となりの席の子が僕の黒歴史小説の読者なのだが
三瀬川 渡
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冷たい春の雨が降りしきる中、入学式は粛々と進行していく。
しかし、たとえ雨による洗礼を受けたところで、高等学校の入学式という記念すべき日を迎えた新入生の僕らの浮き足立つ心を沈めることはできないだろう。
新しい生活への期待と不安が入り混じる僕は各々が属する教室へと足を運ぶ。
既にクラス内は同じ中学出身の人達でまとまって喋っていたり、意を決して知らない人に話しかけたりと落ち着かない雰囲気で満ちていた。
僕の名前は
あまり活動的ではない内向的な性格といかにも卑屈そうな容姿を併せ持つ陰の者である。
少し遠めの高校を選んだこともあり、クラス内に知っている人は居ないようだ。
ほっと息をつきながらちらりと周りを見渡すが、名前の順によって定められた席は前後左右共に女子であり話し掛けるのは憚られる。
だが、少しでも行動しなければ新たなコミュニティではやっていけないだろう。
覚悟を決めて話しかけるべくスマホを弄る隣の席の女の子の方を向いて口を開いた。
「これからよろしくね」
「……よろしく」
相手の反応次第で出身校聞いたり自己紹介をしようかと思っていたのだが、隣の子は真剣な面持ちでスマホの画面を見ており、続く言葉が何一つ出てこなかった。
一人で居るのが好きなタイプなのかもしれないし、そっとしておこう。
ファーストコンタクトの失敗は僕のなけなしの勇気を消し飛ばし、続けて他の生徒へと話しかける気力を根こそぎ刈り取っていった。
程なくして担任の先生が教室に到着し、そのままの流れで自己紹介をすることとなった。
黒縁眼鏡を掛けた長身の男性で、やや気怠げな様子で黒板に大きく自己紹介と書き上げた。
「自分の名前の他になんか一言、まあ特技や好きなことでも付け加えるよーに。将来の夢でも何でもいいから」
ちらりと手元の紙を見ながら言っていたので、恐らくそういう決まりなのだろう。
順々に始まる自己紹介が右から左に抜けていきそうなのを必死に頭の中へ詰め込みながら、当たり障りのないアピールを考えようと思いを巡らせる。
それにしても特技や好きなこと、将来の夢、……将来の夢か。
中学生の頃はあった。
確かにあったはずなのだ。
中学生の時の僕は物語を書くのが好きで、将来はそういった仕事を志していた。
だが、それは無理だと諦めてしまった。
自らの限界を感じ、心が挫けた。
いや、違うな。
ちょっと美化し過ぎたか。
世が世なら歴史に名を残しかねないレベルの黒歴史小説を小説投稿サイトにアップしてしまい、数え切れないほどの批判と罵倒を受け、恥ずかしくなってしまったのだ。
ただ単に覚悟が足りていなかっただけのこと。
あ、やば、次僕の番だ。
焦りを隠して立ち上がり、思案定まらぬ頭で自己紹介を始める。
「黒羽玄と言います。えっと……」
何か、何かひと言。
特技?趣味?夢?
慌てた僕は直前まで考えていた単語がつい口から零れ落ちる。
「小説……を読むのが好きです」
それだけ言って静かに席に座る。
ああもう、ゲームとか漫画とか当たり障りないことを言うつもりだったのに。
終わってしまったものはしょうがない。
気持ちを切り替えて少しでもクラスメイトの顔と名前を頭に入れなければ。
自己紹介が行われる度に頭の中で名前を反芻し、記憶に刻み付けていく。
何度かそれを繰り返していくと、僕が最初に話しかけた隣の席の子の番となった。
胸元まで長さのある髪をほとんど揺らすことなくすっと立ち上がった彼女はぐるりと軽く教室内を見渡した。
あの時は割と必死だったので気が付かなかったが、よく見れば目鼻立ちの整った女の子だ。
肌は白く髪も心なしか灰色に近い黒であり、全体的に色素が薄いような印象を受ける。
もしかしたら、インドア派であまり外に出ないのかもしれない。
彼女は抑揚が無いにも関わらず教室内によく通る声でその名を告げる。
「四條
ええっと四條、……さんもどうやら小説が好きらしい。
また話すことがあればどんな小説が好きなのか聴いてみるのもいいかもしれない。
「特に好きな作品は昔WEBで掲載されていた『ジャッジメント・オブ・ダークネス・ジャスティス』という小説」
続く補足において、とんでもない発言が飛び出した。
『ジャッジメント・オブ・ダークネス・ジャスティス』……?
