Fly you to the moon
文室たまご
一 土星が春を連れてきた
付き合って三ヶ月の恋人に振られたばかりの身である
街角の電光掲示板に映る天気情報は、曇りのち雨を予報している。歩きながらふと空を見上げると、確かに真昼だというのにどんよりとした灰色の雲が敷き詰められており、今にも降り出しそうだ。こんなに分かりやすい天気模様に気付かず、何故自分は傘も持たずにデートの為の待ち合わせ場所に赴いたのか。答え合わせは、間も無くこみ上げてきた眠気がしてくれた。
……昨夜、あいつの長電話に付き合ってたからかな。
デートの前夜に「楽しみで眠れない」と電話を寄越し、そのままはしゃいで話を盛り上げてしまうような、明るく無邪気な女性だった。寝て起きたら気が変わったという訳でもないだろうから、あれは今日顔を合わせるなり別れを切り出した彼女なりの、手切れ金だったのかもしれない。そんな彼女の心に気付かず翌朝寝坊しかけた自分は、あいも変わらず危機感が無いようだ。
──乙羽くんって、私のこと好きじゃないよね
不満があるというよりはただただ悲しげだった彼女の言葉と表情が、記憶の中の元恋人達のそれと重なる。
毎回同じようなことを言われれば、鈍い乙羽とてこれまでの関係が全て破局に終わった原因は自分なのだと流石に気付く。
乙羽なりに好意を示しているつもりだが、それは相手の好意に応えているというだけで、どうも恋人達が乙羽に望むような愛ではないらしい。
自覚が出来たなら欠点を改めるまで恋愛事は避けるべきだと分かっているが、実は乙羽にも乙羽なりの考えがあり、これでも真剣に相手と向き合っていた。
乙羽は、男女その他の性別に加えて
長くて二百年を生き続ける天体性保有者は、天体性を持たない
観測者から多少なりとも奇異な目で見られる
それは、惑星という名がつく天体性保有者の中でも、衛星である己と〈ペア〉の惑星に対して必ず恋愛感情を抱く、というものだ。
これは決して都市伝説などではなく、過去に実際行われた臨床実験によって立証されているらしい。衛星である乙羽本人も、何となくではあるが自覚していることだ。
それでも、乙羽が運命の〈ペア〉を捜すことは無い。生まれて初めて己の性別について知らされた時から、乙羽は〈ペア〉と出会うことを諦めていた。
……普通に考えて、ありえないしな。全世界中のただでさえ多くない天体性保有者の中の、たった一人が運命の相手とか。それこそ天文学的数字でしか語ることの出来ない確率だ。
出会えるものなら出会ってみたいとは思う。結ばれるに至らなくても出会うことさえ出来れば、誰と付き合っても満たされない衛星としての虚無感から解放されるかもしれない、とも。
しかし、この胸に去来するのはやはり諦観でしかない。
もしかしたら、観測者の倍はある天体性保有者の寿命が尽きるまでに気が変わり、いつかは〈ペア〉捜しに本腰を入れるようになるかもしれない。しかし、少なくともこの世に生を受けてから二十六年間、乙羽知成の人生はそのようなロマンとは無縁だった。
……叶わない夢なんて、抱くだけ無駄だ。
そう思ったからこそ、心の欠けを埋める為に恋愛にのめり込もうとした。幸い容姿や対人運には恵まれ、これまで不幸な目に遭うことは無かった。その代わり、特別幸福を感じさせる出会いも無かった。
乙羽にとって恋愛とは最早、こなすものになりつつある。
自業自得なのは百も承知だ。他人からすれば、これは身勝手で無責任な考え方なのだろう。その身勝手が積み重なって今があることは、乙羽の恋愛遍歴だけで証明出来る。
だが。それでもやはり、乙羽は今のスタンスを変えないつもりだ。
……本当の意味で幸せになれないのなら、せめて仮初の幸せくらいは、俺自身の手で掴みたいから。
とは言っても、
……振られたのにショックも受けなくなるとか、いい加減やばくないか?
つらつらと物思いに耽った末に今日の出来事が思い返され、乙羽は傷付きすらしていない心の内で苦笑を零した。
いつの間にか、黒々とした空からはパラパラと小雨が降り始めている。このまま雨が酷くなれば、今日のデートの為に下ろしたばかりのコートや磨きたての靴は汚れるだろう。
それもいいか、と思った。濡れ鼠にでもなれば、自分で招いた不幸に対して自嘲の念くらいは感じるかもしれない。
大通りを抜けて住宅街の方へ向かう。その途中には寂れた公園があって、予想通り勢いを増してきた雨に打たれる遊具には物悲しさが漂っている。
直帰する為に動かしていた足をその公園の前で止めたのは、公園内に設置されているゴミ箱に目を留めたからだ。
「……」
ジャケットのポケットには、ラッピングされた小さな箱が入っている。
家で捨てれば良いとか、換金出来るだろう、とかいう考えを無視して公園に入り、ポケットから取り出したプレゼントをゴミ箱の中に放り込んだ。
「よし」
身を翻す。早く帰って風呂にでも入ろうと思った。涼しくなってきたこの季節にシャツまで濡らして身体を冷やすのは良くない。
湯槽に浸かりながら降って湧いた休日をどう過ごそうか考えるのも悪くないだろう。
悪くはない、だろうに。
「……あんた、大丈夫ですか?」
何故か乙羽は、視界の端で捉えた人物に一瞬で心を奪われてしまっていた。
続
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