現実は甘くない

「こんなのおかしいっ!」



 キンキンと甲高い声が講堂に響いた。


 半分忘れられていたけれど、ポーラがまだ元気にしていたのだった。


 さっきまでは状況が把握できず口が挟めなかったようだったが、ギルバートが心折れたのを見て耐え切れなくなったらしい。


 ドレスのレース部分をぎゅっと握り締めて、挑むようにヴィクトリアを睨み上げている。



「ヴィクトリア様は一体何をしたんですか!? 王太子様や先生たちまで騙して、こんな酷いことを……!」


「……呆れたわ」



 いったい何の根拠があるのかは知らないが、ヴィクトリア一人がこの状況を作ったと思っている時点で救いようがない。


 講堂のあちこちから失笑が漏れて、ポーラはびくりと体を揺らした。



「な、なんですか。だって、あたしたちが退学になるのも、ギル君がこんなに悪く言われるのも、おかしいじゃないですか!」


「だからって、わたくしが何もかもを仕組んだというの? あなたにとっては残念なことでしょうけれど、我がアイラ公爵家には王家を意のままに操る力なんてないわよ?」



 ポーラの主張は、ヴィクトリアではなく王太子をも、面と向かって侮辱するのと同義だ。


 グレアム王太子にじろりと睨まれて、ポーラは混乱したようにあちこちを見渡した。


 今、彼女たちの周囲にいるのは、同じように退学を宣言された十数人の生徒たちのみ。関係のない生徒は遠巻きに事態を眺めている。


 そして、ポーラのために声を上げてくれる者は誰もいない。関係のないものはそのまま関わらずに済ませたいだろうし、退学になった者は自分の境遇を嘆くのに忙しい様子だ。


 この場では退学の宣言、ヴィクトリアの婚約とリアムの契約の破棄だけをする予定だった。退学者を退場させ、その後は従来通りにパーティーに移行する流れだ。


 ポーラが黙っているわけがないというのは、もちろん分かっていたことだが。



「でも、あたしたちは何もしてない!」



 自分が正義だと信じて疑わない、まっすぐな目。だが、その裏には不安がちらついている。


 必死に見ないようにしているだけで、もう取り返しがつかないところまで来ているのだと、心のどこかで感じているのかもしれない。



「何もしていない? 驚いた。自分が何をしたかも分かっていないの?」


「……あたしとギル君が、愛しあっているから? だからその仕返しに?」


「愛人との浮気なんて、大したことではないわ」



 ヴィクトリアとギルバートの間に愛情があったのなら、ポーラとのことも怒りを覚えただろうけれど。



「じゃあ、あたしが平民だったから? だから差別するんでしょう!」


「いいえ。あなたを貴族と思うからこそ、罪に問うのよ」



 平民が理想を語ったところで、何が罪になるだろう。裕福な貴族のお金が欲しいと、声に出して願ったとして、まったくだと笑って同意されるだけだ。それらは叶わない願望でしかないのだから。


 だが、今のポーラは貴族だ。



「罪? そんなの……」


「リアムが証拠を集めてくれたのよ。お陰で国王陛下も、あなたたちのクーデター計画を理解してくださったわ」


「……クーデター?」



 ぽかんと口を開けた間抜けな顔。



「随分とお粗末な計画だったけれど、国を乱そうとしたのは事実。下位貴族が第三王子を旗頭に、筆頭貴族たるアイラ公爵家を乗っ取って資産を奪い、既存の権力構造を崩壊させようとした。これがクーデターでなくて何だと言うのかしら」



 リアムの証言で、ポーラがそこまで考えていないのは知っていた。


 ただ、アイラがたくさんのお金を持っているのなら、それを配ってもいいだろうと、実に子供らしい発想をしていただけだ。


 だが、それを実行できてしまうギルバートが傍にいたから、現実味のある計画として立ち上がってしまった。デリックの入れ知恵があったことも確認している。


 そして、彼らが実際にアイラ公爵家の金を横領した事実がある以上、もう言い逃れはできないのだ。



「ち、違う! 違います! あたしたちはただ、困っている人たちを助けたいだけ! 家を継げなくて卒業後は生活できなくなる人とか、毎日働かなきゃ生きていけない平民とか! あたしは平民だったから、その苦労を知ってるんです!」



 我に返ったポーラは、ようやくここで慌て始めた。王太子や周囲に向かって弁明する姿は滑稽だ。


 ヴィクトリアは頬に手を当てて、わざとらしくため息をついた。



「苦労だなんて。あなたはそれなりに裕福な暮らしをしていたと聞いているのだけれど」



 平民だったと言っても、彼女の家は従業員を複数人雇えるほどの商店だった。それも、王都の中心街で暮らしていたのだ。庇護される年齢の子供だったことも踏まえると、彼女が言う苦労など笑える程度のものだったはずだ。


