星のカケラ列車

雪待びいどろ

Introduction

第1話

 深夜。どこかの地方では『丑三つ時』として、人ならざるものが闊歩するとかしないとかいう、暗い夜の時間。

 荒野を一直線に走る機関車に、警報が鳴り響く。

「うわっ」

 ゴン。

「いってぇっ……」

 列車の低い天井をにらんでも、詫びも何も返ってはこない。

 人間離れしていると言われる反射神経を多少恨みながら、もう一度イアンは起き上がる。車両の異常を知らせる甲高い鐘の音は止む気配がなく、鼓膜を破りにきているんじゃなかろうかと思うほどの大音量だ。

 早朝から仕事のため作業服のまま寝ていたので、こりゃ好都合、ということで部屋を飛び出る。机の上に置いたままにしていた一本のサバイバルナイフも、もちろん一緒に、だ。

 細い廊下を眼前にして、左右を見れば、隣の部屋から飛び出してきたカルミネ、ヴィクトルと目が合う。カルミネはまだ半分寝ているようで、まともに眼が開いていない。

「ヴィクトル、これは!?」

 少し遅れて開いた一番奥の扉。自分たちと同じように部屋から出てきたジークだ。警報のけたたましい音にかき消されない声、焦ってはいるが落ち着いている動き。自分と同じ、機関車にのって一年弱とは思えないなぁ、と、イアンはふと思う。

「貨物車の緊急警報!」

 それと比べると、ヴィクトルの返答は小さく頼りない。イアンですら辛うじて聞こえた程度だが。

「わかった。カルミネ、他の乗務員を連れて客車を守れ! ヴィクトル、イアンとロウと貨物車の確認を! レベッカには連絡と報告を任す!」

 確かに聞き取ったジークは、こちらの車両まで来ていたロウとレベッカを含めた乗務員全員に指示を渡す。

「俺は万が一に備えて機関室に行く!」

 返事は省略して、イアンは駆けだした。

 こういうときに、細い廊下は腹が立つ。すれ違う他の乗務員とぶつかることに舌打ちをしながら、指示を受けたヴィクトル、ロウと貨物車へ向かう。

「多分、第八車両だ。あそこだけ側面に窓がある」

 一歩前を行くヴィクトルが言う。

「積荷は」

「鉄鋼」

「なら大丈夫だな」

 唇を嘗める。

 腰のベルトに突き刺したナイフは、今か今かと出番を待っているようだ。柄にそっと触れてそれをなだめてやる。

「ロウ、貨物車の中を通りながら向かってくれるか」

「はい」

 貨物車には中を通る連絡通路がない。だから移動は、毎回車両の外に出て柵を乗り越え、連結部分を足場にして再び柵を乗り越えて……というように走る列車の上では危険も伴うし、なかなかに面倒臭い。ロウの身体能力なら行けないことはないが、時間がかかる。

「イアン、ロープで先行して該当車両に向かうぞ」

だから車両を越えて移動するときには、外壁に着けられた棒と自分のベルトを繋ぐロープを使いながら行くのが定石だ。だがそれも、早いとは言えない。

「……そんな時間、あるのか?」

「……」

 それはヴィクトルも知っている。苦々しい顔をしているのが証拠だ。

「なら、やることはひとつだろ」

 車両の外に出ると、警報がずいぶん遠くに聞こえる。先んじて柵を越え、器用に連結部分である幅三十センチほどの場所に着地したロウは、再び柵を乗り越えて車両の扉を開け中へ入っていく。

