第3話

「よう、調子はどうだ?」

 ロウが運ぶスープが、ことりとテーブルの上に置かれる。カラフルな豆類がいくつも浮かんでいる煮豆スープだった。名前は知らないが、緑の葉が上に載せられていておしゃれになっている。

「こんな飾りっているのかよ……」

「文句を言うならやらんぞ」

 ぼそりと呟いた文句を、目の前に立つ地獄耳の持ち主はきっちり聞きとったらしい。その男、カルミネは側にいたロウに何やら耳打ちをする。

「わかりました」

「頼むぞ」

「はい」

 ロウは足早に食堂車を出て行った。

「何を頼んだんだよ、人をパシってたら足が衰えるぞ」

「腕が衰えなきゃいいんだ」

 カルミネは、どかっとイアンの前に座る。

 半袖の白いコック服から伸びた太い腕を組んで偉そうにふんぞり返っているが、実際こいつがいないと乗務員も乗客もなかなかの痛手を被るので、また腹が立つ。イアンと同じブロンドの髪だが、カルミネは癖が強い。短く刈り揃えているにも関わらず、毛先はかすかにカールしている。瞳はグレーで、ぱっちりとした二重が可愛らしい印象を与えるようで、こいつには女友達ガールフレンドが多い。身長も乗組員の中では最も高く、体格もいい。

