第20話

白や灰色の外壁をしたアパートが密集する地帯を抜け、シーソーとブランコしかない小さな公園の前を通ったところで、先輩は水色のマンションを指さした。


「ここの四階が俺の部屋だ」


自動ドアで中へ入り、ポスト横のインターホンにカギを指した先輩は、そのままエレベーターのボタンを押した。


「そういえば、朝、食ってないだろ?」


回数表示のランプを見つめていた先輩が言った。マンションは十階建ての小さなものなのに、築年数が経っているため、エレベーターの動作は遅く、八階から降りてくるエレベーターのガタガタという音が一階からでもわかった。


「食べてないですけど、この時間にやっている店なんてあるんですか?」


俺はエレベーターの開閉ボタンの横に掛けられた、振り子時計を眺めた。もう病院をでてから一時間が過ぎようとしていた。


「この時計、五分遅れているんだ。管理人には直せっていつも言ってるんだけど、直したかと思えばまたすぐに遅れるようになるから、もう手を付けずにほっといているんだ」


一階に到着したエレベーターに乗り、先輩は四階のボタンを押した。


「飯は家にあるもので何か作ればいいさ。この辺は飯屋がないから、大抵は自炊しているけど、今日は珍しく客がいるから夜はいい店に連れて行ってやる」


「本当ですか?」


「あぁ、駅前にうまいカレー屋があるんだ」


四階に着き、細い廊下を渡った突き当りに先輩の部屋はあった。


「あんまりきれいじゃないが、まあゆっくりしていってくれ」


そう言ってドアノブをゆっくり引くと、俺の目に、茶色いブーツが飛び込んできた。


「先輩、これって……」


俺がそう言い切る前に、


「遅ーい。どこいってたのォー」


奥のドアから、金髪の女が出てきた。


「帰ったら連絡するって、昨日あんなに言ってたのに、どうして連絡よこさなかったのよォ」


女は玄関にいる先輩に近づいて、肩に手を置いた。


「悪かったって。昨日はそれどころじゃなかったんだ」


「いいよ。言い分けんなんて。どうせまたゲームをしてたからって言うんでしょ」


女はそこまで口にして、隣の俺の方に顔を向けた。


「あら、初めましてのかた」


「あ、はい」


「お名前は?」


「秋野史人って言います」


俺がそう言うと、女は身を乗り出してきて、


「秋野……秋野ってあの秋野高人……アンタもしかして」


と言った。


「その秋野高人の、弟だ」


面倒くさそうに女を見やった先輩が、靴を脱ぎながらそう言った。


「うっそぉ。マジィ? アンタほんとに秋野高人の弟なの?」


女は尚も俺に近づいて、驚嘆の悲鳴を上げていた。背は低く、幼い顔立ちをしているのに、Tシャツ一枚からでもわかる身体の起伏は、長く透明な金髪から発せられる甘い香りと相まって、俺の心臓を高鳴らせた。


「本当です。俺はあのFPSプレイヤーの秋野高人、たか兄の弟です」



 リビングに案内され、ソファに腰を下ろすと、女は軽い足取りでキッチンに入っていった。


「あの人、先輩とはどういう関係なんですか?」


隣に座ってテレビのリモコンを握っている先輩に、俺は聞いた。


「あいつはサエ。AFO時代のチームメイトだ」


先輩がそう紹介すると、大橋佐枝は長い金髪を揺らしながらこちらに笑顔を向けた。

「チームメイトって……本当にそれだけなんですか?」


「そうだ。俺がまだAFOをプレイして間もない頃、知り合いから強いSR(スナイパーライフル)使いがいるから対戦してくれって頼まれたのが、アイツとの出会いだった」


そう言って、先輩は大橋佐枝について語り始めた。




株式会社オータムが出したモバイルFPSゲームAll Fort One(略してAFO)の最盛期は三年前までさかのぼる。


当時、先輩は中学二年生で不登校気味の冴えないゲーマーだった。


公立の中学校は義務教育でも、生徒の意思がなければ学校に通わずとも卒業ができることを先輩は知っていたから、毎日夕方の四時からから朝の八時までAFOをプレイしては、いつかSnipBlow(GlandSlamより前に勢いのあったクラン)のような有名クランから勧誘が来るのを、ひとり心待ちにしていた。


そんな時、チームメイトの一人からこんな誘いを受ける。


「お前、昨日のkill集が配信者に取り上げられていたぞぉ」


AFO初期から付き合いのあるその男は、クランのトライアウトを何十と受けたのだが、全て予選で落とされ、仕方なく俺のチームに入った無名な奴だった。


「Kill集って、昨日Twitterにあげたやつか?」


「そうだ。もう五千いいねがついてる」


俺はゲーム中は滅多にTwitterをいじらなかったし、通知もオフにしていたから、チーム共有アカウントにあげられていた俺のKillクリップが、配信者に取り上げられてバズっていることを知らなかった。


「このアカウントのフォロワーも、昨日まで七十人だったのに、もう五百人まで増えてる。この調子だと明日には千人。明後日には二千人だなぁ」


フォロワーの増え続けるアカウントを眺め、上々な気分になった男は、そう言って笑った。

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