第5話 黒い食卓、重い嘱託
晩餐を終えお腹いっぱいでベッドに寝転ぶと、あっという間に朝になっていた。
枕元でベスが丸くなっている。ぴすぴすと幸せそうに鼻提灯が膨らむ姿には、一欠片の野生味もない。
「ふわわわ……なんで寝るとすぐ朝になっちゃうんだろ。夜はもっとのんびりタイムであって欲しいのよ」
シャノはのそのそと起き上がり身支度を整えた。昨夜着たドレスと違い、簡素な寝間着など自分で脱ぎ着した方が手っ取り早い。
全て召使い任せのそこらのご令嬢とは違うのだよ、ふははは……などと内心ドヤ顔しているが、普通のご令嬢はベッド周りを山積みの漫画タワーだらけにしたりしないし、お菓子を食べてゴロゴロしたりもしない。もっとお上品に生きている。
「トビ、朝ご飯食べよー」
「……いつも申し上げておりますが、お嬢にご用意して頂かずとも大丈夫ですので。お嬢と違って普通の食事を摂ることになんら問題ありませんし、どうぞお気遣いなく」
「トビが冷たーい。一緒に食べればいいのよ。ほら、ちょっとだけ! 先っぽだけ!」
なんの話だと思いつつ、どうせ言い出したら聞かないので、はいはいならばお茶だけ頂きますとトビは無難に返す。朝の恒例行事なやり取りだが、今朝は少し様子が違った。
「今日のモーニングはー、小倉トーストなのよー」
「うわっ……」
トーストはいい、分かる。実にモーニングだ。しかし何故黒いものを塗りたくったのか。更にここ最近シャノがしょっちゅう淹れていた黒い飲料がマグから湯気を立てている。多分コーヒーという奴だ。
──何故全てを黒で攻めた。黒くしないと気が済まない病気か何かか。
「蝙蝠や蜥蜴の黒焼きが罷り通るなら、こういう色合いの方が食べやすいのかなと思って」
「……」
なんと純粋に厚意だった。思いやりに溢れていた。だが気にすべき点はそこじゃない、まるっきりおかしい。
豪気な才能の無駄使いぶりに、トビは宇宙を垣間見た猫のような表情でシャノを見た。
シャノが言う蝙蝠や蜥蜴の黒焼き。伝統的な料理ではあるがいわゆる珍味だ。
古くは薬として用いられていたが、今では富裕層がわざわざ金をかけて並べる贅沢の象徴の意味合いが強い。飼育管理された病毒性のない素材を用意出来る点を証明する為のもの。
転じて、敵意がない、好意や歓迎の印だ。決して……そう決して、黒いから美味しそうと見做す文化ではない。
現実逃避気味にそこまで思考し、トビは気付いた。シャノは自分が思っていた以上に、貴族としてもあかんレベルで常識に疎い世間知らずなのだと。
「……お嬢」
常識を学ぶ為の講師を雇いましょう、と進言しようとして、トビは思い留まる。
「色や形に関係なく、見知らぬ食べ物は警戒して然るべきです。誰かにとっては常用品でも、種族が違えば毒となる、そういう事例の枚挙に暇がない最たるものが食材です」
「あ……アレルギー!」
ハッとした顔でシャノは戦慄いた。犬猫にチョコや玉葱は御法度、前世の記憶にもある。人間という雑食性の生き物は、他の生き物にとって有害で食べられない食材でも、耐毒性が高い故に糧に出来るらしい。
耐性は大事だ。特にストレス耐性は高ければ高い程よい。
──それ、魔族だとどうなるの?
