第25話 狼群の頭領

 呉を目指めざす旅に出立しゅったつしてから二ケ月余にかげつよ

 華鳥かちょう潘誕はんたんは、驚異的きょういてきな速さで呉領ごりょうに近づいていた。

 蜀に戻る帰路きろが冬になれば、積雪せきせつで歩みがさまたげられる。

 だからこそ秋が深まりゆく前には、往路おうろでここまで到達とうたつしようと事前じぜんに打ち合わせていた通りの旅程りょていこなす事が出来た。


「華鳥様。あの山を越えれば、いよいよ呉の領内りょうないに入ります。ようやく此処ここまでたどり着きましたな。ただしあの山には山賊さんぞくが多く出没しゅつぼつすると、昨夜宿泊さくやしゅくはくした宿坊しゅくぼう主人しゅじんが言っておりました。油断ゆだん禁物きんもつですね。」

 潘誕の語り掛けに、華鳥もうなずいた。

「そうですね。ここからが難関なんかんでしょう。そうなると、この後は街道かいどうを真っ直ぐ行くより、山道やまみち辿たどった方が人目ひとめに付きにくいかもしれませんね。」

おっしゃる通りですね。多少たしょう歩くには難儀なんぎですが、それがよろしいかと...。」

 こうして華鳥と潘誕は、街道かいどうれて山道やまみちへと踏み入った。

 足元あしもとの悪い山道を、軽い身のこなしで進む華鳥の姿に、潘誕は眼をみはった。

 あの華奢きゃしゃ足腰あしこしで、よくあれ程に悠然ゆうぜんと進めるものだ…..。

 華鳥は、ほとんど道とは見えない獣道けものみちまで正確せいかく察知さっちして歩を進めていた。

 潘誕も山道やまみちにはいささか自信じしんはあったが、流石さすがにこのような真似まねは出来ない。

 何度なんども後ろから進路しんろ指示しじされる中で、潘誕は途中とちゅうからあきらめて、歩みの前を華鳥にゆずった。

「どうして道が分かるんです?」

 後ろからそう問いかけた潘誕に、華鳥は顔を向けた。

貴重きちょう薬草やくそうを手にいれる為には、山の奥の奥や、時には切り立った崖にまでおもむかなくてはなりませんでしたからね。そうした事をり返しているうちに、自然しぜんに身に付いたのです。」

 それを聞いた潘誕は、成程なるほど納得なっとくした。

「そうでした。華鳥様は、お医者様いしゃさまでしたね。しかしこんな山道やまみちをこれほど軽々かるがると進めるとは...。まるで子鹿こじかのようです。」

 それを聞いた華鳥は、思わず笑いを挙げた。

「あはは..。食べる姿を見ておおかみと言い、歩く姿を見ては子鹿こじかですか...。私は、色んなけものに姿を変えられるようですね。」

 それを聞いた潘誕が、あわてたように言った。

「いえ...。いつもたたずんでいらっしゃる華鳥様は、まるで天女てんにょですよ。」

「まぁ、お上手じょうずですね。お世辞せじを言っても、なんにも出ませんよ。」

 そう言いながら華鳥は、ふと足元あしもと獣道けものみちに眼をやると、其処そこに何かを見つけて微笑ほほえんだ。

 そして周囲しゅうい見渡みわたした後、親指おやゆび人差ひとさし指で輪を作ると、それをくちびるに当てて甲高かんだか指笛ゆびぶえを鳴らした。

 それを見た潘誕が尋ねた。

「今の合図あいずは何ですか?」

「私の知り合いが、この近くに来ています。ですから私達わたしたち此処ここにいる事を知らせたのです。」

 それを聞いた潘誕がいぶかしげに尋ねた。

「知り合い?それは誰です?」

 そんな潘誕に向かって、華鳥は笑いかけた。

「ふふ...今に分かりますよ。」


 半刻はんこくあまり山道やまみちを進んだ二人は、やがて山の中腹ちゅうふく草原そうげんに達した。

此処ここで一休みしましょう。呉の領内りょうないに入ったら、何処どこかで街道かいどうに出るようにしましょうか。」

 ひたいの汗をぬぐいながら潘誕が、華鳥に声を掛けた。

「そうですね。呉に入った後、最初さいしょにある大きな町に辿り着ければ、そこに兄からの情報じょうほうを受ける場所ばしょがあります。今日中きょうじゅうにそこまでたどり着きたいですね...。」