「次の駅にはいつ着くんだ?」

「さぁな、俺よりもお前の方が詳しいだろ、機関助士」

 カルミネもまた目を細めて、イアンの目線の先にあるオアシスを眺める。

「ここからずいぶん迂回するから、今日の夕方くらいじゃないか? 日の入りまでに到着できれば万々歳ってところか?」

「そんなものだろうな」

 カルミネの鋭い推察にうなずく。

 イアンはスプーンを手に取って、スープをすする。ふわりとした風味が口の中に広がり、ほう、とため息が出た。

「美味いか?」

「美味い」

「天才か?」

「……まあまあじゃないか?」

「もう作らんぞ」

「はいはい、天才ですよっと」

 豆は舌でつぶれるほど柔らかく、これまた美味い。その様子を感じ取ったらしく、

「この前買い込んだひよこ豆だ、だいぶ長く煮込んだからな、美味いだろ」

と偉そうに笑う。

「大量に買っておいてよかったよ、食材がトマトしかなくなるところだった」

「別にトマトも豆も変わらんだろ」

「……お前、味覚生きてるか?」

「生きてるよ!」

 ずず、と、前のめりになった体を引っ込めてスープをすする。カルミネは、ならいい、俺の料理を味覚無しで食うのはもったいない、と、いつもの調子で言う。

「とにかく、急遽違うものを作ったにしては上出来だろ。俺天才」

「違うもの?」

「もともとトマトスープか、トマトをふんだんに使ったミートドリアでも作ろうかと思っていたんだ。だけど昨夜、あんなことがあったから」

「……あんなこと?」

 心当たりがない。

「侵入者を処理したろ?」

「ああ……でも、何でそれがトマトスープを作らない理由になるんだよ」

「お前食えるのか?」

「はあ?」

「あんな間近で血を見て、真っ赤なスープ飲めんのかよ」

「……別に飲めるけど」

 そう答えると、カルミネは呆れたようだ。

「ロウも同じことを言っていた。『別に問題ありません』ってな」

「トマトスープと血は別物だろ」

「いや、そうだけどさ」

 カルミネは納得できていないらしい。

「何か、何かあるだろ」

「さすがにあの直後は無理かもしれねぇけど、一回寝たし」

「寝たら大丈夫なのかよ」

「うん。昨日のことは忘れる」

「……大した才能だ」

「褒めてんのか貶してんのか、どっちなんだよ」

「褒め言葉だよ、素直に受け取れ」

 さぁてと、と、立ち上がったカルミネは伸びをする。

「イアン、次の駅はどれくらい滞在するんだ」

「あそこのオアシスは石炭と水の補充だけだから、一日も停まらないんじゃないか?」

「じゃあ買い出しに備えて、貯蔵庫の点検でもしてくるぜ」

 食器は置いとけ、と言い残して、カルミネはのっしのっしと歩いて行く。大男が歩く度に、かすかに列車が揺れる気がした。

 ゴロゴロ、と鋼鉄の扉を開け閉めする音がして、それからまた静かになる。

「……」

 ずず、と、冷めてきたスープをすする。

 食堂車の隅にある大きな振り子時計の針は、十一時を指していた。

 乗客がここに来て食事をとるのは正午からだから、まだ猶予はある。ただ、イアンはその時間までここでだらだらと過ごす予定はない。

 仕事が待っている。

 空になった皿とスプーンを残して、イアンは食堂車を後にした。




 走っている列車の外壁には、棒がある。屋根と平行に着けられた長い鉄棒は、走行中の列車を移動する乗務員にとって、本当の命綱だ。

 イアンは、作業服の腰のベルトにロープを繋ぎ、その端についているフックを棒に着ける。簡単には外れないことを確認してから、幅十センチ少しの通路に足を載せる。

 ここを進むときのコツは二つ。一つ目は、体重を外側にかけること。通路を歩こうとすれば、ほぼ間違いなく足を滑らせて落ちる。命綱をつけているとはいえ、何かしらの怪我はするだろう。上部の棒に吊るされるように重心を傾けて、棒に引っ掛けたフックを動かしていく。二つ目は。

「よっ……」

 それ以上、命綱をあてにはしないこと。つながっているから大丈夫だ、という慢心は捨てた方が安全のためだ。最終的に頼れるのは、己の手足のみ。イアンは、列車の窓枠にも手をかける。

 仮に命綱が切れてしまっても、落下しないように気を付けながら進んでいく。

 客車を越え、石炭と水を積んでいる炭水車を越え。

「ティム!」

「あっ、イアンさん!」

 運転室の、開け放しなった窓をのぞく。

 そばかすの目立つ、まだ幼い面影を残した青年が振り向いた。その奥にいるジークは、ちらりとこちらを見たきり、またすぐに前へと視線を戻す。

「交代だ」

「はい!」

 まだ機関車に乗り始めて半年ほどの新人機関助士と入れ替わりに、運転席に体を滑り込ませる。

「よっ」

 フックを外せば移動は完了。

「ずいぶん長いこと寝ていたらしいな」

「久しぶりなくらいに」

「おかげで勤務がだいぶ変わったぞ」

 機関士としてブレーキ弁ハンドルに手をかけるジークは、石炭、と短く指示を飛ばす。イアンは大人しく従って、運転席の後方にある石炭取り出し口からスコップで黒い石をすくう。素早く焚口戸を開け、そこに放り込む。

 むわっと熱気が溢れてくるが、これが無ければ列車は走らないのでしょうがない。これで毎回音を上げている時期は、とうの昔に終わった。

 ……だけど毎回思う。

「あっつ……」

「仕方ないだろ、こいつが心臓なんだから」

 全開になった窓から吹き込む風に髪をなびかせるジーク。

「いいなあ機関士は。石炭ぶち込むことなんてないだろ」

「まあな。頑張れ助士」

嫌味はあっさり肯定され、イアンは進行方向から見て右側、機関助士の席に座る。ここらは比較的平坦な道なので、石炭の投入はそれほど忙しくはないだろう。

 それきり、会話はない。

 黙って前を見つめるジークに、ジークの指示で時々石炭を入れるイアン。列車の心臓が鼓動する音と、一面黒の壁をくりぬいて作られた窓の外を流れていく景色。未だ何に使うのかわからないスイッチやレバー、計器類が山ほど設置されている狭い運転席、時折吹きすぎる砂漠の乾いた風。

 ジークは機関士だ。この列車を取り仕切る最高責任者でもあり、権力者でもある。カルミネほどではないが、いい体格をしていて身長も高い。特徴的な赤毛は邪魔になるのか少し後頭部でくくっていて、健康的に日焼けした小麦色の肌をしている。瞳は淡いブラウンだ。作業服姿だが暑いらしく、腕をまくっている。