 かちゃ、と、鍵を内側から閉める音がした。どんな状況下であろうと、一両一両貨物車は施錠するのが決まりだ。

 一瞬、ヴィクトルが次の行為を躊躇う隙にイアンは前に出る。

 柵に乗り、足をかけて、大きく跳躍。

 貨物車の屋根に手をかけ、懸垂の要領で体を持ち上げる。

 車内よりも高い場所から見下ろす砂漠は、闇に包まれていた。遮るものが何もないので、風が体に直接吹き付ける。

 舞い上がった砂漠の砂が入らないよう、目を細める。常夜灯に照らされて後方に伸びている車両が光っているが、一部、その光が途切れていた。

「あそこだな」

 ようやく這い上がってきたヴィクトルに確認を取ってから、イアンは走る列車の屋根を走り出した。

 風がごうごうと唸る。風圧でなぎ倒されれば、バランスを崩して確実に転落する。無傷ではいられないだろう。

 だけど、恐怖はない。

「はぁっ……」

「先に行くぞ」

「……ッ、わかった」

 荒い息を吐くヴィクトルに言い残して、先行した。

 暗い貨物車の屋根に到着すると、開け放しになった窓を見つけたので、屋根から降りて壁に貼り付き中をのぞく。

 さらに光のない内部で、影がうごめくのが見えた。

 イアンは音もなく侵入する。

 猫のように足音を殺し、気配を消す。かすかな空気の動きに呼吸を合わせ、闇に体を溶け込ませる。だが、古い貨物車の木張りの床が軋んだ。

 あ、やべ。

「何者だ?」

 影が動きを止め、こちらを見て問いかける。こうなってしまえば気配を殺す意味がない。

「あんたらこそ誰だよ、勝手に人の列車に忍び込みやがって」

 ナイフに手を掛けながら前に出ると、影の姿がはっきりする。闇になれた目が全てを映し出す。

 柿色の服に身を包んだ、体格のいい男たちが三人。みな曲刀を腰に差していて、髪は鮮やかなターバンでまとめていた。彫りが深く、凛々しく太い眉に茶色い瞳。肌は茶褐色。

「ここらに住む原住民ってやつか?」

 三人は目線を交差させ、剣を抜いた。

 なるほどね、それが答えなわけだ。イアンは一気に引きしまった空気を感じる。

「……『ノートル』だ」

「へえ、それってあんたらの盗賊の名前かよ?」

「違う! 我々の家族の名だ!」

 一人がやや訛りのある発音で言う。

「家族……って、血がつながっているってことか?」

「我々はみな、血を分け合った兄弟だ」

 三対一、おおよそ余裕をかませる状況ではないが、いたって冷静で自然体のイアンを見て三人は警戒を強める。じり、と後ずさりして生まれた距離に、イアンは詰め寄る。

「別に何でもいいけど。お前ら、何をしにここに来たんだよ?」

「……これから死ぬ人間に、言う必要など」

 一人が襲い掛かってくる。

 剣を大きく振りかぶり、腹部が空く。

 その一瞬を見切って、前に出る。腰のナイフを流れるように抜いて、男の肝臓を貫いた。それだけでも出血多量で死ぬが、しばらくは動ける。

 というわけで、ナイフから手を離して拳で顎を突き上げる。

「……ぐ…ぅ」

 崩れ落ちる男から素早くナイフを引き抜いて、血に濡れた刃を残った二人に向ける。

「俺さ、お前らよりも背は低いし小柄だけどさ」

 気づいていないわけがない。曲刀を抜いたときの、三者の間で行われた目配せ。小さなやり取り。屋根から聞こえたかすかな物音。

 遅れてきたヴィクトルだ。

 おそらくイアンはさっさと片づけて、戦うか、もしくは逃げようとでも考えていたんだろう。

「……お前らより、確実に強いよ」

 語尾が列車の走行音に紛れて消える前に、二人の男はイアンの手で殺された。

 ヴィクトルが貨物車の中に入ってくる。中の惨状を見て、はあ、とため息を吐いた。

「動いている、しかも国営鉄道の列車に飛び乗るなんて……自殺行為以外何者でもない」

「……死にたかったんじゃねぇの?」

「さぁ、どうだか」

 ヴィクトルは肩をすくめる。

「とにかく、助かったよ。僕は丸腰だったから」

「いい加減、何か武器を買えよ。物騒な仕事なんだからさ」

「こんなことは滅多にないけれどね」

 そのときだった。

 背後の殺気に、ぞわりと背筋が凍る。

 イアンが振り向くのと、曲刀が腕を切り裂くのと同時だった。

「……ッ」

「イアン!」

 ぽた、と赤い滴が床に落ちる。傷口を軽く押さえながら曲刀の主を見ると、先ほど一番初めに殺したはずの男だった。

 腹部から血を流し、顎の骨が外れているのか口は無様に開けたまま。かひゅー、かひゅー、と、聞いているこっちの息が止まりそうな呼吸音だけが繰り返されている。ごぽ、と赤い血が口から溢れる。