アレルゲンの把握など一個人には出来ない。もし魔王陛下へのお祝いに日本からお取り寄せしたとして、原材料の中にドンピシャでアレルギー物質があったらどうなるだろう。暗殺容疑がかかるではないか。そもそも自分のアレルゲンも知らない。
「あああああああっ……ハードルがぶち上がったじゃん嫌あああああ!」
当然他の家と贈り物が被ってはいけない、一級品もしくは希少価値でなければならない、何故なら魔王陛下へのお祝いのお品だから。
シャノはやっと理解に及ぶ。そりゃあぶん投げたくもなるわ。手段を選ばず引き籠りの妹に一縷の希望を託したくもなるわ。金に糸目を付けない大盤振る舞いにもなるわ。
「だってそれ以上に責任の方が重たいんだもん!」
どうして昨日の自分は安易に安請け合いしたのか。あの兄が、自分より百倍優秀なクロスリードが己で解決するのを諦めて押し付けた時点で色々気付くべきだったのに! とシャノは身悶えた。
「クロスリード様がご用意して下さった金子と目録は届いてますよ」
「んひぃぃぃ……受け取った後で断ったら殺されるうううううう……!」
「受けてしまったからには、やっぱり出来ませんでした、を許しては下さらないでしょうね」
クロスリードの性格と言動を思い返し、トビはしみじみ呟いた。
──あの方に情け容赦など求めてはいけない。それ以上に見返りを求めてはいけない。要求したが最後、こいつには見返りを与えれば何をさせてもいいと更に容赦しなくなるだけだ。
「突如として落下した隕石がお城に直撃して、パーティーが台無しになる可能性に賭けよう!」
「お嬢が呼び寄せて暗殺を謀ったと言いがかりを付けられるだけのような」
もう腹を括るしかないだろうと思いつつ、トビはシャノの前に届いた金銭と目録を積み上げた。
「他家と被りはしますが、無難に宝飾品や武具の類いでよろしいのでは?」
「ううううううん……そうだねぇ、それなら……あっ」
刀と脇差と鎧兜一式とかどうよ、と一瞬脳裏を過ぎるも、こちらでは飾るしかない以上普通に邪魔だな、と受け取り手側の感性で考えてしまい二の足を踏む。
それにもしかしたら魔界の空気にあてられて夜な夜な徘徊し始めたりするかもしれない。怖い。
なるべく魔界の技術革新や文化破壊に繋がったりせず、後が怖くないものがいい。
下手に兵器関連が進歩して更に物騒な世の中になったら嫌だ。加えて兄が兵器を愛用し始めてもっと手に負えなくなったりしたら嫌だ、怖い。魔法と物理と武装が揃うのは危険な予感しかない。
「そう……平和的にボードゲームとかいいと思うの」
「ゲームですか? 魔王陛下に……?」
訝しげなトビの反応にシャノも考える。魔王陛下が一体誰を対戦相手にして遊ぶのだろう。
──対戦相手は指名された時点で接待プレイ確定じゃないですかやだー。最悪全員辞退で対戦相手が一人もおらず遊びようがないなんてことになったら……
やめよう悲しみしか生まれない。二人一組になってと言われて自分一人だけポツンと余る時の物悲しさと言ったらない。
「プレゼントって……難しいね……」
「王侯貴族が相手ですから尚更に」
目録を手にがっくりと項垂れるシャノにトビは律儀に返す。
もしもそこらの貴族だったら、今頃無茶振りされて頭を抱えているのはトビと同じ仕える者の方だ。自分の難題を従者に押し付けないだけ、シャノは善良な主人だと思う。
「異世界の動物なんかは珍しいのでは?」
「うーん、駄目かなぁ。こっちの環境に適応出来るか分からないし、出来なかったら犠牲にしちゃう。適応しても逃げた外来種が固有種を駆逐したら目も当てられないのよ」
呼び寄せた動物がキャリアとなる病原菌や寄生虫の類いはもっと不味い。きっとこの世界に抗体や耐性を持つ者が存在しないだろうから。そんな責任は負いたくないとシャノは即座に却下した。
「……おお、そういうことはきちんと考えておいでで」
「何も考えてない奴だと思ってたの!?」
意外だと包み隠さないトビに頬を膨らませて、シャノは心外だと抗議の意を示す。
「というかね、多分出来ない。生きている命の対価が分からないのよ」
この世界の中であれば自分は勿論、相手によるが他人でもシャノは自身の魔力消費だけで転移出来る。だが流石に世界を超えるとなると。
等価交換を成立させる為、この世界の誰かを消す事態になり得る。試す気にもなれないし責任も負えない。
転移とは世界の器の中で総量を変えずに、中身を動かすだけの魔法なのだろう。異なる世界を交える時、互いの器の総量を変えない為に等価交換でなければいけない。
シャノはそのように解釈している。でなければお気に入りの靴を失ったことに納得出来ない。
「ではどう致します?」
「ううっ……全然思い付かないよう……」
クロスリードが怖い。よってやらねばならない。でも魔王陛下について正直ほとんど知らないし、諸々リスクを勘案するにハードルが高すぎる。
前世で流行ったラノベの主人公なら、深く考えずとも都合のいい何かを呼び出してサクッと解決出来るのに。
残念ながら主人公でもラノベの住民でもないシャノは、目を皿のようにして目録を読み返し、知恵を絞るしかない。幸いトビが色々具体例を挙げてくれるので助かっている。
「お酒は割とあるけど、グラスは見当たらないかも? ワイングラスとかどうだろう」
「鉱物の扱いや細工に長けたドワーフ製に劣らないのであれば平気でしょう」
畜生、ファンタジーがガチファンタジー過ぎて逆にレベル高ぇ! とシャノは拳を握る。
「うぐぐ、ぐぬぬぬ……一応出してみて、にーがいいって言ったらそれにするのよ」
「無難でよろしいかと」
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