第27話 飛仙の拠点

 番頭ばんとう老人ろうじんは、直ぐに潘誕はんたん玄関げんかんに招き入れると、そばにいた小僧《こぞうに命じた。

「お前はお医者いしゃの所に行って、直ぐに来て欲しいと伝えなさい。その前に、大旦那様おおだんなさま奥様おくさまにお知らせを。華鳥かちょう嬢様じょうさま大変たいへんだと....」

 あたふたと多くの奉公人ほうこうにん達が玄関口げんかんぐちに姿を見せた。

 彼らが華鳥を奥へ運びこむのを、潘誕は呆然ぼうぜんと見守った。

「お嬢様じょうさまだって...? そう言えば華鳥様の実家じっかは、大きな商家しょうかと言っていたが...、。此処ここがそうだったのか?」

 やがて直ぐに、小僧こぞう案内あんないされた医師いしが駆けつけ、華鳥と潘誕は手当てあてを受けた。

「見事な応急処置おうきゅうしょちでしたなぁ。れが良かったですね。直ぐに毒消どくけしを飲んだのも正解せいかいでしたな。」

 寝台しんだいで横たわる華鳥を見ながら、潘誕は医師に尋ねた。

「俺も同じように矢を受けたのに...。どうして華鳥様だけがこのように...?」

 潘誕の問いに対して、医師は直ぐに返答へんとうした。

身体からだの大きさが違うからです。お嬢様じょうさま体格たいかくは、貴方あなた半分はんぶんほどですからね。だから毒の力が薬を上回うわまわったのでしょう。でももう大丈夫だいじょうぶです。しかし二、三日は毒が残るでしょうから、その間は気をつけて下さい。」


 医師いし手当てあてを受けた潘誕は、その後奥の部屋へやへと案内あんないされた。

 座敷ざしきには気品きひんがある老人ろうじん婦人ふじんが並んで座っていた。

 部屋へやに潘誕が入って来ると、二人は顔をげ、そして丁寧ていねいに頭を下げた。

貴方あなたが、華鳥を救って下さったのですね。貴方も傷を負ってられるようですが、大丈夫だいじょうぶなのですか?」

 婦人ふじん気遣きづかうような視線しせんを向けながら、潘誕に声を掛けて来た。

「俺は平気へいきです。それに俺は、此処ここに華鳥様を運んで来ただけで...。手当てあて手順てじゅんは全て、華鳥様がご自身じしん指示しじされたのです。」

 潘誕がそう言っても、婦人ふじん心配気しんぱいげな顔は変わらない。

「そうは言っても、あの山道やまみちを華鳥と荷物にもつを背負って歩いて来られたのでしょう? 大変たいへんな事であったと思います。貴方あなたが華鳥の護衛ごえいの潘誕様ですね?」

 婦人ふじん言葉ことばに、潘誕は驚いた。

「俺の名前なまえをご存知ぞんじなのですか?」

七日程前なのかほどまえに、華真からのふみ荷物にもつたずさえた使いがやって来ました。華鳥と貴方様あなたさま此処ここに立ち寄ると告げて....。」

 それを聞いた潘誕は、得心とくしんした顔になった。

「やはり 此処ここは華真様と華鳥様の御実家ごじっかでしたか...。華鳥様が、華真様からの連絡れんらくを受ける場所ばしょがあるとおっしゃってましたが、此処ここだったのですね。」

 すると今度こんどは、婦人ふじんかたわらに座る老人ろうじんが口を開いた。

「私は、華真と華鳥の祖父そふです。そして、此処ここに居るのが二人の母親ははおや生憎あいにくと、現当主げんとうしゅである父親ちちおやは、所用しょよう留守るすにしておりますが….。私どもは、数ヶ月前までは長安ちょうあんに居たのですが、身辺しんぺんあわただしくなった為に、急遽きゅうきょこちらに移って来たのですよ。」

 それを聞いた潘誕のまゆが小さく上がった。

「それは、もしや蜀に兵糧ひょうろうを運んだ事を、ぎつけられた為ですか?」

 その問いに、祖父そふ名乗なのった老人ろうじんは穏やかな笑みを見せた。

「その通りです。魏の宮中きゅうちゅうには、状況きょうきょうを読む事にさとい者がいたようで、我々われわれを怪しむ様子ようすが見えて来たので、厄介やっかいが起こる前に直ぐに長安ちょうあんを引き払ったのです。飛仙ひせんという店の名は、貴方様あなたさまも耳にされた事がおありでしょう。我らは、中華全域ちゅうかぜんいきあきないを行う為、各地かくちに店を構えています。此処ここはその一つなのです。いずれにせよ、貴方あなたが真っ直ぐに此処ここ辿たどり付けたのは幸運こううんでしたな。傷がえる迄は此処ここ養生ようじょうされると良い。」

