右手の君へ
乙川アヤト
一
7月20日(水)
今日は一日中ずっと雨がふっていた。まだ梅雨が続いているのだろうか。お父さんとお母さんはまだやらなくてはいけないことがあるからと二人とも僕を部屋において出ていってしまった。二人とも顔色がよくなかった。ボクは鏡でみてもいつもと変わらないように見えた。
ほんとうは夏休みは明日からなのだが、今日はおやすみをもらって、家族といっしょにすごしてくださいと小林先生は言っていた。いつもどなり気味の小林先生の優しげな声はめずらしかった。一人でいてもすることがない。ひまだ。こうやって夏休みの日記を書いてるけど、今日の分を書き終わってしまうと、明日の分が書けるわけではないのだ。
ゲームでもあればいいのに。そうだ。そういえば最近クラスでスイッチがはやっている。女子までいっしょになってやっている。ボクもほしいけど、きっとお父さんにおねがいしてもだめなんだろうな。ボクはいつだってガマンをしなくちゃならない。もう五年生のお兄ちゃんだから仕方ないんだけどね。
7月21日(木)
お父さんとお母さんと話をした。二人ともやっぱりまだ暗い顔をしていて、料理も喉を通らなかったみたいだった。まああの料理はボクもあんまり好きじゃない。なんていうか味気ないのだ。見た目もあんまりおいしそうじゃない。
お父さんはボクに「こういうときこそ日記を書きなさい」と言っていた。きっと夏休みに子供が机に向かっている姿が見えないと心配なのだろう。そんなことを言われるとむりやり書かされているみたいでちょっとやる気がなくなる。
おかあさんは夕飯に僕の大好きなオムライスを作ってくれた。ゴロゴロチキンがたくさん入っていて、食べごたえがあった。
7月27日(水)
フシギなことが起きた。はじまったのは昨日の夜からだ。右手がなんだか重たかったのだ。食事中はお箸を何回も落とすし、ハミガキもうまくできなかった。お父さんは心配そうにボクの顔をのぞきこんだり、おでこに手を当てたりしていた。お母さんはハミガキをしてくれた。そして自分の部屋のベッドに入るときにはもう全く動かなくなっていた。
そして今日になって自分の部屋で目が覚めてみると、動かなかった右手が動くようになっていた。でもそれはボクが動かしているんじゃなかった。右の手のひらはコブシをつくったり開いたり、指を順番に折り曲げたり、ピースしてみたり。まるで別の生き物が手首から上にくっついてしまったようになっていたのだ。
その生き物は、次にボクのことを確認するようにベタベタとあちこちをさわってきた。手首から上に別の力が入ると、ウデ全体の力がそれに引っ張られてしまうように感じた。
ボクはこわくなって布団から出ようとしたけど、そいつにいきなり口元を押さえつけられて、ボクは動けなくなった。とにかく起き上がろうとしばらく左手でそいつを押さえつけてやると大人しくなった。どうやら力の強さも手首から上の分だけらしい。
お父さんとお母さんには言えなかった。これはなにかとっても悪いことで、それが二人をとても悲しませることになる気がする。ボクが自分でこいつをなんとかすればいいんだ。
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