 もちろん、無数の傷跡が上にある。

「……あの侵入者」

 時計が無いのでわからないが、きっと一時間くらいたったころだろう。ジークがぼそりと呟いた。

「ああ、『ノートル』だったっけ?」

「他の列車でも少なからず被害があったらしい。あの周囲は厳重警戒区域なんだと」

「へぇ。色々やられたのか?」

「さあ。具体的な被害は聞かされていないが、まあ」

「……貧弱だなぁ。舐められてんじゃねぇの?」

「だろうな。真夜中に徐行運転する長い貨物車なんて、格好の獲物だろう。気づかないことも多いだろうし」

 ふう、と息を吐く。

「イアン、ペンダントを持ってるんだろ」

 ぎくりとした。

 なんで知ってるんだ?

「レベッカがな。あいつ、殺した『ノートル』の遺品を持ってるって言いに来た」

「……あいつ、密告チクリ屋かよ」

「お前、それをどうするつもりだ?」

「……」

 言葉に詰まった。別に人に知られて困るようなことを考えていたわけではないが、きっとレベッカの耳に入ると反対される。

 少しの間迷ってから、ジークだし、と思った。

 バレているならどうでもいいや、と、ポケットの中に入れていたロケットペンダントを取り出し、中を開けて突き出した。

「これは……写真か?」

「『ノートル』の兄弟じゃないかって。ちなみに左端にいるのが、たぶん俺が殺したやつ」

 空いている片手でペンダントを受け取り、目の前にかざすジーク。

「……」

「赤い指紋がついてたから死ぬ前に握ってたんだ、きっと。だから大切なものなんじゃないかって思って。次の駅のある町って、『ノートル』がたくさん住んでるんだろ?」

「この写真に写っているのを探そうってか?」

「返そうと思って」

 その、写っている人に。

 大切なものなんだから。

 大切にされていた人が持っているのが、一番いいんじゃないか。

 そう思ったんだ。

「……見つけられなくても、なんか、砂漠に放り投げたくなくて」

「……」

ジークは無言のまま、ペンダントを返してくる。

「……もしかすると」

 眉をひそめ、どこか悲しい表情だった。

「もしかすると、逆効果かもしれないぞ」

「逆効果?」

「……説明は、しにくいが」

「俺は、間違ってる?」

 回りくどい説明は好きではない。なら、直球で聞いたほうがいい。

「……間違ってるか、間違ってないかでさ。教えてよ」

「……間違っては、ない、んじゃないか?」

 珍しく、ジークにしては歯切れが悪かった。

「俺も何が正しいかはわからないが……少なくとも、間違ってはないと思うぞ」

 うん、とうなずく。

「まあ、もしも仮に間違っていたとしても……別に、そんな大した問題じゃないだろうし……そこから、学べばいい」

 またもう一度、ジークはうなずく。

「お前も、俺らも」

 ひときわ強い風が吹く。砂が目に入って、イアンは顔をしかめた。ジークも同じだったらしく、何度か目をこすって、そのまま左手を汽笛ハンドルに伸ばす。

 ぽーと、どこか間抜けな音が列車中に響く。

 スープをすすっていたときははるか遠くに見えていた緑のオアシスが、大きくなっている。

「ここから少し、上り坂が続くぞ。投炭」

「ん」

 がちゃん、と、計器を注視して動くジークの腕。イアンも機関助士席から立ち上がり、スコップを手に石炭を焚口に投げ入れる。

「快晴に追い風」

「到着にあと一時間もかからんだろう。思っていたよりもだいぶ早いな」

 石炭をすくって、投げ入れる。ただ投げ入れればいいだけではなく、ちゃんと熱が均等に生まれるよう計算しなければならない。意外と頭を使う作業だ。

 走行音のピッチが上がる。

「……滞在時間は一日もないぞ。明日の朝には出発する」

「十分だよ」

「手伝おうか?」

「……いや、これは俺がしなくちゃ」

 何を、とは言わないし、尋ねない。

 距離を感じるが、その触れられないジークとの距離感が、確かに安心する。

「……」

 イアンはジークとの間の沈黙と、ポケットの中のペンダントの重さを感じながら、投炭を続ける。

 オアシスが、すぐ目の前にまで近づいてくる。






To be continued

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