97 獣人娘の憂鬱(2)

◆登場人物紹介(既出のみ)

・リリアン…主人公。前世の記憶を持つ、黒毛の狼獣人の少女。転生前は前・魔王討伐隊、『英雄』のアシュリー

・シアン…前・魔王討伐隊の一人。アシュリーとは討伐隊になる前からの付き合いがあり、ずっと彼女に想いを寄せていた

・シャーメ…現在リリアンたちが世話になっている、仙狐(3本の尾を持つ白毛の狐)の兄妹の妹

・デニス…Sランクの実力を持つAランクの先輩冒険者。リリアンに好意を抱いている。


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 鼻先に冷たい風の気配を感じた。

 狼のままで夢中で走っていて、いつの間に空気が変わっているのに気付いてなかったらしい。


 山の天気は変わり易い。

 それを知っていたのに、気付けば山道を駆けているし、気付けば空も薄曇りになっている。

 これは……来るかな?と思った途端に、冷たいものが顔に当たった。


 雪だ……

 一つ落ちるとその後は溢れる様に、次から次へと落ちてくる。


 何故か子供の頃から雪は嫌いだった。雪を見ると、一人で居るのが無性に怖くなる。

 雪の白さが怖い。この雪の白さは自分の黒さを隠してはくれない。

 寒くて、冷たくて、非情な雪は、私の行き先も帰る場所も全てを覆ってしまう。


 雪を見たのは初めてではない。

 故郷に居た時にも、寒い季節には毎日のように雪が降る。そんな日にはじっと蔵に籠って本やら魔道具やらを漁っていた。かたわらには必ずカイルかイリスが居てくれた。


 王都に出てからは、雪が降る日には出掛ける予定が無い振りをして、丸一日『樫の木亭』に居た。あそこなら、必ず誰かが居るから安心だった。


 でも今は私一人だ。

 自分でもわからぬ何かから逃げたくなって、ひたすら駆けた。

 怖くなって駆ければ駆ける程、世界が白くなっていった。



 ふと何かに気が付いて足が止まった。

 大きな木の根元にこんもりと雪だまりが出来ている。


 大きな木が怖い。あの木の根元にはおそらく何かがある。


 ――違う、私じゃない。

 あそこで死んでいるのは「アシュリー」だ。私じゃない――


 ――私はアシュリーじゃない――


 覚えの無い記憶の欠片が浮かんだ。

 理由わけの分からぬ怖さと寂しさで、ただただ胸が苦しくなった。



 あまりのつらさに、転移の魔法を使って仙狐せんこの住処に帰った。

 もう日はうに天頂を過ぎている。朝から何も食べていない。でも何も食べる気分にもならなかった。

 こっそり自分の部屋に戻って、ベッドの下に潜り込んだ。


 ここなら大丈夫。住処のどこかに誰かがいる気配を感じる。

 少しだけ安心を覚えると、狼の姿のまま目をつむった。


 * * *


「……リリアン」

 呼ばれて目が覚めた。薄く目を開けると、シアさんがベッドの下の私を覗き込んでいるのが見えた。が、気付かぬふりをした。

「帰ってたんだな…… 探したんだ」


 ……私はアシュリーじゃない。なのに何で探すのだろうか。

 貴方が探しているのはアシュリーだ。私じゃあない。恩があるからといって、ずっと私に付いてこなくて良かったのに。死んだ後までも囚われる事は無かったのに。


「リリアンなんだろう? どうしたんだ?」

 そう言って、図々しく手を伸ばしてくる。咄嗟とっさうなり声が出た。

 シアさんは少し驚いて手を引くと、申し訳なさそうな悲しい顔をした。


「……怒ってるのか?」

 怒ってなんかいない。でもなんだか、もやもやムシャクシャするだけだ。


「俺らがベッドを奪っちゃったからか? それとも俺が髪を乾かすのが、嫌だったのか?」


 ……違う、そんなんじゃない。


「本当は……デニスの方がいいのか?」


 何を言うのか……

 なんで私が二人を比べるような事をすると思うのだろうか。

 二人とも大事な私の家族だ。それ以外でもそれ以上でも、ない……

 それでいい。



 バタバタと軽い足音が響いた。

「おねーちゃんの匂いがするっ!!」

 そう叫びながら現れたシャーメは白狐の姿になっていた。あの狐の鼻で私の匂いに気が付いたんだろう。

 シャーメから少し遅れてデニスさんも部屋に入ってきた。


「おねーちゃん、ごめんなさいぃぃぃ~~」

 そう言うシャーメの耳が可哀想なくらいに垂れている。

 シャーメが悪いわけじゃあない。シアさんやデニスさんが悪いわけでもない。それをちゃんと伝えていない、私が悪い。

 誰かに謝ってほしいわけでも、こんな風に皆を心配させたいわけでもない。


 軽く頭を振って腰を上げる。

 ベッドの下から這い出すと、皆がホッとした顔になった。そうだ皆を心配させちゃいけない。


 怒ってないし、誰にも悪いだなんて思っていない。

 そう言おうと口を開いた――


「リリアン、なんでまたそんなに我慢をしているの?」


 声のした方を見上げると、いつの間に兄のカイルが居た。


 我慢……?


「お前」

 カイルがシアさんの方をにらみつける。

「僕よりも前から、リリアンの事を知っているんだろう? なら何でリリアンを泣かせるんだ?」

「カイル、ちがう…… 私は泣いてない……」

「泣いてるじゃないか…… 涙を流してないだけだろう?」


 そう言って私の方を向き直したカイルは、兄の顔になっている。

 しゃがんで、そっと私に手を差し出した。


 カイルは…… 何を聞いても、何を知っても、私のお兄ちゃんで居てくれる。

 今までも、今も、きっとこれからも……


 吸い込まれるように、カイルの手に体を預けると、優しく受け止められた。


「悔しいけれど、お前らにならリリアンを任せられると思ってたのに。リリアンを笑顔に出来ると思ってたのに」

 抱きかかえられた私の狼の耳に、強く責めるような兄の声が届いた。


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(メモ)

・カイル…リリアンの兄で、灰狼族の若き族長。銀の髪と尾を持つ。


 我慢(#18)

 (#56)

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