ぼ、僕の黒歴史小説じゃんッ!?
その忘れがたき単語は過去のトラウマを否応なしにフラッシュバックさせる。
『さっさと消せ』
『凄いな。猿がタイプライターで書いたのか?』
『人類文明の敗北』
『なんでこんなものを公開しようと思った』
『直ちに禁書にすべき』
『脳が破壊される』
『イカれてる、イカれてる、イカしてる、イカれてる』
『神への冒涜』
どこかのまとめサイトにでも取り上げられたのか、連日の如く低評価と共に批判的なレビューが付いた。
ごく稀に有った陰ながら応援しているという旨の投稿を心の支えに中学1年の冬から中学3年の夏まで描き続け、最終章に入る直前で心が折れて筆を折った。
落ち着きかけていた心の均衡を崩され、心がぐしゃぐしゃになりそうになる。
あの作品は僕にとって忌まわしき過去なのだ。
続く自己紹介が耳に入らず、茫然自失の状態で時が過ぎていく。
自己紹介が終わり、教科書などの必要な教材の購入を終えるとそこで解散となった。
気付けば教室内に人は
やってしまったものはしょうがないとポケットからスマホを取り出すが、物書きだった頃の癖かスマホを開くと無意識のうちにメモ帳アプリを起動してしまう。
先刻聞かされたせいか、もはや懐かしさすら覚える黒歴史小説の項目を広げて軽く流し読む。
「あなた、それ『ジャッジメント・オブ・ダークネス・ジャスティス』でしょ」
突然後方から声をかけられ、心臓が口から飛び出さんばかりに大暴れする。
迂闊。
背後に人が残っていたなんて。
弾かれたように振り向くと、僕のトラウマを掘り起こした張本人である四條雪がそこに居た。
「付け加えるなら、第一章†聖なる正義の犠牲† 【セイクリッド・ジャスティス・サクリファイス】の1ページ目よね」
付け加えるな。
よりにもよってこいつに見つかってしまうとは。
何と言い訳をすれば良いか惑い口を閉ざす僕に対し、先ほどの抑揚のない声で行われた自己紹介とは打って変わった感情が昂ったような声で言葉を投げ掛け続ける。
「あなたも同志?その小説はWEBから削除されてしまっているから、今読み始めたばかりとは考えにくい」
確かに既に投稿サイトからは削除してしまっているので、今手元に残ってしまっている以上は何も知らないは通らないか。
「私にとって『ジャッジメント・オブ・ダークネス・ジャスティス』はまさに聖典」
聖典言うな。
「私はこの聖典を全世界に広めたいと思っている」
や、やめろおおおお!!!
とんでもない発言を受け、僕は思わず口を開く。
「さ、作者の人そんなこと望んで無いと思うよ」
「鹿跳苦路先生本人に聞いてみなければわからない」
もっとも、小説投稿サイトのアカウントは既に削除してしまっているが。
「作者自身がその作品を消しちゃったのなら、あまり話題にして欲しくないんじゃないかな」
慎重に言葉を選び、今の思いの丈をなんとか四條さんに伝えようとする。
その言葉に対して彼女は何かを思案するように顎に手を当てて考え込む。
「あなた、まさか──」
まずい。
体温が急激に下がるのを自覚する。
作者であると気付かれた……?
やばい、やばいやばいやばいやばい。
「まさか──アンチか?」
作者である僕、アンチと間違われる。
ひとまず作者とバレた訳ではないようなので心の中で息を撫で下ろした。
となりの席の子が僕の黒歴史小説の読者なのだが 三瀬川 渡 @mitsusegawa
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