 それこそ、スラムで生死の狭間にいたリアムとは、比べるべくもない。



「で、でも! お金をたくさんあるところから、持っていない人たちに平等に分配するのは悪いことじゃない!」



 苦しげに顔を歪めながら、ポーラは強く言い切った。


 貴族としての教育を受けているのなら、そのような考え方にはならない。実に簡単な、義務と権利の理屈だというのに。



「どこまでも醜いポーラ、どうやら理解していないようだから、特別に教えて差し上げましょう。一時的な施しは何にもならないのよ」



 ヴィクトリアは、リアムと繋いだままだった手に力を込めた。


 リアムをスラムで拾った時。ヴィクトリアは屋敷に帰ってから、父に叱られた。


 たった一人を救ったところで、環境そのものを変えなければ意味がない。気まぐれな施しは毒にしかならない。子供一人、悪い環境から連れ出したところで、後は放置するのなら本当に助けたとは言えない。


 無責任に手を出すことは許されない。あの子供に最後まで責任を持てるのなら、傍に置くことを許す、と。


 スラム街に関しても同じだった。今のポーラのように、ただ与えればいいのだと思っていた。



「ただ無意味に与えるだけでは、民は怠惰を覚え、勤勉に働くことを忘れます。やがて民草を滅ぼす毒花の根となるわ」


「働かなくて済むなら、それでいいじゃない!」


「誰かが土を耕さねば穀物は実らず、誰かが機を織らねば服を着られず、誰かが石を運ばなければ家は建ちません。そうなった時、最初に飢え死ぬのは民たちよ」


「それを王様や公爵様が助けてあげればいいんでしょう?」



 ああ、馬鹿なのね、と純粋な感想が浮かんだ。



「そうなった時にはもう、国にも領地にもお金は無いわよ?」


「でも……」


「民が働くから富が生まれる。わたくしたち貴族はその恩恵を受けて、民を守るために国と領地を運営する。貴族の豊かな生活は、民のために身を捧げるから許されたもの」



 裕福な暮らしをしているだけが、貴族だとでも思っているのだろうか。



「わたくしたち貴族に個人の自由はないわ。今のタディリス王国は平和だけれど、例えば戦争になった時、矢面に立つのは貴族の役目。家同士の力関係を調整するのも、庇護する民や家臣に不利益が向かないように。政略結婚なんて、その最たる例ね」



 いつしか、講堂にいる多くがヴィクトリアの話に耳を傾け、頷いていた。



「ポーラ。あなたは貴族の富と、平民の自由を求めた。いいところだけどっちも欲しいだなんて、そんなずるいことはできないの」



 ヴィクトリアの語ることも、理想だろう。すべてが上手くいく現実などはありえない。事実、そんなことを考えてすらいない貴族もいるだろう。


 ただ、ヴィクトリアが美しいと思うものを追い求めた先に、その理想があるのなら。


 呆けたようにヴィクトリアを見上げるポーラに、心底分かってもらおうなどとは、もう微塵も思わないけれど。



「理想を目指すのはよろしいわ。けれどやり方を間違えたわね。もっとちゃんと学んでいれば、あなたもギルバートも罪は犯さなかったし、あなたのご家族もあんな風にはならなかったのに」



 ことさら優しい声でそう囁く。ポーラは呆けたまま、首を傾げた。



「あたしの、家族? アーキンの家も罪に問われる、ってこと?」


「ある程度はね。あなたの教育を怠ったのだから。でもわたくしが言っているのは、あなたのおじい様とおばあ様のこと」



 ここで初めて、ポーラの顔に動揺が走った。



「おじいちゃんとおばあちゃんに何かしたの!?」


「わたくしではなく、あなたがね」



 可哀想に、と口先だけの言葉を投げて、ヴィクトリアは微笑んだ。



「あなたが持ち帰る宝石をあてにして店の経営を怠ったせいで、売り上げが落ち込んで生活が苦しいのですって。挙句、おじい様が賭け事に大金をつぎ込んで、大きな借金まで抱えているそうよ。今あなたが着ているドレスやアクセサリーを持って帰れば、借金くらいは返せるのでしょうけれど……」



 体を震わせ始めたポーラに、優しく現実を突きつける。



「それは、我がアイラ領の民が生み出した富で買った物でしょう? 返してもらわなければ」


「そん、そんな……」


「うふふ、無責任な気まぐれの施しが破滅を呼ぶということ、身に染みて理解できて良かったわね?」



 床に崩れ落ちて泣き喚くポーラに、手を差し伸べるものは誰もいなかった。

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