 そう言いながら華鳥の祖父そふと名乗った老人は、潘誕に向けて手招てまねきをすると、部屋へやの外に誘った。

 潘誕は、怪訝けげんな顔つきで老人の後に従った。

 老人は庭に降りて、庭の奥にある池のそばしつらえた東屋あずまやに潘誕を導いた。

 東家あずまやの中に設置せっちされた座卓ざたくを潘誕にすすめた華鳥の祖父そふは、潘誕が腰を下ろすのを確認かくにんした後、微笑びしょうしながらなごやかに語り掛けた。

「華鳥の護衛ごえいという方とは、どのようなお人かと思っておりましたが、貴方あなたのような方で本当ほんとうに良かった。これからも、華真と華鳥の事、よろしくお願い致します。」

 そう言われて頭を下げられた潘誕は、突然とつぜんの事に慌てた。

「何をおっしゃるのです。俺は華真様と華鳥様の下で、おつかえしている身なんです。祖父上そふうえ様から、そのように頭を下げて頂く立場たちばにはありません。」

 老人は潘誕の顔をまじまじと見遣みやったのちに、再び微笑びしょうした。

貴方あなたは、まこと実直じっちょくなお方だ。言葉ことばにも態度たいどにも、びも裏表うらおもて一切いっさい感じられない。そんな貴方あなたが二人のそばにいて下さるなら、私達わたしたち安心あんしんしていられます。」

 返答へんとうきゅうして押し黙る潘誕に向かって、老人ろうじんはまるで独り言をつぶやくように語り始めた。


 華鳥は、小さな頃よりとんでもないお転婆てんばでしてな。

 いつも近所きんじょ男童おとこわらべ達をしたがえて野山のやまを駆け回り、まるで何処どこかの城の大将たいしょうのようだとささやかれていました。

 負けず嫌いで、男童おとこわらべ喧嘩けんかをしても負けたくないと言って、女だてらに武芸道場ぶげいどうじょうにもずっと通い続ける有様ありさまでした。

 そんな華鳥が、なぜか唯一ゆいいつ頭が上がらなかったのが、兄の華真でした。

 華真の方は、武芸事ぶげいごとには全く興味きょうみを示さず、所謂いわゆる本の虫でした。

 しかし商家しょうか跡取あととりですから、それで何の問題もんだいも有りませんでした。

 華鳥は武芸道場ぶげいどうじょうから戻ると、ぐに華真の部屋へやおとづれ、様々さまざま学問がくもんの話を聞くのが日課にっかとなっていました。

 その頃の私達わたしたちは、華真が跡目あとめを継いでも、華鳥が婿むこを取っても、飛仙ひせん将来しょうらい安泰あんたいたかくくっていました。

 そんなある日、唐突とうとつに二人が揃って、私と両親りょうしんに対して『旅に出たい』、と申し出て来たのです。

 更には華真も華鳥も、今後こんごは飛仙の家業かぎょうかかわる事は無い、と言い出したのです。

 勿論もちろん、そのような事、おいそれと認めるわけには行きません。

 すると二人は、家族かぞくには何もげずに、黙って家を飛び出したのです。

 それに気付きづいた私達わたしたちは、絶望ぜつぼうのどん底に突き落とされました。

 月日つきひつ中で、二人から定期的ていきてき連絡れんらくふみが届くようになりました。

 最初さいしょのうちは、自分達じぶんたち息災そくさいである事だけの知らせでしたが、便たよりが重なってゆく中で、ふみしるされる内容ないようが大きく変化へんかして行ったのです。

 国のまつりごととか、たみ安寧あんねいといった言葉ことばが、ふみ頻繁ひんぱんしるされるようになりました。

 その変化へんかを受けて、最初さいしょ態度たいどを変えたのが、私の息子むすこであり、二人の父である飛仙ひせん現当主げんとうしゅでした。

 当主とうしゅは、今後こんごは華真と華鳥の行動こうどうには一切いっさい干渉かんしょうをしないと宣言せんげんしました。

 それだけなく、もし二人が飛仙ひせん支援しえんうてきた時には、それが単なる二人への生活せいかつへの援助えんじょではなく、二人が目指めざすものの為であれば、何も問わずに支援しえんすると決めたのです。

