03 風雲

 さて、これまで少なくとも表面上は順調であった宇喜多直家の人生に、暗雲が差す。

 それは風雲とも呼ばれる。

 備前の北、美作を、備中の戦国大名・三村家親が攻め寄せたのである。

 元々、三村家親は、当時中国地方で急拡大を遂げた毛利元就もうりもとなりと手を組み、備中を制圧し、備前へと触手を伸ばしていた。その過程において、あるいは据え膳とばかりに美作へと兵を向けたのである。

「毛利の殿より、切り取り次第じゃと言われておる」

 そううそぶいた家親は、みるみるうちに美作を席捲し、美作の諸城を力押しに押しまくった。

 これを憂慮した浦上宗景は、宇喜多直家に家親の排除を依頼した(もはや、「命令」というには直家に勢力は巨大なものになりつつあったため、「依頼」である)。

 直家としても否やはなく、この機に美作における己の勢力を確かなものにするため、三村氏の効率的な排除を計画した。

 それが、冒頭の遠藤兄弟による狙撃暗殺である。

「火縄は、面白い」

 直家は新しいものにこそ、若い自分の可能性を広げてくれる何かがあると睨んでいた。

 そこで、手に入れた鉄砲を手に日夜奮闘し、ついに火縄の画期的な使用法を思いついた。

「撃て。物陰から」

 直家は遠藤兄弟にそう指示した。

 豪将として知られる家親は、必ずや野外で床几に座り、あるいはそれに準じる環境で軍議に臨むであろう。

「そこを撃て。物陰から」

 直家の思いつきは、鉄砲狂いである遠藤兄弟にも受け入れられ、彼らは嬉々として、しかし確実にそれを遂行する。

 狙撃には成功したものの、三村親成の機転によりなかなか露見しなかった。


「確かに撃った」

「信用していないわけではない」

 ただ、三村家の反応が無いのだ、と直家は軽挙を慎んだ。

 しかし、三村家の心胆を寒からしめることには成功したらしく、三村家は備中へと撤退していった。

「…………」

 事態の推移を見守る直家が、ようやくにして遠藤兄弟の功を認めたのは、三村家が家親の「病死」を公表した時のことであった。

「でかした」

 直家は遠藤兄弟に「浮田」姓を名乗ることを認め、知行を与えた。敢えて成功を確認するまで褒賞を施さなかったのは、遠藤兄弟への「再依頼」の可能性も考慮していたからだ。

 そして今、遠藤兄弟を一門扱いにして召し抱えたことにより、直家は「いつでも撃つ」という無言の圧力を周囲に向けた。

 ……これにて、宇喜多直家は着実に戦国の雄として名を上げ、その覇道は順風満帆――かのように見えた。


「機に乗じる」

 直家は、当主を失って動揺する三村家と備前の状況につけこみ、備前明善寺へと侵入、橋頭保としての城を築き上げた。

 その城の名を、明善寺城という。


 ――この物語は、その明善寺城をめぐる、宇喜多直家の合戦の物語である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る