劇作家レスター
求婚の手紙は、アイラ家を激震させた。もちろん怒りでだ。
父のアルフレッドは手紙を破りかけたし、母セルマはアイラの私設騎士団の元へ走りかけた。
エルベールの首を持ってこい、じゃない。
フォルジュ家には正式な抗議の文を出すことになったが、アルフレッドが少し、訝しむような顔をしていた。
学期末パーティーでギルバートが裁かれたことについては、特に隠してはいない。裁判で罰が決まれば国外に向けて発表する用意もある。
だが、それにしても情報が伝わるのが早い気がする、と。
「怪しい動きがないかどうかは、こちらで調べよう。とにかくヴィクトリアは、婚約者が内定していることを知らしめるために、リアムと出かけてくるように。開く予定だった夜会も、少し規模を大きくしよう」
そう言われ、ヴィクトリアたちは再び劇場に足を運んだ。ちょうど劇団の団長から、取次を頼んでいた劇作家が来ているという知らせが届いたからでもある。
せっかくなのでユージェニーも連れてきたが、今回はヴィクトリアとリアムの関係を見せびらかさなければいけないため、観劇する席は別の場所を用意した。
リアムは普段着ている従者服ではなく、きっちりとした礼服を纏ってヴィクトリアをエスコートしている。
演目は前回と同じなので、ヴィクトリアたちは隣り合って座り、ゆったりとお喋りを楽しんだ。リアムはやはり、緊張で落ち着かない様子ではあったが。
見逃していたクライマックスシーンも見ることができ、ボックス席を出た所で話しかけてきた貴族たちにリアムを紹介して、ヴィクトリアとしては満足のいく流れだった。
しかしトラブルは、まったく別の所で起きていた。
公演が終わり劇場のホールへ戻ると、ヴィクトリアたちを待っていたユージェニーが言い寄られていた。
遠目に見ても困っているのが分かる。ヴィクトリアは品が損なわれない程度に足を早めて近づいた。
「人を待っているだけですの。お誘いはありがたいですが、お断りさせていただきますわ」
「そうおっしゃらずに。せめてお名前を呼ばせては……」
「申し訳ありません」
ほかの客たちも二人のことを気にしている。好奇心と少しの心配が含まれた視線が集まっていて、ユージェニーは居心地が悪そうだ。
ヴィクトリアは声をかけようとしたが、ユージェニーたちを挟んで向こう側から歩いてくる男性を見て、すっと口を閉ざした。
「失礼。そちらのお嬢さんが困っておられるようですが、何をなさっているのでしょうか?」
随分と背の高い、少し髪のぼさついた男だった。騒ぎを遠巻きに見ていた令嬢たちが、少し悩ましい顔をする。目鼻立ちは悪くは無いが、見た目に頓着がないようでどこかくたびれた印象を受ける。
「な、なんですか。無関係の人は黙っていてくれませんか」
「この劇場の関係者です。ホールで問題を起こされると困るんですよ」
ぴしゃりと跳ね除けられ、ユージェニーに言い寄っていた令息は気まずそうに顔を俯かせた。
立ち止まって様子を見ていたヴィクトリアは、もう大丈夫だろうと再び足を踏み出した。
「彼女はわたくしの客人ですわ。何かご用でしたら、アイラ家を通してくださる?」
ヴィクトリアが割って入ると、令息はぎょっとした様子だった。後ろに控えているリアムをちらっと見て、すぐに視線を落とす。
「……これは無礼をいたしました、アイラ公爵令嬢。寛大なお心でお許しください」
「許すわ。けれどすぐに立ち去りなさい」
「かしこまりました。失礼いたします」
令息が逃げるように劇場を出て行ったのを見送る。ユージェニーがほっと息をついた。
「ユージェニー、大丈夫?」
「ええ。ありがとうございます、ヴィクトリア様。それに、」
ユージェニーは傍に立ったままの男性に礼をした。
「助けていただき感謝いたしますわ」
「いえ、当然のことをしたまでです」
背の高い男性は首を振り、ヴィクトリアに向かって頭を下げた。
「お初にお目にかかります、アイラ公爵令嬢。レスター・クリーズと申します」
「まあ、あなたが」
劇場の関係者とは言っていたが、まさか会いたいと希望していた劇作家本人だったとは思わなかった。
「友人を助けてくれてありがとう、クリーズ伯爵令息。彼女はユージェニー、デラリア伯爵家の令嬢ですわ」
