第19話

学校の最寄り駅に続くエスカレーターを上り、中央改札の広がった通路を歩いていると、支柱に凭れていた先輩が、じろりとこちらを見つめていた。


「ずいぶん遅かったなぁ。道でも迷ったのかぁ?」


「迷ったって……先輩こんなところで何しているんですか?」


俺は有線イヤホンをつけている先輩に向かって言った。昨日から夜通しベンチに座っていた先輩の目は、幾分疲れているように見えた。


「お前、これからどうするんだよ」


くたびれた表情のまま先輩が言う。


「家に帰るんです。親には昨日事情を伝えたので、停学の間は家で反省することにします」


「はぁ?」


呆れた声を出した先輩は、俺に近づいて


「何言ってんだよ。大会は来月だぞぉ?反省してる暇なんてない」


と言って、無理やり俺の腕を掴んだ。


「ちょっと……やめてくださいよ。大会なんてもうどうでもいいじゃないですか」


「いいわけないだろ。FPSは俺の人生だ」


先輩がなおも腕を引っ張ってくるので、俺は力強く腕を引くと、先輩に


「もういいじゃないですか。あんなことがあったのにまだゲームがしたいだなんて。先輩は昨日の夜から何を見てきたんですか」


と言った。教員の取り調べが終わった後、敏生が寝ている病室の前で、俺と先輩は二人ベンチに座っていた。彼がいつ意識を取り戻してもいいように、片時も病室のドアの前から動かずに、じっとその時を待っていた。隣の病室から聞こえる心拍数の不規則なセンサー音が、今でも先輩の耳に残っているだろう。


「敏生は今だって、生死の境を彷徨っているんですよ。それなのに俺と先輩は意気揚々とゲームをして。俺そんなの耐えられないですよ」


早朝の駅前は、通勤のサラリーマンの姿が数人見受けられる程度だったから、俺の声が構内によく響いた。学校の最寄り駅は各駅だけでなく、急行や特急も止まる大きな駅だったから、上り電車が到着するアナウンスが鳴ると、俺と先輩の間に風が流れて、電柱ほどのケヤキはかさかさと音を立てた。先輩は腕の力を緩めると、じっと俺を見つめて


「史人」


と言った。


「……なんですか」


「昨日の出来事、覚えているか?」


「……当り前じゃないですか」


「どこまでだ」


「え?」


「どこまで覚えているんだ」


今度は先輩の声が構内に響いた。俺は先輩の、キリっと横に伸びた眉毛を見やりながら


「……銃を撃ち終わったところまでです」


と言った。


「そうだ。お前は銃を撃ち終えたんだよ。だから、いまこうして、俺もお前も生きているんだ。敏生だって頭を撃ち抜かれて、あれだけ出血したのに、今もまだ生きてる。教室についた時には身体が青くなっていて、完全に生気が失っていたのに、あいつの心臓は未だに動き続けているんだよ」


先輩の大きな手が、俺の肩を覆った。


「お前はあの勝負に勝ったんだ。三対一の不利な状況で、残り時間も少ないあの局面で、お前は敵のBotをすべて倒したんだ。だから俺たちは生きてるんだ。勝ったんだよ。俺たちは勝ったんだよ」


特急電車が到着して、改札に人の波ができてきたが、先輩はそんなものお構いなしに、声を張り続けていた。


「昨日の出来事は決して幻覚なんかじゃない。俺は途中で気を失ったから、最後を見とどけることはできなかったけど、今俺たちが生きていて、敏生だけが危険な状態にあるってことは、つまりそういうことなんだよ」


昨日、俺は教室の壁をBanxで撃ち抜いて、Bot三体を時間内に倒すことができた。もしこれが、夢や幻想ではなく事実だとするのなら、何かそれを証明するものが残っているのではないだろうか。


「お前、『Phoinx』を起動してみろ」


俺は携帯を取り出して、昨日から一度も開いていない『Phoinx』を起動した。


Fumito 11pt


昨日から一度もゲームを開いていないのに、俺のデータにはポイントが入っていた。


「これって……」


確かPhoinixは、勝負に勝つと5ポイント、敵を一体倒すごとに1ポイントが加算されるようになっていたよな……


先輩も携帯を取り出して、ポイントの加算されている画面を俺に見せてきた。


「これは夢なんかじゃない。きっと何かが起こっているんだ」




早朝の下り電車は人がまばらで、二つ開いた席を見つけるのは簡単だった。


開くドアのすぐ隣にあった空席に腰を下ろして、俺は先輩に

「これからどこへ行くんですか?」

と聞いた。


「決まってるだろ。俺の家だ」


「えぇ?」


俺は驚いて勢いよく背もたれにのけ反った、その拍子に、頭が電車の壁に当たって、俺は痛みで頭を覆う。


「前にも言ったと思うが、俺は一人暮らをしているんだ。俺の実家は県外だから、電車で通うとなると大変だろぉ?だから入学当初から近くに部屋を借りてるんだ」


先輩はつり革の上に掲げられている路線図を指さして、学校の最寄から二駅後ろの名前を言った。


「毎日顔も合わさないでVC付けてたって連体力は上がらない。それに、ゲームをするとなれば家族の邪魔だって入るだろうぉ?だから今日から停学が明けるまで、俺の家で合宿をする」


「ちょっと……ちょっと待ってくださいよ。俺先輩の家に泊まるなんて、一言も言ってないですよねぇ」


俺は同性と同じ部屋に泊まったことがなかった。もちろん、異性もないのだが、この年の同級生は皆、友人同士でお泊りの経験が一度や二度はあるだろう。俺の家は父の兄弟の家が近いため、休日になると決まって家に従妹とその家族が現れて、パーティーみたくなってしまい、子供のころから身内だけの空間に友人を呼ぶことができなかったのである。


「合宿と言っても二人だけじゃ練習にならないから、知り合いや元チームメイトも誘ってみるよ。とにかく、来月の大会に間に合うように早く準備を進めなきゃならないからな」


大会は敏生が出られなくなってしまったため、先輩がもう一人誘ってみると言って携帯をいじりだした。まだチームメイトも揃っていないのに、合宿なんぞして本当に大丈夫なのかと不安になりながらも、俺は初めて他人の家に泊まることに、興奮を抑えきれなかった。


「先輩」


「なんだ?」


「その……寝るときって、どうするんですか?」


「安心しろ。もちろん寝るときは部屋は別だ」


「当り前じゃないですか」


「ベッドは俺の部屋に一つと、リビングにソファがある」


「僕はどっちに寝れるんですか?」


「ソファだ」


「……ですよね」


「風呂は一緒に入るか?」


「結構です」




電車の扉が開いた。各停だったので十分ほどで先輩の最寄についた。ホームから石の階段を上がり、改札を出ると、先ほどよりも澄み切った空気が、俺の鼻に流れる。


「さっきの駅から二駅離れただけなのに、ずいぶん遠くに来たみたいですねぇ」


俺は周りを見渡した。小さなバスターミナルの周りを、黄緑色に変わり始めているイチョウが密集していて、その奥には深緑色の山がそびえていた。朝だから人の数は少ないが、この町はきっと昼になっても人通りは激しくならないだろうと、駅前に一軒あるスーパーの店員が、いそいそと店前に品物を陳列する姿を眺めながら思った。


「いいところだろぉ?ここはどこも家賃が安いんだァ」


先輩はそう言って、住宅街に繋がる歩道橋を渡っていった。

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