 現当主げんとうしゅである私の息子むすこも、華真と同じく本の虫でした。

 あの二人の便りの中に、強く共感きょうかんする何かを見つけたのでしょう。

 当主とうしゅが決めた事であれば、隠居いんきょの私が口をはさ道理どうりはありません。

 過日かじつに華真から依頼いらいがあった時、飛仙ひせんが直ぐに蜀に食糧しょくりょうを送ったのも、すべては当主とうしゅ決断けつだんです。

 飛仙ひせんは、今後共こんごともあの二人が目指めざすものの為ならば、どのような支援しえんも惜しまないでしょう。

 しかし華真と華鳥の二人が、どんどんと危険きけんな道に足を踏み入れていく様子ようすには、日々ひび心を痛めていたのです。

 潘誕様は、蜀の軍の中でも一二を争う武芸ぶげい達人たつじんと聞きました。

 どうか降り掛かる厄災やくさいからあの二人を守る守護神しゅごしんとなって下さい。


 翌日よくじつになっても、華鳥の熱は中々なかなか下がらなかった。

 心配しんぱいそうな顔つきで枕元まくらもとにやって来た潘誕に、華鳥が声をかけた。

体内たいないの毒が消えるのに時間じかんがかかって居るようですね。しかし貴方あなた頑健がんけんですね。毒など微塵みじんも受け付けなかったようですね。」

 それを聞いた潘誕は、枕元まくらもと身体からだを縮めた。

「華鳥様の処置しょちが良かったのです。それにえ、俺の処置が下手糞へたくそだった為に、華鳥様はこのような事に....」

 頭をれる潘誕に、華鳥は笑い掛けた。

「何を言うのです。貴方あなたは私を此処ここまで運んで来て下さったではありませんか。」

 その時、部屋へやの扉が開けられ、女中じょちゅう食膳しょくぜんささげて入って来た。

 さじを手に、食膳しょくぜんかゆをひとくちすすった華鳥は顔をしかめた。

「味が感じられない。まだ味覚みかくがおかしいようですね。それとも、旅先たびさき貴方あなたが作る極上ごくじょうの味に慣れてしまったからかしら...。」

 それを聞いた潘誕は、ちょっと考える仕草しぐさをした後、立ち上がった。

「少しの間、出掛でかけて来ます。夕刻前ゆうこくまえにはに戻ってきますから....」

 飛仙ひせんの店を出た潘誕は、昨日さくじつやって来た道を戻り始めた。

 脚の傷はまだ痛むが、歩行ほこうするだけなら支障ししょうはない。

 歩みを進めながら、潘誕は昨日さくじつ駆け込んだ飛仙ひせんの事を思った。

飛仙ひせんなら、そりゃ俺だけじゃなく誰だって知っている。魏が発祥はっしょうだが、今では蜀や呉だけでなく、はる西域さいいきにまであきないを拡げている大店おおだなだ。華真様と華鳥様が、大きな商家しょうかの出とは聞いていたが、まさか飛仙ひせんだったとは….。お二人共ふたりとも気品きひんが備わっているのも道理どうりだな….。そんな大店おおだなが呉の領内りょうないに構える店ならば、魏といえども簡単かんたんに手は出せないだろうな。」

 そう考えをめぐらしながら、潘誕は二つ目のとうげに差し掛かった。

「確か、此処ここだったな…。」

 そうつぶやきながら、潘誕は街道脇かいどうわきやぶに分け入った。

 昨日さくじつ未明みめい、このとうげまで来た時、やぶの奥に強いけもの気配けはいを感じた。

 しかもかなり大型おおがたやつだ。

 華鳥を背負せおっていた潘誕は、その獣と鉢合はちあわせしないようにと念じながら、気配けはいを殺して此処ここを通り過ぎた。

「だが、今日は違う。是非ぜひお前さんのつら対面たいめんしたくて、わざわざ戻って来たんだよ。」

 そうひとごとを口にしながらやぶき分けた潘誕の直ぐ近くで、大きく藪が揺れた。

 そして、やぶの中から突然とつぜん飛び出して来たけものの姿を見た潘誕の顔に、不敵ふてきな笑みが拡がった。


 夕刻ゆうこくとなり、飛仙ひせん屋敷やしきでは、華鳥の元に女中じょちゅう夕餉ゆうげぜんを運んで来た。

 わんからただよう香りに、華鳥は寝台しんだいから身を乗り出した。

「何とも言えぬ良い香り....」

 華鳥の声に、女中じょちゅうが答えた。

「潘誕様が作ったのです。昼の間ずっと出掛でかけておられたのですが、大きないのししを背にして戻って来られました。そして直ぐに、料理場りょうりばでご自身じしん調理ちょうりを始められたのです。薬草やくそうの粉のようなものを沢山たくさん使っていました。」

