探偵なんてみんな馬鹿

福山窓太郎

第一部〈名探偵、門倉朱雀〉

プロローグ

 いつぞやの昼休み、門倉かどくら朱雀すざくがこんなことを言ってきた。


「『出会ったものに別れは来ない』。これは谷川俊太郎の言葉だ」


 タニカワ・シュンタロー。俺の頭の中に、変換されない名前が浮かぶ。


「もちろん一般的に言えば、出会いがあれば別れもあるし、光があれば陰もある。それが普通で、必然で、世のことわりだ」

「あー、まあ、そうだな」

 よくわからなかったが、門倉のご機嫌を損ねないようにとりあえず首肯しておく。


「しかし谷川俊太郎いわく、真に出会った二人には、別れは永遠に来ないのだという。死さえ二人を分かつことはないという。


『あなたはまだそこにいる

 目をみはり私をみつめ繰り返し私に語りかける

 あなたとの思い出が私を生かす

 早すぎたあなたの死すら私を生かす

 初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も』


 ──とある一説では、この『あなた』というのは、谷川の前妻、佐野洋子のことじゃないかと言われていて……まあ、そんなこと今はどうだっていいな。


 とにかく彼には彼の、わたしにはわたしの、君には君の『あなた』がいて、めいめいの『あなた』が自分を生かしてくれる。そして亡くなった『あなた』を記憶の中で生かしてあげるのも、他ならぬ自分自身なんだ──という具合に、谷川俊太郎は実にうがったことを言っているわけだね」


「ふうん……」


 この時の俺は、門倉という男のことを何ひとつわかっていなかったので、奴の蘊蓄うんちくを話半分にも聞いていなかったと思う。

 何か小難しいことを言っているなあ、とか。今日の門倉はいつにも増してよく喋るなあ、とかいうのが率直な感想であった。そもそも、タニカワって誰だよ。プロ野球選手か?


「つまりだ。もし自分が死んでも、自分のことを覚えていてくれる誰かがそこにいる限り、死というものがやってくることはない」

「ふうん、なるほどな」

 いかにも聞いてますというふうに頷いてみせる。俺はとても良い友達なので、こういうところで適当な態度を取ったりはしないのだ。


「わたしみたいに探偵なんていう活動をしていると、遺族が殺人犯に『復讐してやる!』なんて勢い込む場面には何度も出くわすがね。はっきり言って、そんなのは考え無しのバカがやることだよ。最も醜いエゴイズムだ。それじゃ死んだ被害者も浮かばれないな」


 それにしても、今日の門倉はアクセル全開だ。元気なのは結構だが、うっかり誰かに聞かれでもしたら怒られそうなことを、あまり大きな声で言わないでほしい。


「でも門倉。復讐に走るってことは、大切な命が失われたのがそれだけ本気で悲しいってことだろ。見方を変えれば愛とも取れないか?」


「それがまさにエゴじゃないか、神尾かみおくん。愛なんてていのいい言葉で小綺麗なラッピングをしないでくれるかな。遺された者が死者にしてやれる最上の弔いは、復讐じゃない。そんなもの愛じゃない──本当の愛とは、そう、いつまでも死者を忘れないことなんだ」

「ふうん……」

「……さっきから思っていたが、あんまり真面目に聞いていないよね、君」


 遮光カーテンの隙間からさした陽光が、門倉の美しい顔を存分に照らしていた。

 狭い「探偵同好会」の部室で死生観について熱っぽく語る門倉は、まるで大学生。社会人にだって見えるかどうか。遠い星から来た異星人留学生と紹介したほうが、まだ信じてもらえそうだ。


 それにしても文学部というのは、みんな復讐だとか死だとかに一家言を持っているのだろうか? それとも門倉が特殊なだけなのか? まあ、どっちにしろ門倉朱雀はちょっとアレだ。経済学部の俺には縁遠い部類だ。偏見だけど、門倉みたいな奴ってトロッコ問題とか好きなんだろうなと思う。


「えー、聞いてる聞いてる。離れていても心は一緒ってやつだろ」

「全然違うんだが……」

「それで、そのタニカワっていうのは誰なんだよ。メジャーリーガーとか?」

「は?」

「あ?」

「……もしかして神尾くん、谷川俊太郎を知らないのか? え、『スイミー』って知らない……?」

「知らない」

「嘘だろ、信じられない……! 君はどうやってこの大学に入ったんだ!?」

「数学と物理の試験だけど」

「そういうことを聞いているんじゃないよ!!」

「声でか……」


 結局あれから門倉がタニカワや復讐の話をすることは一度もなかったが、どういうわけか意外なことに、なぜだか俺はこの日の会話をときどき思い出してしまうのである。


 なあ門倉。復讐は、本当に愛に成り得ないのか?

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