第82話

「まだ‥‥‥‥傷は癒えて‥‥ないよね?」


 順ちゃんのことだとすぐに分かった。私はしばし俯いた八神さんを眺めた。


「もし‥‥癒えてなかったら今日もお断りしてましたよ」


 それを聞いて八神さんはスッと顔をあげる。表情に店内とは別の光が射し込んだ。ただ次の言葉はなかなか出てこなかった。何か考え込んでいる様子だ。




「じゃ、改めて言わせてもらうけど、良かったら俺と付き合ってくれないかな?」


 瞬きもせずに私をじっと見つめている。あれから三年も経っているのにまだ。そう思いつつも私はつい下を向いた。



「そう‥‥か」



 八神さんはそれを見て言葉をため息と一緒に吐き出す。直後、今度は私が姿勢を正して八神さんをじっと見つめた。




「その話‥‥‥‥お受けさせていただきます」


 八神さんは「え?」という表情のまま、しばし口を開けたまま動かなくなってしまった。やがて人間らしさを取り戻したかのように、気持ちが顔に戻ってくる。大きく息を吐き出した。自然と出る笑いが抑えられない感じだ。何度も笑いながら顔を振る。私もこの時を待っていたのかもと笑顔を溢れさせた。





―――「初めて『花梨』で川島さんを見た時だったかな。直感で思ったんだ。俺はたぶん好意を持ってるって。もちろん川島さんにってことだけど」


 帰りの車の中で前を向きながら八神さんは口を開いた。


「それって、凄くいい口説き文句みたい」


「口説き文句ってかっこいいもんじゃないんだけどね」


 穏やかに八神さんは笑った。


「それで川島さんが居る日曜とかに。ま~、おまけみたいな奴も一緒だったから誤解されたんだろうけど‥‥」


「彼女じゃないんですよね?」


 以前と同じ問いかけに八神さんは笑い出した。


「彼女が居て付き合ってくれなんて言えないだろ」

「中にはそんな人もいるみたいですよ。それに―――」


 お道化た調子の後で私は声のトーンを落す。


「私が見る限りでは、あの人は八神さんのことを好きなんじゃないかって」




「‥‥わかってる」


 そう言ってから八神さんは車を道路の端に寄せハザードランプを点けた。そして窓を開け煙草に火を点ける。パチンという音が車内に聞こえた後、外に向かって煙を吐き出した。


「彼女のことを話しておかなくちゃいけないな。彼女‥‥村上聡子むらかみさとこって言うんだけど、幼馴染でね。昔‥‥もうずっと前の話なんだけど好きな人が出来て、付き合ってくれって今日みたいに申し込んだことがあってさ。そうしたらその相手の子に暴走族の彼氏が居たっていうのか。突然呼び出されて袋叩きになるところだったんだよ。それを止めたのが聡子で―――。聡子は今でこそ白衣の天使みたいになってるけど、当時は髪も真っ赤でさ。レディースの頭みたいなことやってたんだよ。それで族のリーダーに掛け合って事なきを得たんだけど、それから俺も聡子には借りがあるっていうのか―――」



 二人の間にそんなことがあったのかと私は黙ったまま聞いていた。

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