢ぐんぜいをいとも簡単かんたんに振り切って、孔明は蜀に帰還きかんしたと聞いている。しかし結果けっかとして、孔明こうめいのお陰で呉は魏の脅威きょういかえした。孔明は呉の恩人おんじんだ。」

 志耀の言葉ことばに、呂蒙も陸遜もうなずいた。

「その通りです。その孔明こうめいが、今度こんど華真殿かしんどのに姿を変え、再び我等われらに力を貸そうとしてくれています。実は、華鳥殿が、姜維殿と華真殿からたくされ、我等われらの元に届けてくれたのは、蜀の玉璽ぎょくじだけではありませぬ。」

 それを聞いて、志耀のまゆがぴくりと動いた

「ほう...。他にも何か...?」

 呂蒙は、大きな風呂敷ふろしき包みを取り出して来ると、その中身なかみを志耀と陸遜の目の前に広げた。

 それを見た二人の顔に驚愕きょうがくが浮かんだ。

れは...紙ではないか...。蜀では、既にこのような物まで使いこなしているのか。しかも此処ここかれているのは....」

 広げられた大きな紙にかれた図面ずめんながめた志耀は、大きく眼を見開みひらいた。

「これは、軍船ぐんせん設計図せっけいずだな。しかもただの船ではない。船の表面ひょうめんすべてに鉄板てっぱんが貼られている...。此れは鉄甲船てっこうせんではないか?...」

 かたわら図面ずめんのぞき込んだ陸遜の顔にも、驚嘆きょうたんの色が見える。

左様さようですな。これは…….単に強靭きょうじんなだけでなく、火攻ひぜめをかえす為の工夫くふうがされていますな。このような船、初めて見る...。」

 やがて志耀は立ち上がり、宣言せんげんするように言った。

玉璽ぎょくじだけでなく、このような物まで我等われらに贈ってくれるとは。益々ますます手ぶらで蜀に出掛でかける事など出来できぬな。前にも言った通り、与えられたたま輿こし只乗ただのりするだけでは、おとことは言えまい。れは華真の兄様あにさまから私に向けられ問いだ。れらを使って、自分じぶんあしで立って見せよ...。そしてみずからの資質ししつを見せてみせよという....。私は、その問いに答えねばならぬ。」

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