 すると華鳥が、表情ひょうじょうを変えて言葉をめた。

 同時どうじに潘誕も、周囲しゅうい異変いへん察知さっちして身構みがまえた。

「何かがせまってくる。れは人の気配けはい。しかも大勢おおぜい....。此奴こいつはおそらく山賊共さんぞくどもですな。四方しほうを囲んで、輪をちぢめて来てる...。大人おとなしく前に行かせてくれる雰囲気ふんいきではないですね。」

 そう言いながら、潘誕は葛籠つづらの横にくくり付けた袋を解くと、中から剣を取り出した。

「俺が前方ぜんぽう連中れんちゅう仕掛しかけている間に、華鳥様は、とにかく前へとけて下さい。それで…。」

 しかし華鳥は、潘誕の言葉ことばさえぎった。

「いえ...、それではかこみを突破とっぱする事は出来できませんね。それよりも気付きづかぬ振りをして、このまま連中れんちゅうを引き寄せるのです。」

 驚いた潘誕は、思わず華鳥の顔を見返みかえした。

「引き寄せる....?。一体いったい何をされる積りなのですか?」


 やがて二人の正面しょうめんに、見るからに悪人面あくにんづらの三人の男が姿を現した。

 真ん中にいた髭面ひげづらの男が、二人を見てにんまりと笑った。

街道かいどうを避ければ安全あんぜんなどとは、考えが甘いぜ。さてずは大人おとなしく背中せなかの荷を下に降ろせ。」

 男の声と共に、草叢くさむらをかき分けて更に十人余りの山賊達さんぞくたちが姿を現し、華鳥と潘誕のまわりを取り囲んだ。

「荷を渡せば、何もせず通してくれるのですか?」

 華鳥の問いかけに、髭面ひげづらの男は鼻で笑った。

「そんなわけないだろう。お前のような上玉じょうだまをこのまま見逃みのがすなど....。こんな良い女は久し振りに見た。」

 首魁しゅかいらしき髭面ひげづらは、華鳥を正面しょうめんからまわすように見ると、舌なめずりをした。

 剣をかまえた潘誕が、華鳥をかばうように、ひたとった。

 そんな潘誕の姿を見た山賊達さんぞくたちは、せせら笑うように前に進み出た。

「おい色男いろおとこ。その女を守ろうとする意気込いきごみはご立派りっぱだが、多勢たぜい無勢ぶぜいという言葉ことばを知らんのか? お前一人で、俺達全員おれたちぜんいん相手あいて出来できると思うのか? さっさと剣を下に置け。大人おとなしく女と荷を渡せば、お前の命は助けてやらんでもないぞ。」

 首魁しゅかい言葉ことばにいきり立つ潘誕の横で、華鳥が髪をき上げながら、にんまりと笑った。

「ふふ...人数だけが全てでは有りませんよ。私達わたしたちを甘く見ないで下さい。」

 それを聞いた首魁(しゅかい)は、あきれたような声を発した。

「お前、血迷ちまよったのか? 自分じぶんが今、どんな立場たちばに居るか判らんのか?」

 すると、華鳥の笑みがいっそう深くなった。

自分達じぶんたち立場たちばが判っていないのは、貴方達あなたたちの方です。振り向いて、後ろを見渡みわたして御覧ごらんなさい。分かりませんか? 自分達じぶんたちそばに何がいるかが。」

