終章 真昼の星を結ぶ

第43話 いつくしみ深き

 美術教師として教壇に立つようになってから、判明したことがある。


 船渡川ふなとがわや野田が歌っていた鼻歌は童謡の「星の世界」ではなくて、「いつくしみ深き」という讃美歌らしい。


 「星の世界」は、「いつくしみ深き」の替え歌なのだと、船渡川を含むハイレベルコースの生徒たちが笑いながら教えてくれた。

 各学校の卒業式では「大地讃頌だいちさんしょう」が選曲され、全国の「大地くん」がいじられるものだとばかり思っていたのだが、藤ヶ峰ふじがみね女学園のようなキリスト教系の学校では「いつくしみ深き」が歌われることが多いそうだ。




「千葉先生、結婚するんですか⁉」

「相手の写真見せて!」

「先生、仕事と家事の両立できなさそう」

「あのなー、こういう時は思ってなくてもまず『おめでとうございます』って言うもんなの。それに俺は意外と家事できるし」


 小学生に毛の生えたような少年少女たちが「おめでとうございまーす」と声を揃えた。


「ほら、混むんだから早く食堂に行きな」

 美術室から中等部の生徒たちを追い払い、鍵をかけようと思ったらまだ男子生徒が一人残っていた。

「皆に言いたい。姉ちゃんと大地兄ちゃんの恋のキューピットは僕なんだって」


 ぶかぶかの夏服をきた澄空すかいの声は二次性徴のためにかさついていた。


「その話、絶対にするなよ。噂に尾ひれがついて『千葉先生は教え子に手を出した』なんて勘違いされたら最悪クビだ。あと、学校では大地兄ちゃんじゃなくて先生」

 新婚で路頭に迷うことだけは避けたい。


「でも、本当に高校生に手ぇ出したんじゃん」

「ちげーよ」

 教師らしからぬ言葉遣いだが、本当に違う。


 野田海頼みらいと再会したのは、彼女が引っ越した日から数年後の冬の祝日だった。


 その日は藤ヶ峰女学園で昼過ぎから祝福祭が執り行われることになっていて、新米とも中堅ともつかない俺は、案内係を任されていた。


「千葉先生、久しぶり!」

 寒さに震えながら警備員と一緒に正門に立っていると、目の前にタクシーがとまりピンク色の振り袖姿の船渡川が出てきた。

 化粧はかなり濃くなっていたが、髪は黒く染まっている。彼女が通う大学では実習も多く、身だしなみに気を遣うらしい。


「サプラーイズ!」

 船渡川がタクシーの中に向かって手招きする。

 彼女の親かと思ったが、出てきたのは船渡川と同じように晴れ着に袖を通した野田海頼だった。

 目が合うと、恥ずかしそうに笑った。


 祝福祭に招待されるのは二十歳になる、高等部の卒業生のみだ。野田は在学期間も長かったため、学園側の計らいで特別に招かれたという。

 花火大会の日、浴衣すら着られなかった彼女は美しい振り袖をまとっていた。

 野田海頼と連絡を取ったのは彼女が無事に高校を卒業し、大学に進学するという報告をもらった時だけだった。

 顔を合わせたのは公園で号泣していたあの日以来だ。


「何か言いなよ」

 船渡川に小突かれた。

「えーと、……成人、おめでとうございます」

「何だそりゃ!」

「きれいだなとか、大人っぽくなったなとか教職員が言ったら、問題だろ」

「千葉先生、赤くなってる」


 船渡川が笑い、野田も顔を赤らめる。


 行き場に困った卒業生たちに声をかけられ、ようやく案内係であることを思い出した。

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