「改めて、ユージェニー・ソマーズ・デラリアですわ。クリーズ伯爵令息のお噂は伺っております」
レスターは照れたようにはにかんだ。
「もったいないお言葉です。アイラ公爵令嬢をお出迎えにと思って出てきたら、無作法な者がいましたので、つい声をかけてしまいました」
応接間に移動することになり、ヴィクトリアたちは劇場の舞台裏へ案内された。
様々な衣装を着た役者や、大きな荷物を抱えて走る人たちとすれ違い、通されたのは狭いなりにも質の良い調度品でまとめられた部屋だ。ヴィクトリアは何度か訪れたことがある。
「劇団の者は次の公演準備で忙しくて、十分なおもてなしができず申し訳ありません。俺も従者を連れ歩かないもので……」
慣れない手つきでお茶を準備しようとしたレスターを、リアムがやんわりと止めた。レスターの握る匙には、明らかに多すぎる量の茶葉が盛られている。
「私がやりますので」
「いやしかし」
「ヴィクトリアお嬢様にそれを飲ませるわけにはいきません」
「つくづく申し訳ない……」
すっかり恐縮してしまったレスターを座らせ、ヴィクトリアは微笑んだ。
「わたくしのリアムは、お茶を淹れる腕がとても良いのです。どうぞ味わってくださいな」
「お気遣いをありがとうございます」
ようやく落ち着いた応接間で、ヴィクトリアは本題を切り出した。
「さて、クリーズ伯爵令息。団長からはどこまで話を聞いているかしら?」
「どうぞ、レスターと。アイラ公爵令嬢が、俺の脚本を気に入ったので話したい、と申し出てくださったと聞いております。慌てて王都から飛んで参りました」
そうおどけてみせたが、レスターは目に見えて緊張していた。
「さまざまな分野に精通し、気に入った者には分け隔てなく支援をするご令嬢の話は、芸術の世界にいれば誰もが知っています。女神とさえ呼ぶ者もいるのですよ。でもまさか、劇作家の俺にまで目を向けてくださるとは」
きらきらとした目を向けられて、ヴィクトリアは苦笑する。
「女神は言い過ぎではないかしら」
「私は気持ちがわかりますわよ、ヴィクトリア様。本当にあの時は、天から救いの手が差し伸べられた心地でしたもの」
ユージェニーがレスターに理解を示した。二人の視線がぶつかり、ぱっと表情が華やぐ。
「そうでしょう? 売れない芸術家や職人は、どれだけ素晴らしいものを作ろうと、生活が苦しいことも多いのです。そういった者たちからしてみれば、芸術の女神アルポリアの化身のようなものですよ」
「そうでしょうね。しかもヴィクトリア様の審美眼は本当に素晴らしいですから。絶対に価値を見抜くとなれば、見出された者には栄光の道しかありませんわ」
何故だか二人で盛り上がっている。ヴィクトリアは大きく咳払いをして会話を止めた。
「恥ずかしいからやめてちょうだい。とにかく、レスター卿。わたくしとしては作品作りの援助と、宣伝の手伝いを考えているのだけど、どうかしら? 実は、少しあなたに手伝ってほしいことがあるのです」
平民の職人ならば生活の支援をすることもあるが、レスターは貴族なのでそこまでは必要ないだろう。もちろん、他に必要なことがあれば全面的に応援するつもりだ。
そしてもう一つ、ヴィクトリアには目的があった。リアムとの関係を、広く知らしめる手伝いをしてもらいたかったのだ。
名の売れ始めた劇作家が、脚本の題材としてヴィクトリアたち主従の恋愛模様に着目している、という噂でも流れれば、貴族たちはこぞって話題にするだろう。根回しとして噂を流したいのなら、出所は複数個所あった方が真実味が増す。
そう考えて申し出たヴィクトリアだったが、その返事は予想外のものだった。
興奮していたはずのレスターは、すっと表情を暗くして頭を下げた。
「それなのですが……、大変光栄なお話ではあるのですが、どうか断らせてください」
「え?」
「ご理解ください。俺には……、アイラ公爵令嬢の支援を受け取る資格がありません」
苦しそうに、そしてどこか自分を責めるような顔で、レスターはそう言い切った。
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