 華鳥の言葉に、後方こうほうへと目をくばった山賊達さんぞくたちの顔が引きった。

「な、何だれは。いつの間に....」

 山賊達さんぞくたち後方こうほうには、無数のおおかみの群れが、じりじりと迫ってくる姿があった。

 山賊達さんぞくたちと目があった瞬間しゅんかん狼達おおかみたち一斉いっせいに牙をき、威嚇いかくうなり声を挙げた。

 狼達おおかみたち威嚇いかくを前にした山賊達さんぞくたちの足がすくんだ。

 山賊達さんぞくたちは、華鳥と潘誕を置き去りにして、一目散いちもくさんに山のふもとに向かって駆け出した。

 それ見た狼の群れの一部いちぶ一斉いっせい跳躍ちょうやくし、逃げる山賊達さんぞくたち背後はいごから襲いかかった。

 山賊達さんぞくたち悲鳴ひめいを挙げ、剣を振り回しながら狼達おおかみたちに応戦した。

 しかし狼達おおかみたちの素早い攻撃こうげきさらされて、たちま数人すうにんが押し倒された。

 その時、華鳥が指を唇に当てて、甲高かんだか指笛ゆびぶえを鳴らした。

 指笛ゆびぶえを耳にした狼達おおかみたち視線しせんが華鳥に集まり、ぴたりと攻撃こうげきが止んだ。

 そのすきのがすまいとばかり、山賊達さんぞくたちなかうように坂下さかしたへと逃げ去っていった。


 山賊達さんぞくたちの姿が見えなくなると、狼群ろうぐん今度こんど草原そうげんたたずむ華鳥と潘誕に対峙たいじした。

 狼群ろうぐんの中から、ひときわ大きな白い狼が前に進み出て、二人のそばに近づいて来た。

 それを見た潘誕が剣をかまえて、鯉口こいくちを切った。

 そして華鳥を背後はいごに押しやろうとした時、華鳥が優しい声を発した。

露糢ろぼ、久し振りね。皆元気みなげんきにしていた?」

 白い狼は、甘えるようなうなり声をげると、頭を下げて二人のそばに歩み寄って来た。

 そして華鳥の前に立つと、腰に顔をり付けた。

 白い狼の首筋くびすじを優しくでる華鳥の姿を、潘誕は唖然あぜんとしてながめた。

「この仔達こたちが、先程さきほど言った知り合いですよ。獣道けものみちでこの仔達のふんを見つけたので、笛を鳴らしたのです。この白い仔が、群れをひきいる頭領とうりょうです。私が露糢ろぼと名付けました。」

 それを聞いた潘誕は唖然あぜんとした。

「なんと...狼が知り合いとは...。」

 華鳥に習って、露糢ろぼの顔に手を差し伸べた潘誕に、露糢のそばにいた狼達おおかみたち一斉いっせい威嚇いかくうなり声を挙げた。

 それに露糢ろぼにらみつけるような視線しせんを向けた途端とたん狼達おおかみたちうなり声をめて後ろに下がった。

 露糢ろぼ首筋くびすじをさすりながら、潘誕は感嘆かんたんの声を挙げた。

「狼が人になつくなんて...。こんなの初めてです。どうやってこの狼達おおかみたちと知り合ったのですか?」

露糢ろぼが、熊とたたかって傷つき倒れていた所に、薬草やくそうを探しに山に入っていた私が通りかかったのです。ほら...これがその時の傷です。」

 華鳥が露糢ろぼの腹に手を当て、毛をき上げると、其処そこには大きな傷のあとがあった。

「華鳥様は、この狼の命の恩人おんじんというわけですか...。それでこのように...。いやはや、俺は華鳥様を、おおかみと言ったり、子鹿こじかと言ったりしましたが、やはり狼ですな。しかも狼の女王様じょうおうさまだ。」

「あら...。天女てんにょとも言って下さったではないですか? でも貴方あなた豪胆ごうたんな方ですね。初めて会った露糢ろぼ平気へいきで手を伸ばすなんて...。だから露糢も、貴方あなた敵意てきいを持ってない事が直ぐに分かったのですよ。」

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