「我…が……、か、ぞくの、た……め」

 一歩、一歩、と今にも崩れ落ちそうな体を両足で必死に支え、こちらに向かってくる。イアンは冷静な目でそれを見据えていた。丸腰のヴィクトルに自分の後ろに立つよう、背中に回した左手の指で伝えると、素直に従ってくれる。

 怪我を負っていない右腕で、ナイフの柄に触れる。

「お前……た、ち、こ…ころ……殺す」

 曲刀がまっすぐ、喉元に向かってくる。

 ナイフではじいて、逆に喉元を掻き切る。やることは単純だ。

 曲刀の先を捉えたとき、イアンの脳裏で記憶が弾ける。




『私たちは、大切なもののために戦うんだ』

『だからイアン、お前も大切なものを見つけろ』

『そうすれば、多少はマシに生きていけるさ』




 自分の命を懸けてでも護りたいものがある。

 ふらふらの脚で、それでも戦おうとする目の前の彼は、あの人と同じだった。

 頭がそうやって過去に引き戻されても、体は現実に生きていたらしい。気づけば、相手は死んでいた。急所の喉元を完全に切られて、口から赤い泡を吹いている。痙攣しているが、じきに止まって、ぴくりとも動かなくなった。

 地面に落ちた曲刀、力のない腕。

「死んだね」

 躊躇なく死体の腕に触れたヴィクトルが、脈を確認したらしい。

「とりあえず、止血」

「……おう」

 投げられた白いハンカチで、腕の傷を押さえる。

 痛い。

 でも慣れたものだ。痛みも、その他も。

 車両の前方にある鋼鉄の扉が、ゴロゴロと音を立てて開く。姿を現したのはロウだった。白いネグリジェの裾が、赤く染まっている。

「道中、二人ほど」

 ヴィクトルの問いに答えたロウは、頬に飛んだらしい返り血を拭う。手も血まみれだったので、結果的にもっとひどくなった。

「怪我は」

「ありません」

「死体は」

「もう捨てました」

 ふいっと列車の外に目を向ける。その瞳に光はない。底なしの闇のようだ。

 まあでも、お互い様か。

 車内に視線を戻したとき、床に投げ出されたネックレスを見つけた。首紐は白い糸で出来ていて、細かな模様が描かれている金の楕円がついている。アクセサリーにしては大きく重い。誰のものかはわからないが、血まみれの手で最期に握ったのだろうか、指紋が見えるほどにくっきりと赤い跡がついていた。

 何ともなしに、拾い上げる。

 いつもなら死体と一緒に置いておいただろう。

 だけども一瞬とはいえ思い出に浸ったからか、イアンはどうしても放っていく気にはならなかった。

 そっとズボンのポケットに入れる。

 目を見開いたまま絶命している死体を一瞥して思う。

 彼にとっての、大切なもの、だったのかな。





 大陸を統治する超大国、星国せいこく。無数の民族が暮らすこの国は、黄道の星座になぞらえて十二の地区に分割され、自治が行われている。いつしかその地区ひとつひとつが小国のようになり、地区の行き来にはパスポートやビザといったものが必要になった。

 だが、星国全土を移動できる唯一の交通機関『星国環状鉄道』の専属乗務員は例外。

 専属乗務員は、およそ三ヶ月かけて全土をまわる機関車と二十四時間三百六十五日を共にして旅をする。

 雨の日も、風の日も。

 晴れの日も、虹の日も。

 これからの未来に思いを馳せる日も、昔を思い出す日も。

 専属乗務員は、列車に乗って旅をする。

 






To be continued

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