三 俺の全部はあんたの一部にすら
数日後。
休日は終わり平日が訪れる。乙羽は帽子と制服を身に纏い、いつものようにオフィスビルの施設警備員としての業務に従事していた。
日中は正面玄関で立哨を行い、ビルの会社員らが退勤した夜は巡回の時間だ。各所の施錠を確認しながら、頭に入れてあるルートを回っていく。
と、とある階に差し掛かったところで、明かりが漏れている箇所があることに気付いた。確かこの階を借りている会社の社員達の、個人スペースが集合している場所だった筈だ。
「すみません、消灯時間過ぎてるんですけど……」
明かりが点いているのはオフィス内でも奥まった所だ。声をかけながらスペースの方へ歩き寄る。
「ああ、申し訳ありません。もう終わりますから、すぐに支度し、て」
応じる声には聞き覚えがあった。まさか、と思いながら歩を進めると、返事をしながらパソコンから顔を上げた男と目が合った。
「夜科さんっ?」
「……乙羽くん?」
仕事用なのか普段からそうなのか、スクエア眼鏡を掛けていることで真面目そうな印象が増しているが、見間違えようが無い。数日前に出会ったばかりで、結局連絡先も交換せずに別れて二度と会わないだろうと思っていた乙羽の〈ペア〉が、そこにいた。
数秒、その場に沈黙が降りる。
「えーっと、……お疲れ様です。施錠してる所もあるので、帰りは気をつけてください」
数日ぶりですね、という会話を始めたい欲を堪えて、業務的に告げる。このまま留まればその欲を抑えられないであろう予想は簡単についたので、未練を振り切ろうと踵を返した。
そうした、のに。
「っ夜科さん!」
乙羽は振り返った。振り返ってしまった。
少しばかり張り上げた声を受け、僅かに瞠目しているがやはり死んでいる夜科の瞳と視線がかち合う。
「また、会いたいです」
気がつけば、そう口にしていた。
出会えただけでいい。それ以上を望んではいけないと、分かっているのに。
「……」
「……」
再度の沈黙が、場を支配する。しかしさっきと違ってそれを破ったのは、夜科の方だった。
「僕のことが、まだ捨て猫に見える?」
「え。……み、見えます」
何かを考える余裕も無く答えると、そう、という淡白な声を返し、夜科はこちらに向けていた身体をデスクの方に戻した。
……やばい。絶対引かれた。
絶望感を覚えながらも、デスクの端に置かれたメモとボールペンを取り上げる夜科を見つめることしか出来ない。
その眼前に、数字が羅列されたメモが差し出された。
「……え?」
反射的に受け取る。ハイフンで三つに区切られている十一桁の数字が電話番号を意味していることに気付くのに、暫くの時間を要した。
その間に、夜科はパソコンの電源を落としてデスク下から鞄を取り出して素早く帰り支度を済ませて椅子から立ち上がった。
「おかしな人だ」
乙羽の横をするりと抜けていく間際に小さく聞こえた声が幻聴でないことを確信出来た頃には、非常灯に照らされただけの暗いオフィスには誰もいなくなっていた。
続
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