 すると部屋へやの外から声が掛かり、潘誕が入って来た。

「前に、野戦料理やせんりょうりいのししをご馳走ちそうするって約束やくそくしてましたね。今日きょういのししを狩って来たんで、其奴そいつ料理りょうりしました。今の華鳥様には、いきなり炒飯チャーハン無理むりなんで、炒飯チャーハン猪肉ししにく一緒いっしょに乳で煮込にこんで柔らかくしてあります。」

 華鳥は、わん中身なかみをひとさじすくって、それを口に含むとゆっくりと眼を閉じた。

美味おいしい...。舌が喜んで居るのが良く判る....。」

 其処そこに、華鳥の祖父そふが姿を見せた。

「いやはや、潘誕様は、蜀軍しょくぐんでも一二を争う武芸ぶげい達人たつじんと聞いておりましたが、料理りょうりの腕も一流いちりゅうで御座いますな。台所だいどころ大騒おおさわぎになっております。皆がこんな美味うまいものは初めてしょくしたと言って...。料理りょうりの香りが店の外にまでただよい、それをぎつけたまち者達ものたちも押し掛けております。わんくばったところ、大変たいへん評判ひょうばんになっておりますぞ。」


 翌日よくじつ、潘誕は華鳥に呼ばれ、書斎しょさいへと向かった。

 書庫しょこには、膨大ぼうだいな数の書籍しょせきが壁の棚に分類ぶんるいされ、保管ほかんしてあった。

 置かれていたのは主として竹書ちくしょだったが、石版せきはん羊皮ようひ記録きろくされた資料しりょうもあった。

れは凄い。いにしえ春秋戦国時代しゅんじゅうせんごくじだい博士達はかせたち文献ぶんけん勢揃せいぞろいではないですか....。れは孫武そんぶ兵法書ひょうほうしょですね。」

 細い竹片ちくへんを糸でつなげた分厚い書籍しょせきの一つを手にして、それに見入る潘誕を、華鳥は興味深きょうみぶかげに眺めた。

「やはり貴方あなたは、単に武芸ぶげいだけのお人では有りませんね。王平様に余程よほど仕込しこまれたのでしょうね?」

 そう言われた潘誕は、視線しせん書籍しょせきに落としたまま答えた。

おもに習ったのは兵法ひょうほうです。最初さいしょにこの孫武そんぶを習いました。『百戦百勝ひゃくせんひゃくしょうは善の善なるものにあらず』というこの部分ぶぶんに、衝撃しょうげきを受けました。」

儒家じゅかなんかも習ったの?」

「まぁ一通ひととおりは....。でもあれはあんまり好きじゃないです。身分差別的みぶんさべつてきな所に抵抗ていこうを感じてしまって...」

 すると、華鳥はにこりを笑って潘誕に同意どういした。

「そうね。私も儒学じゅがくは嫌いです。儒家じゅかではあきないや女性を蔑視べっしするから...。私が好きなのは墨家ぼくか博愛はくあい思想しそうですね。兄の華真は、此処ここにある書籍しょせきは全て読破どくはして、陰陽おんみょう一番興味いちばんきょうみを持ってました。それから天文てんもんをずっと研究けんきゅうしていたようです。」

 潘誕はもう一度いちど、棚に並ぶ書籍しょせきの群れを見回みまわした。

れを全部ぜんぶ読んだのですか...。流石さすがに、姜維様きょういさま一目いちもく置く方ですね。華鳥様も、色々いろいろ学問がくもん精通せいつうされて居るのですね。」

 すると華鳥が、棚の書籍しょせきを眺めながら答えた。

「父が学問好がくもんずきで….。商家しょうか跡取あととりでしたが、書籍しょせき収集しゅうしゅう趣味しゅみでした。此処ここ蔵書ぞうしょは、全部ぜんぶ父が集めたものです。父は今、あきないの為に遠方えんぽうに出掛けておりますが...。そうそう、貴方あなた此処ここに呼んだのは、こんな話をする為ではありませんでした。兄の華真からふみ荷物にもつが届いているので、それを貴方あなたにも見て頂く為です。」

 そう言って華鳥は、竹簡ちくかん風呂敷ふろしき包みを、机上きじょうに並べた。

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